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2019年6月27日 (木)

【舞台】「オレステイア」(新国立劇場、東京・初台)

20190627orestheia

時間が経ってしまったのでごくごく簡単に(現在7/18)。
ぶっちゃけ、この舞台についての感想を書くのは難しい……。
しかもいま夏の祭典の準備で忙しくて、まともに書いてる暇がない……。
以上、云い訳でした。

一般的な情報は知ってるけど、元のアイスキュロスの戯曲は読んでないし、脚本は新たに作られているらしいので、新作の劇として見たに等しい。
ただ、あとから雑駁にチェックしたところ、細かい部分はかなり変わっていたようだが、大筋はしっかり対応しているようだった。

これは正義の話なんである。
第一幕で、アガメムノンは自らの娘イピゲネイアを生贄に捧げる。
いろいろ葛藤した挙句ではあるものの、最後に実行するときにはおぞましくも自己陶酔しているようにすら見える。
そしてその生贄を決めたのは、戦争に勝つためという大義名分による。


わが子を殺したアガメムノン(夫)を、妻のクリュタイムネストラは許さない。
彼が連れ帰ったトロイアの王女カッサンドラともども殺してしまう。
この舞台でのカッサンドラは少女なのでわかりにくいが、アガメムノンの戦利品(愛人)である。
クリュタイムネストラは娘を殺された復讐であり正義であることを主張する。

さて、オレステスである。
ここまでの場面で、オレステスはほぼ出ずっぱり、姉エレクトラはときどき現れるものの何故かしばしば周りから「オレステス」と呼ばれる(毎回じゃないのがややこしいけど、実は「事件」の場面はオレステスの記憶による再現みたいな扱いだったからオレステス主観と考えればまあなんとか納得できる)。
最終的にオレステス多重人格説みたいな演出に向かうんだけど、その必然性がよくわからなかった。
なぜ別人格(エレクトラ)が作られたのか(オレステスにとってエレクトラは何なのか)が自分にはわからず、したがってメインストリーム(正義と復讐の連鎖)との関係もよくわからなかったのだ。
単に現実逃避のツールだったの?
それでいいの??

ともあれ墓前に切った髪を供えて、別人を装い、「オレステスが死んだ」と告げて母の館に入り込むあたりは原作どおり(ただし墓前に髪を供えた主体がオレステスとエレクトラで逆だったかも)。
母の愛人アイギストスを殺し、懇願する母クリュタイムネストラも殺して、時代劇風に云えば「本懐を遂げる」が、精神的混乱に陥る。
この部分も実は原作どおりで、パニックに陥るらしい。
この時点で、母殺しのトラウマを忘れるためにエレクトラ(母殺しへミスリードする存在)を生み出し責任転嫁した、という演出だったのか?
逆にエレクトラ(母を憎む自分)がいたから母殺しに向かったのか?

ここまでの場面は、裁判所における裁判のための、いわば「再現フィルム」である(笑)。
過去にさかのぼって場面を映し出す間、オレステスの傍らには「医者」がいる。
何度も医者に「真実を見ろ」と促されて母殺しを認めるものの、父親の仇を取ったのであり、正義による行為だと主張する。
それに対する裁判が第四幕である。
裁判といっても人間のそれではない、云ってみれば神々による裁判だ。
実際にアイスキュロスの原戯曲でも、アテナを裁判長、アポロン(被告オレステス側)と復讐の女神(原告クリュタイムネストラ側)を裁判員とした裁判が開かれるらしい。
こちらの舞台でも、原作どおり、裁判長(女神アテナ)の一票によってオレステスは無罪を勝ち取る。
そのあとでオレステスが「なんて儚いんだ」と云うところがあったのだが、実はここで「正義の話だったんだー」と気づいた。
儚いのは「命」ではなくて「正義(の基準)」だ。
一見確固たる根拠があるようなイメージをもつ「正義」も、最後の一票がどちらに入るかという恣意的なイベントに左右される危ういものでしかない。
しかも、原作は知らないが今回の脚本でアテナがオレステスに票を投じたのは、「男性が優先される社会だから」というどーでもいいような、正義とかけ離れた理由からである(ギリシャ時代は正義に相当したかもしれんが……)。
すなわち、正義はもはや、「神のお告げ」とよばれる全く無根拠であり多様な解釈が可能なコトバと、あいまいさや胡散臭さにおいてほとんど変わらない。

正義ごと復讐を放棄しない限り、血の連鎖は止まらない。
しかして正義を放棄してしまえば、社会における人間性が保障されない。
いまの社会を反映して、身もふたもない結末を見た気がした(私だけ?)。

俳優さんたちはだれもかれも演技に見ごたえがあったと思う。
そもそもこの演目は、蜷川の舞台によく出ていた横田さんが出ているから見に来たんだけど(上手いから)、期待通りのクオリティだった。
あと、メネラオス役の人が、静かで、淡々としつつもコワ~い演技で、存在感があった。
名前を調べようとしたら、ホームページにはだれが何の役を演じるかが書かれていなかったので、わからなかった(2階席で遠かったから写真を見てもどの人だったか自信がない~)。
チラシは捨てちゃったし……シクシク。

充実の四時間だった。
腰を壊した人が何人いたかは知らない……。

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