
蜷川さんの遺作となってしまったシェイクスピア劇、『尺には尺を』を観に行った。
いつものように、5月27日と6月5日の2回にわたって観劇したが、感想はまとめてこちらで。
ネタバレが厭なひとはここでストップ(埼玉公演は終了しておりますが)。
『ヴェローナの二紳士』もヒドかったが、まぁこれもひでぇ脚本だった(笑)。
主役三人のうち、アンジェロは偽善者だし、公爵はタチが悪いし、イザベラは聖職者に見られがちな高慢さでもって容赦ないし。
どいつもこいつも「困ったちゃん」!(笑)
彼らのような「お偉い方々」と比べれば、むしろ売春宿の女将やポン引きといった悪党ども、あるいは監獄という汚れた場所の管理人である監獄長のほうが、ずっとずっとまともに見える。
もちろんこうした対比は戯作者の意図するところなんだろうな~。
それをちゃんとわかるように舞台化できるのは、まさに演出家の力量ゆえである。
演出はもちろんだが、そうした主要人物らの困ったちゃんぶりを、各俳優がうまく舞台に載せていたと思う。
イザベラ(多部未華子)が兄クローディオに向って、お前のような不届き者はさっさと死んだ方がいい、と、非難しまくるシーンがあまりにも酷くて好きだった(笑)。
何度聞いてもケッサクなんだもん(笑)。
イザベラと云えば、あとで解説を読んだら(「死んで、お兄様」と人道面からハテナな物言いをすることを措いても)、むしろその雄弁多弁こそが聖職者、しかも女性にあるまじきことであるように書かれていた。
聖職者の高慢を表したのかと思っていたけれど、実はその聖職者としてもハズレているわけだ。
仕掛け満載。
アンジェロ(藤木直人)は、権力による堕落なのか、修道女萌えなのか、人生経験不足ゆえの免疫なしのお馬鹿さんなのか、そのへんのフォーカスがはっきりしなかった。
が、全部なのかも(笑)。
あとから考えるにこれまたヒドイ男である。
彼自身がセリフで云うように、ただの美人や色香にはまどわされないくせに、修道女にだけは迷うわけだ。
よりによって修道女、つまり「神の花嫁」だよ?
でもってそれを手籠めにした挙句(未遂ですが)、交換条件だった助命を反故にし、訴えられれば「名誉毀損だ」と平気で相手を非難って、凄くない?
この構図がどうにも某国の都知事とかぶってしょうがなかった(笑)。
自分の有能さにあぐらをかいて厚顔を押し通そうとするあたりがまさにクリソツである。
グッドタイミング!!(?)
実に実に普遍的なことなんだねぇ、権威権力による腐敗って(シミジミ)。
公爵(辻萬長)はさぁ、途中だけ見てると領民思いのいいヤツに見えるけどさぁ、そもそも最初に「改革の大鉈はアンジェロに振らせて、自分は安全なところから見ていたい」ってゆーのがさぁ(本当にそう云ってます、本人が)…………それってどーよ?
しかも「天にも昇る喜びを与えるために今は偽ろう」とかってクローディオのことを隠し続けて、けっこう性質が悪い。
最後にイザベラに求婚するところでは、観客席も失笑の嵐ですヨ(もっともその結婚は「罰」であるか、もはや修道院には戻れないだろうイザベラの救済であるという解説もある)。
最初に書いたように二回見たけど、二度とも失笑の嵐でしたヨ。
余談だが、公爵(辻萬長)の喋り方はすごく独特で、目で見なくてもわかるレベルだった。
ルーチオ(大石継太)は気の毒な役回りだった(笑)。
なぜって、観客全員からいっさいの同情なく嘲笑われなければならないから。
この嘲笑が成立しないと、笑いが1/3くらい減っちゃう。
しかも物語をかき混ぜる役であるため、彼のテンポが悪いと全体のテンポも悪くなりそうで難しい。
とゆーわけで、演じ甲斐はあるだろうが損な役回りかも(笑)。
でも文句なく、「ウザ男のチャラ男」でした。狙い通り、かな。
監獄長(廣田高志)は、今回の舞台のなかで一番カッコよかったんじゃなかろうか。
人間としてすごぉくまともだし、他が困ったちゃんだらけなので「ふつうである」ということが光り輝いて見える(笑)。
役者さんは『タイタス・アンドロニカス』でタイタスの長男ルーシアスを演じた人。
あのときから「カッコいい」と目を付けて(?)いたが、やはり所作からカッコいい。
ルーチオと対照的な、わりと美味しい役回りかも。
こういうまともなニンゲンもいないと安心できない観客もいるので、有難し。
ポンペイ(石井愃一)はポン引きで、職業的には「悪党」なんだけど、先に書いたとおり「職業的にマトモな人々」がみんな困ったちゃんであるからして、むしろ彼のほうがまっとうに見えちゃったりする。
ちなみに後半、監獄で「うち(女郎屋)のお客さんだらけだ」と客の名前を挙げていき、最後に「嫌われ者のトランプさんまで!」と笑いを誘うところがあった。
脚本にそれらしき指示はないから、役者さんのアドリブである。
案外、すべての時代でそうした揶揄が挟まれていたかもしれないなと、あとから気づいて、役者としての力に感心したのだった。
今回、BGMが結構おとなしめで、もうちょっと遊んでもいいかなと思ったものの、逆に対比が効いててよかったのかも。
たとえば崇高そうな音楽が流れると、「いやいやそんなイイ場面じゃないでしょ」と心の中で突っ込んでいたもので(笑)。
大道具はシンプルながら遊びもあって、面白かった。
こーゆー仕掛けも見られなくなるかと思うとさびしい。
ほかにもいろいろあったんだけど(エスカラスとかクローディオとか女将とかエトセトラ)、書いてるといつまでも終わらないのでこのへんで。
とにかくよく笑った。
見ていて楽しかった。
これが蜷川シェイクスピアの最後の感想かぁ。
もう見られないなんて。
はたして今後シェイクスピアに心をときめかす機会があるかどうか……。
嗚呼、私の人生、つまらなくなったな~。
おまけの写真。さよなら、蜷川さん。

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