
「仏壇マクベス」と呼ばれ、海外での評価が高かったバージョンを見てきた。
以下、いろいろ書いておりますが、シロウトのたわごとなんであんまり気にしないように。
う~ん、端的に云って辛かった。
そもそも悲劇ではあるんだけど、笑える部分が皆無です。
そして登場人物らのだれもを正当化できぬまま暗い方向へと突き進む物語。
なぜこんな辛い思いをして見てるんだろう?と、首をかしげること頻り(笑)。
さておき、仏壇バージョンを見られたのはよかったものの、個人的には以前見た唐沢・大竹マクベスの方が好き(演出は同じく蜷川)。
あのときは「若者の野心ととらえて演出」というお題目を「はあそうですか」ぐらいにしか受け取らなかったが、今回のマクベスを見て、「なるほど『若者』だった!!」と今さらながら実感した。
何もかもが若々しかったのだ。
悲劇でありながら今回ほどの閉塞感はなく、大竹しのぶの可愛らしいマクベス夫人とのやりとりでは笑いもこぼれた。
今回のは本当に辛かった。
田中裕子のマクベス夫人は(上手いのは上手いので演出の問題だが)、一度もにこりともせず、ただただ恐ろしい。
どちらかといえば「三大悪女」や「夫をミスリードした妻」といった一般的な評価が似合うタイプだった。
それですら良心に打ち勝てずに滅んでいくところはなかなか圧巻ではあったが、大竹版のときのように「悪人だとわかっていても気の毒でしょうがなくなる」ということはない。
まーいろんな意味で「オーソドックス」なマクベスだったんだろーなー。
その代わり、「どうして血族が王位を継ぐの? それを守るのがなぜ忠義なの?」といったオーソドックスな問いも出てきやすい。
特に今回は登場人物全員が「成熟した大人」だったので、マクダフにしても「若くて浅慮ゆえに妻子を死に追いやってしまった」(←前回版はコレ)というよりは、端的に「主君への忠誠を優先し、妻子を死に追いやった(=妻子を棄てた)」という感が強かった。
なんかもー、激しく嘆かれても「自分のせいだろ」とか思っちゃって感情移入できないってゆー……(吉田鋼太郎なのですごく上手いんだけど、これも演出によるよね)。
そんなわけで、コワーイ大人の陰謀と魔女(運命)の悪戯による絶望バリバリのコワーイ「マクベス」だった。
だいたい、最初に舞台の両端に現れ、仏壇の扉を開け閉めする以外は両裾でずーっと編み物したり弁当食べたりしてる婆さんズがいるせいで、「エライさんがどうなろうと庶民には無関係でござい」的に感じられちゃって一切感情移入ができん!!
実はその存在を無視できない婆さんズ(笑)。
まったく、脚本が同じでも、演出でこんなに色が違うとは。
あとは、今回はBGMの使い方がイマイチ気に入らなかった。
全体に気に入らなかったんだけど、特にバーバーのアダージョの使い方がどう考えても下手を打ってた。
好きなのに!(バーバーのアダージョが)
まあそんな感じで、そもそも脚本が辛いのに、そのうえさらに辛い観劇だった(笑)。
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