【舞台】NODAMAP「正三角関係」(SKYシアターMBS、大阪・梅田)
時間が経ってしまったのでごくごく簡単に(現在11/22)。
東京でチケットが取れなかったので大阪で観劇(マイレージで飛行機代を安くあげ、日帰りした)。
こんな遠出、普通はやらないんだけど、どうしても見たかったので。
最近ではカタルシスを得られる舞台は、自分にとって結構貴重なんである。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』がネタになっていると気づくまでにちょっと時間がかかった。
主人公の三兄弟はそれぞれドミートリ、イワン、アリョーシャのオマージュ。
竹中直人が困ったちゃんな父親役をやってて、心から「困り者だ」と思った(笑)。
長男が父親殺害の裁判にかけられていたり、次男が「おれが殺した(ようなもの)」と自白したり、いろいろと『カラマーゾフ』らしい装置があったが、舞台は戦中の長崎。
次男は科学者で原爆開発中、打ち上げに花火師である長男の技術を生かしてもらおうとする(まあ、ごくごく単純に説明すれば、そんな感じ)。
敵が大勢殺されれば喜ぶ人間がいるかと思えば、一方で一人の殺害に汲汲としている、といったセリフがあった。
もちろん、戦時であろうと罪は罪、罰は罰たらねばならない。
だからこそ逆に大量殺人(戦争)の愚かしさがフォーカスされねばならない。冷静に考えるならば。
この「冷静に」というのも難しい。
劇中では「竹槍で爆撃機を攻撃する」という精神論の極致みたいなことが描かれていて、その精神性の醸成は吐き気がするくらいおぞましいが、嵐のように避けようがないものでもある。
大勢に巻かれるか、対抗するか(できるのか?)は小さな個人にゆだねられる。
といったことどもを描きたいのかと受け取っていたが、最後に三男が避難先で「神様がお守りくださるはずだと思うことは、人間の傲慢な考えではないのか」といった問いを発しており、これが一番描きたかったことなのかと思い直した。
つまり、「宗教的信仰が戦争の言い訳になると考えることは、正しくない」のではないか。
カタルシスは得られた。
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