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2014年10月21日 (火)

【舞台】蜷川「ジュリアス・シーザー」(彩の国さいたま芸術劇場、埼玉・与野本町) #蜷川 #シェイクスピア #ブルータス #シーザー


ついにこれを書くときが来てしまった……。
といいつつ、このあとまだ3~5本、舞台について感想を書かなならん……観すぎだ、私。
そんなわけで、あとも控えていることだし、時間は経っちゃったし、サックリと記録だけ(現在11/10)。

シェイクスピアなので二回観に行った。
一回目は14日。
このときは前半のセリフがやたら早くて(あるいは早く感じられて)、すごく聞き取りづらかった。
あと、当日ツイートしたけど、めずらしいことにどこに焦点を合わせているのか、演出の意図みたいなものがぼやけているように感じられた。
中途半端というか。
カタルシスがないっちゅーか。
一緒に観に行った友人は、「年末の24時間時代劇を見ているようで楽しかった」と云っていたが(もちろん、自分にしたって面白くないわけじゃなかったのだが)。

で、二回目。
セリフが全部聞き取れた!!
座席の良し悪しなのか?(14日はB席、21日はS席)
それとも、もしや同様の感想が届いて、前半のセリフ回しを若干ゆっくりにしてくれたとか……?
というわけで、二回目の今回は舞台がすんなり入ってきた(変な表現だけど他に云いようがない)。
前回より明らかに「わかりやすかった」。
これが、蜷川演出の舞台(主に古典)を見に行く理由なんだよね、私にとっては。

さて、タイトルは「ジュリアス・シーザー」ながら(シーザーその人も出てくるけど)、主役はブルータスである。
友人シーザーが王位に就くことを恐れ悩むブルータスは、キャシアスに誘われてシーザー暗殺に加担する。
だがその後、アントニーの演説に扇動された民衆によりローマを追われ、郊外でオクタヴィアヌス・アントニー合同軍と戦い、散ってゆく。

云ってみれば、「名誉と正義を貫いた漢(おとこ)の生きざま」を描いた舞台である……はずである。
ただ、「テロリズム」という概念を得てしまった現代人には、ブルータスの行為もテロでしかないので、そんな単純な見方ができなかったりする。
それでも、おそらくこの作品では「ブルータス=正義」なんじゃないかと感じることができるのは、アントニーによる扇動後に、シナという無実の詩人が暗殺に加担した元老院議員のシナと同じ名前だというだけで、民衆により血祭りにあげられる場面があったからだ。
民衆の愚かさを描くような戯曲ならともかく、時代的に見てこれは違うんじゃないか。
とすると、「アントニーに踊らされる愚かな民衆」によって「アントニーの狡さ」を描いたと想像できる(根拠のないでっちあげですスミマセン)。
それとも単なるイングランド的シニシズムなのかしらん。
ともあれ、たくさんいる民衆を引っ張ったりとりまとめたりする役の、たかお鷹が上手いので、民衆の心情がダイナミックに移るようすもわかりやすかった。

全体にすご~くシリアスな戯曲で、道化が出てこないし、戯曲側からは笑いがほとんど用意されていない。
これなら『マクベス』や『リア王』の方がまだ笑えるぞ~、ってぐらい。
キャシアス役の吉田鋼太郎がそこかしこで小芝居を打ってくれなければ、ほぼ全く笑えなかっただろう(うまいよねーホント)。

ああ、ほかに一か所、すごく笑えた場面があった。
アントーニオの演説だ。
「デマゴーグってこうやるのね」「『慇懃無礼』のよきお手本ね」などと思わされつつ、みんなして笑わずにはいられなかった。
どっちかってーと「失笑」でしたが。
まぁ、こんな感想を持つのも、アントーニオ役の藤原竜也の演説がよかったからだろう。
いや~な敵役をいや~な感じに(見た目だけ爽やかに?(笑))こなしていた。
(そしてそういう感想を素直に引き出すセリフを構成するシェイクスピアって……)

藤原竜也といえば、最後の会戦の場面で、彼だけ振りが和式チャンバラになってて笑った。
そんな腰を落とさなくていいんだよ、ローマ人!!(笑)

まあ、結果的には楽しんだ。
うん、面白かった。
役者さんはみんな上手かったし、文句なし(言及しなかったけど、ブルータスもシーザーもよかった)。
どこを取り出して見せられても「安心して見ていられる」(……オクタヴィアヌスだけちょっとイマイチだったかも)。

ただやっぱりどうしても……何と云えばいいんだろう、どこがノド(結び目)なのかわからないというか……
ブルータスの生きざまに胸を打たれながらも、結局はカタルシスが得られなかったのか(カタルシスで大げさなら、ある種の「衝撃」というか)。
まー、カタルシスを得させる一番簡単な方法は、ブルータスを人間の中の人間として祭り上げ、最後に大きな悲しみを持ってくるようなやり方だろう。
「名誉」を重んじる思想に共感できなければ、ブルータスを果てしなく祭り上げることは難しく、それがカタルシス不良(?)になっているのかも。
その意味で自分の中ではまだ終わっていない(完成形でない)演目のような気がした。

人間の中の人間、で、思い出したけど、最後にアントーニオがブルータスのことを「女神ガイアも云うだろう、『彼こそは人間だった』と」みたいなセリフを吐くのだが、この「ニンゲン」ってなんだろう?
彼は「ニンゲン」で、他は未熟だから「ニンゲン未満」???
名誉をまっとうするのが「ニンゲン」?
……………わからん。

いろいろ考えされられる戯曲である。シェイクスピア畏るべし。


おまけの写真ズ。


20141021caesar1
ポスター。


20141021caesar2
先ごろ急逝された中川安奈さんを悼んで(ブルータスの妻役で出演する予定だった)。

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