【舞台】NODA・MAP「Q」(東京芸術劇場、東京・池袋)
ものすごく時間が経ってしまったので簡単に(現在1/8)。
わけあって2回見に行った。
2回見ると構成がよくわかる気がした(お財布は痛かったけど)。
前半は「野田版ロミオとジュリエット」。
かつての遊民社時代を彷彿させる脚本だったと思う。
スピーディで言葉遊び満載、笑える箇所も多い。
ロミオとジュリエットは本家(シェークスピア)をしっかり研究してあって、ほとんどの場面が取り入れられていた(パリスが出てこないことを除いて)。
生半可な取り入れ方ではなく、「そうそう、こういう場面に続くんだよ」と見ていて納得できた。
後半は、ロミオとジュリエットが運よく生き返った場合に襲われる、もっと酷い悲劇のお話だった。
紆余曲折あって、ロミオが強制収容所に入れられてしまう。
ちなみにロミオは平家、ジュリエットは源氏になっていて、両家の戦いは源氏の勝利に終わる。
前半最後は「和平を結ぶ」って云ってたくせに結局この体たらく。
源氏の棟梁はグルメ三昧でぶくぶく太り、強制収容所の人々は黒パン一切れで飢えと寒さをしのぐ(実際にはしのげないのでどんどん死んでいく)。
別れ別れになった恋人どうしは、最初は互いのおもかげを心に秘めて生きているが、そのうちおもかげが死んでしまう。
現実の厳しさに、おもかげなど思い浮かべる余裕がなくなるから。
これは「強制収容所=悪」とかゆー単純な構図ではなくて、源氏にしろ平家にしろ末端の人々は結局トップに立つ人々に搾取されている、というお話である。
くだらない矜持で戦争を起こせば、結局のところしわよせはしもじもに来るのである。どちらの陣営にいても、だ。
運命の数奇により強制収容所から解放されなかったロミオが、最後にジュリエットに宛てた手紙を書く。
それを暗記した平平々(たいらのへいへい)がジュリエットの前でそらんじたあと、彼女は「愛の手紙を届けてくれてありがとう」と云う。
平々は応えて云う、「私にはとてもそうは思えません」。
それは絶望の手紙にしか見えないから、だろうか。
極限の状態に置かれると、人間性も剥奪されていく。
それは過去の事実から明らかだ。
権力者にとっては自らの権力を弄んでいるだけかもしれない戦争は、起こってしまえば個人の力では止めようがなくなるものであり、いずれの陣営においても兵士らの生命と人間性と個人性(名前)を搾取していくものだ。
情報は統制され(手紙は届かない)、救いは一切ない。
われわれは騙されてはならない。
安寧に敵を創り出してはならない。
悲劇を起こさぬように努めねばならない。
といった感想がぼこぼこ出てくるような重~い後半であった(笑)。
ロミオ役の役者さんは声の通りが悪くて、そういう意味ではいま一つだったけど、たぶん彼が起用されたのはどんな演技をしても観客が必ず彼の味方に付くからだな。
ジュリエット役は相変わらずパワフルでよかった。
清盛役も思う存分ステージ上を暴れまわっていた。
そして何より、役名のない群衆役の役者さんたちが、今回はいちばんたいへんだったろうと思う。
彼らの群舞のような演技の数々がなければ、これだけの完成度をものすることはなかっただろう。
ま、全部シロートの戯言です。ご容赦を。
追記。
いつもよりなんだか男性客が多いなあ、しかも割とお年を召した方が多い気がする、と不思議に思っていたのだが、もしかしてもしかしたらクイーンのファンだった??
クイーンにまつわる話かと思って観に来ちゃった??
確かにクイーンの曲の使われ方は非常に素晴らしかったけど、物語は全くクイーンではなかったので、感想はどうだったんだろう(笑)。
ちょっと気になる。
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