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2014年10月の記事

2014年10月30日 (木)

【グルメ】Booooose ボウズ  #Booooose #ボウズ #西日暮里


以前から気になっていたお店に、初めて入ってみた。

ボウズの店内・お昼時

店内の様子。

店内はシックな色調。
奥に向けて細長い間取りだが、一番奥の席でも明るかった。


セットのパンとサラダ

パンとサラダ。

最初に出てくるパンとサラダ。
サラダのボリュームが多すぎず少なすぎずちょうどいい。
そして、パン!
パンが美味しい!!
すごく美味しい!!
このパンを食べるためだけにもう一度行ってもいいくらい(笑)。
自家製かどうか聞いてみればよかったな~。


ブロッコリーと小海老のアラビアータ

ブロッコリーと小海老のアラビアータ。

見た目にまったく想像と違うものが出てきた(笑)。
それはさておき、辛さがきちんとあって、なかなか美味しかった。
ボリュームも「少なすぎる~」と不満に思わずに済む量だった(逆に、少食な人にはちょっぴり多めなのかも?)。


セットのデザート

デザート。

ひとくちデザート。なんだかよくわからなかったが(すみません)、付け合せのクリームと一緒に食べるととても美味しかった。


食後のコーヒー

食後のコーヒー。

食後のコーヒーは普通のお味。

総じて美味しかった。
最大の難点は、パスタが出てくるまでにかなり時間がかかったこと。
時刻までに会社に戻れるかと、結構ヒヤヒヤした。
あとは他店と比べてランチのお値段がやや高め。
気持ちやお財布に余裕があるとき、たま~にちょっぴり贅沢気分でランチするのによさそうだが、初動は限りなく速くせにゃならんであろう(12時になったら会社を飛び出さないと(笑))。

ボウズ
昼総合点★★★☆☆ 3.0

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2014年10月28日 (火)

【舞台】「半神」(東京芸術劇場、東京・池袋)  #半神 #野田秀樹 #萩尾望都 #東京芸術劇場


昔のことになりにけり(現在11/19)。
ざっとだけ。

外国語による上演にもかかわらず、非常に満足できる舞台だった
泣ける舞台は久しぶりだ。

この作品はもともと萩尾望都のマンガ『半神』が原作だ。
マンガといってバカにするなかれ、原作は下手な小説よりはるかにリリカルな作品である。
それを、野田と萩尾が共同で脚色し、舞台脚本に仕立てた。
確か20年くらい前にも上演していて、原作が好きだった自分は興味を持って見に行った。
そのときもなかなかいい舞台で、「現代人の孤独を描いているなぁ」と思ったことを覚えている。

今回はかなりエネルギッシュな舞台だった(以前見に行ったときは静かで真っ白だったような印象がある)。
脚本はもちろん多少変えてきている。
しかし何より、韓国の役者さんたちが、上手い。
身体表現が大らかで自在なのだ。
だれもかれも文句なく上手いけど、特に主役のシュラとマリア、そして狂言回しの先生とおじいちゃんは特に自在で上手かった。
シュラとマリアなんて、原作を知っている人間からしても(原作の舞台が欧米のどこかだろうことを知っていながらも)、本当にホンモノとしか思えない。
マリアは最後の方までほぼセリフなしだが、まるで赤ん坊のように振る舞っており、本当にそうとしか見えない。
シュラはシュラでちゃんと「醜さ」を表していて、おかげでその立場に同情するだけでは済まなくなっており、その分、彼女の苦悩は深く見えた。

観客は同時通訳式にイヤホンでセリフの和訳を聞き取る。
これがかなり煩わしかった。
字幕を見ると、日本語を読んでいるあいだ、俳優たちの身体から目を離すことになるので、それを避けての処置だと思うが、煩わしいものはやっぱり煩わしいんである(笑)。
にもかかわらず、セリフに込められた感情はかなり聞き取れたように思う。
上手いんだよ、めちゃくちゃ。

孤独はここでも描かれていたものの、前回よりももっと双方向的な孤独であるように感じられた。
双方向の孤独って、変な用語だね(笑)。
なんと云えばいいんだろう、我々が何かを失ったとき、失われた何かも等しく我々を失っており、我々だけが孤独に陥るのではないという感じ?
もう少し具体的に云うと、前回はとりわけ「気の毒なシュラ」の孤独ばかりが気になったけれど、今回は、何も失っていないように見えるマリアもやっぱり失って孤独の危地に立たされているような見え方……全然具体的じゃないデスね(汗)。

まぁとにかく、単線的だった現代人の孤独は、世界とともにすでに多重構造化を果たしているのかもしれない。
孤独は彼我のあいだで響き渡っており、「孤・独」であるにもかかわらず、「だれか一人のもの」と云い得ないものに成り果てているのかもしれない。
ちょうど、こだまを繰り返していずこが音源かわからなくなった霧笛のように。
どこでいつ何を失うかもしれない、常に何かを失い続けているかもしれないこの世界で、だからこそ、「さよなら」を云える関係が、ぬくもりを与えるのかもしれない。
たとえ最後は別れを告げるのだとしても。

言語の壁は確かにある(「すばらしい作品には言語の壁などない!」なんてことは云わない)。
それでも伝わるものがあるときはちゃんと伝わるものなのだ。
それはブルックの舞台を見てすでに知っていたことだけれど、ここでもやっぱりそうだった。
面白いものは、言葉が聞き取れなくても面白いんである。
泣けるものは、言葉がわからなくても涙が止まらなくなるのである。

「面白い」といえば(?)、BGMに生演奏を使っていて、これが絶妙だった。
場面や動きに合っていたし、ちゃんと聞こえて、それでいて全く「邪魔にならない」。
奇しくも、先だっての『小指の思い出』のダメなBGM演出と正反対である。
まるで「生演奏はこう使うものだ」というお手本のようだ。
同じ野田脚本でも演出が違えば……ということが如実にわかってしまったのは、いささか皮肉な話であった。

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2014年10月27日 (月)

【グルメ】志げ  #志げ #西日暮里


西日暮里でお勧めの焼き魚屋さん(ちょっと違う)。
もっとも今日はワラサ丼というやつを注文した。
ワラサってブリになる前の呼び名なんだって。
ハマチやイナダは知ってたけどワラサは知らなかった~(ハマチやイナダ<ワラサ<ブリ らしい)。
ブリは好きなので、きっとおいしかろうという目論見。


ワラサ丼


美味しかった♪
身がプリプリでした。
でもブリとどう違うかと問われると、よくわからない(笑)。

志げ
昼総合点★★★☆☆ 3.2

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2014年10月25日 (土)

【舞台】「嘆きのベイルート」(シアターX、東京・両国)  #嘆きのベイルート #シアターカイ #ピープルシアター


もう昔のことになったので、うろおぼえでざっと(現在11/18)。
だいたい、知り合いが出ている舞台の感想というものは書きにくい(笑)。
でもまぁ、正直に書いちゃうよ今回は。
しょせん「シロートのたわごと」なので、気にしないように。

内戦下のレバノン、ベイルートが舞台。
アルメニア系の少年バッサームと幼馴染のジョルジュの二人が主人公だ。
彼らはカジノのあがりをちょろまかしたり、ガソリンを盗んではバイクを乗り回す。
死と隣り合わせのベイルートでも、若者がやることは似たようなものだ。
やがてジョルジュはキリスト教民兵組織に引き抜かれ、いろんな意味で「前線」に出てゆく。
一方、バッサームは爆撃で母親を失う。
苛酷ながらもノンポリな日々(イデオロギーの確立した人間からすれば「無節操」な日々)を過ごしつつ、国外への逃走をますます求めるようになり……。

といった感じのあらすじだったと思う。
今回の演出ではバッサームが主人公であり狂言回しである。
ジョルジュも一応ダブルで主人公なのだが、「得体のしれないヤツ」のままという演出なので、内面が抉られずに終わってしまい、そのせいで脇役的な性格になっていた。
あくまでもバッサームの視点を通して語られるため、ジョルジュが抱える闇の深さは、最後に一瞬きらめき、そこで露わになるだけだ(まぁ、それでも充分に闇を想像できたと思うけれど)。

スピード感のある舞台だった。
まさに、場面から場面を駆け抜ける感じ。
頭のいい舞台装置が用意されていて、場所の移り変わりは非常にスムーズに理解できた。
ただ、事件の起こらない場面がないため(笑)、逆に盛り上がりに欠けた。
したがってカタルシスも得にくい。
まぁここの劇団は社会的問題を顕わにし突きつけることを主眼としているようだから、内面だの掘り下げだのから逆転して出てくるような衝撃は、求めるのが筋違いなのかも。
キライじゃないんだけど、詰め込みすぎな気が……。
たとえば、バッサームに焦点を合わせるなら、最後の渡航後のエピソードは要らなかったんじゃないかと思う。
あの部分は、ジョルジュという存在に焦点を合わせた演出でこそ生きてくるのでは?

そう思ったのは逆に云えば、バッサームが旅立つところの演出がよかったからなんだけど。
舞台の中央奥には垂直に梯子がかかっていて、それまでは舞台装置としては何の役目も果たさず、こちらもほとんど意識しなかったんだけど、バッサームがジョルジュを置き去りにして(あるいは死に追いやって)ベイルートを去るその瞬間に、その梯子が切って落とされる。
その瞬間に、「あ、ヤコブの梯子だったんだ」と得心した。
慈悲深いカミサマが梯子を落とすかどうかは怪しいので、やはりバッサーム自身が天国への道をみずから絶ったのかな。
地獄行きを覚悟して、それでもベイルートから立ち去らずにはいられなかったのか。
などと瞬時に考えさせられる、「あっ」という発見のある場面になっていた。
ここで終わらせれば「バッサーム編」は完璧だったと思うのに(笑)。
「ニンゲン」ではなく「社会現象」をクローズアップしようとするゆえに、そうした視点にならないのかも。

役者さんは上手い人が多かった。
前回の『蝦夷地別件』よりも全体にレベルが高くなっていた気がする。
『蝦夷地』よりもセリフが聞きとりやすかった(あのとき全セリフを問題なく聞けたのは、坊さん夫婦とこわい母ちゃんだけデシタ)。
今回一番印象に残った役者さんは、民兵のハディド役だったかな。
臆病な、実は人のいい民兵に向かない民兵さん(笑)。
カッコいい役でもなんでもないんだけど、私にとっては存在感があった。

バッサームは……実は別件で師匠筋にあたる方なのでめったなことは書けないんだけど……ガクブル。
いっか。私的日記だし。もう時間経ってるし。
『蝦夷地別件』にも出演されていたが、あのときよりも横や後ろを向いたときのセリフが聞きとりやすくなっていた。
私が観に行った日はすでに前楽だったが、声もしっかりして、息切れせずに駆け抜けている感じだった(あとでご本人から体力をギリギリもたせているようなことを聞いたが、全く問題なさそうだった)。
あとは、セリフの強弱を出せるようになればもっといいな~(特に「弱」)。

いろいろ書いちゃったけど、嫌いな演出ではないので、またご縁があれば(エラソーですみません)。

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2014年10月22日 (水)

【グルメ】かまどダイニング お鉢とでん米  #お鉢とでん米 #日暮里


真面目な日記ばかり書き疲れたので、閑話休題。
久々にランチ訪問記である(本当は昨日分だけどこちらで)。

日頃あまり行かないお店にトライ。
焼き鳥丼というのを頼んでみた。
そして出てきたものを見たらどんぶりじゃなかった(笑)。

ご飯を減らしてもらったんだけど、全体に結構なボリューム。
お味もまぁまぁ美味しかったが、何がいいって「盛り付け」だね。
見ているだけで楽しかった。
まあまあでした。
焼き鳥丼




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2014年10月21日 (火)

【舞台】蜷川「ジュリアス・シーザー」(彩の国さいたま芸術劇場、埼玉・与野本町) #蜷川 #シェイクスピア #ブルータス #シーザー


ついにこれを書くときが来てしまった……。
といいつつ、このあとまだ3~5本、舞台について感想を書かなならん……観すぎだ、私。
そんなわけで、あとも控えていることだし、時間は経っちゃったし、サックリと記録だけ(現在11/10)。

シェイクスピアなので二回観に行った。
一回目は14日。
このときは前半のセリフがやたら早くて(あるいは早く感じられて)、すごく聞き取りづらかった。
あと、当日ツイートしたけど、めずらしいことにどこに焦点を合わせているのか、演出の意図みたいなものがぼやけているように感じられた。
中途半端というか。
カタルシスがないっちゅーか。
一緒に観に行った友人は、「年末の24時間時代劇を見ているようで楽しかった」と云っていたが(もちろん、自分にしたって面白くないわけじゃなかったのだが)。

で、二回目。
セリフが全部聞き取れた!!
座席の良し悪しなのか?(14日はB席、21日はS席)
それとも、もしや同様の感想が届いて、前半のセリフ回しを若干ゆっくりにしてくれたとか……?
というわけで、二回目の今回は舞台がすんなり入ってきた(変な表現だけど他に云いようがない)。
前回より明らかに「わかりやすかった」。
これが、蜷川演出の舞台(主に古典)を見に行く理由なんだよね、私にとっては。

さて、タイトルは「ジュリアス・シーザー」ながら(シーザーその人も出てくるけど)、主役はブルータスである。
友人シーザーが王位に就くことを恐れ悩むブルータスは、キャシアスに誘われてシーザー暗殺に加担する。
だがその後、アントニーの演説に扇動された民衆によりローマを追われ、郊外でオクタヴィアヌス・アントニー合同軍と戦い、散ってゆく。

云ってみれば、「名誉と正義を貫いた漢(おとこ)の生きざま」を描いた舞台である……はずである。
ただ、「テロリズム」という概念を得てしまった現代人には、ブルータスの行為もテロでしかないので、そんな単純な見方ができなかったりする。
それでも、おそらくこの作品では「ブルータス=正義」なんじゃないかと感じることができるのは、アントニーによる扇動後に、シナという無実の詩人が暗殺に加担した元老院議員のシナと同じ名前だというだけで、民衆により血祭りにあげられる場面があったからだ。
民衆の愚かさを描くような戯曲ならともかく、時代的に見てこれは違うんじゃないか。
とすると、「アントニーに踊らされる愚かな民衆」によって「アントニーの狡さ」を描いたと想像できる(根拠のないでっちあげですスミマセン)。
それとも単なるイングランド的シニシズムなのかしらん。
ともあれ、たくさんいる民衆を引っ張ったりとりまとめたりする役の、たかお鷹が上手いので、民衆の心情がダイナミックに移るようすもわかりやすかった。

全体にすご~くシリアスな戯曲で、道化が出てこないし、戯曲側からは笑いがほとんど用意されていない。
これなら『マクベス』や『リア王』の方がまだ笑えるぞ~、ってぐらい。
キャシアス役の吉田鋼太郎がそこかしこで小芝居を打ってくれなければ、ほぼ全く笑えなかっただろう(うまいよねーホント)。

ああ、ほかに一か所、すごく笑えた場面があった。
アントーニオの演説だ。
「デマゴーグってこうやるのね」「『慇懃無礼』のよきお手本ね」などと思わされつつ、みんなして笑わずにはいられなかった。
どっちかってーと「失笑」でしたが。
まぁ、こんな感想を持つのも、アントーニオ役の藤原竜也の演説がよかったからだろう。
いや~な敵役をいや~な感じに(見た目だけ爽やかに?(笑))こなしていた。
(そしてそういう感想を素直に引き出すセリフを構成するシェイクスピアって……)

藤原竜也といえば、最後の会戦の場面で、彼だけ振りが和式チャンバラになってて笑った。
そんな腰を落とさなくていいんだよ、ローマ人!!(笑)

まあ、結果的には楽しんだ。
うん、面白かった。
役者さんはみんな上手かったし、文句なし(言及しなかったけど、ブルータスもシーザーもよかった)。
どこを取り出して見せられても「安心して見ていられる」(……オクタヴィアヌスだけちょっとイマイチだったかも)。

ただやっぱりどうしても……何と云えばいいんだろう、どこがノド(結び目)なのかわからないというか……
ブルータスの生きざまに胸を打たれながらも、結局はカタルシスが得られなかったのか(カタルシスで大げさなら、ある種の「衝撃」というか)。
まー、カタルシスを得させる一番簡単な方法は、ブルータスを人間の中の人間として祭り上げ、最後に大きな悲しみを持ってくるようなやり方だろう。
「名誉」を重んじる思想に共感できなければ、ブルータスを果てしなく祭り上げることは難しく、それがカタルシス不良(?)になっているのかも。
その意味で自分の中ではまだ終わっていない(完成形でない)演目のような気がした。

人間の中の人間、で、思い出したけど、最後にアントーニオがブルータスのことを「女神ガイアも云うだろう、『彼こそは人間だった』と」みたいなセリフを吐くのだが、この「ニンゲン」ってなんだろう?
彼は「ニンゲン」で、他は未熟だから「ニンゲン未満」???
名誉をまっとうするのが「ニンゲン」?
……………わからん。

いろいろ考えされられる戯曲である。シェイクスピア畏るべし。


おまけの写真ズ。


20141021caesar1
ポスター。


20141021caesar2
先ごろ急逝された中川安奈さんを悼んで(ブルータスの妻役で出演する予定だった)。

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2014年10月17日 (金)

【展示】「日本国宝展」(東京国立博物館、東京・上野)  #国宝展 #東博


時間がたってしまったので、簡単に(現在11/6)。

非常に面白かった。

前半オンリーの展示物を見るため、頑張って(無理矢理)時間を作って行ったのだが、その甲斐はあった。
前半の目玉は、普賢菩薩像(仏画)と仏涅槃図と正倉院御物と、等伯の屏風絵である。

正倉院御物はとても綺麗な状態だった。
この状態に保つために開いたり閉じたりを繰り返しているのかな(閉じっぱなしでも傷みます)。
そうやって何百年ももたせるのかな(気が遠くなりそう)。

等伯の屏風絵は大きかった。
「目玉」作品のはずなのだが、その割に人が少なくて、近くで見た後は少し後ろから全体を眺めたりできてよかった。
贅沢贅沢。
この人の作品は嫌味がなくて好き(嫌みがない=地味とも云う)。

まぁほかにもいろいろあったんだけど。
そうそう、善財童子は、写真で見るより実物の方がかわいらしかった。
童子さまともう一体並んでいた立像(羅漢?)が、他の彫像になく物凄く生き生きしていて(ちょっぴりギリシャ彫刻っぽいところもあって)、確認したらやっぱり「慶派」だった。
本当に独特だなぁ。
すごいなぁ、慶派。

ああ、あと面白かったのは地獄絵図。
いろんな地獄が描かれているんだけど、酒がらみの地獄絵図に「酒に水を混ぜて売った者が落ちる地獄」ってのがあって、笑った。
昔から「水増し」されてたのね。
そして「水増し」された酒に対する恨みは深いのね(笑)。

いろいろ、いろいろ見どころがあった。書ききれないくらい。
まだの方はぜひ一度。
行って損はない。
ちなみに後半の目玉展示が始まるのは11月21日から。
はっ。私ももう一度行かなきゃ……!!

▼公式サイトはこちら。
http://kokuhou2014.jp/index.html

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2014年10月 7日 (火)

【グルメ】肉屋の台所 その2  #肉屋の台所


二度目のランチ訪問。
今回は生姜焼きを頼んでみた。

失敗だった。
すごく醤油辛い。
味が濃すぎて、お肉も生姜の風味も味わえない。
薄味好きの私としては、特につらかった。

他のメニューにすればよかった~。
ステーキ丼は美味しかったのに~。
生姜焼きは、自分的にはおススメしない。

次回はカレーにしてみよう。

ロース生姜焼き


▼以前のレビューはこちら
http://tomatian.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-cce3.html


肉屋の台所

昼総合点★★☆☆☆ 2.7



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2014年10月 4日 (土)

【リサイタル】ピエール・ロラン・エマール「バッハ平均律全曲演奏会」(彩の国さいたま芸術劇場、埼玉・与野本町)  #エマール #バッハ平均律


昔の話になってしまったので、本当に簡単に記録だけ(現在11/5)。

何年振りかなぁ、この人の演奏を聴くの。
やはりここ埼玉で初めて聴いたのだった。
今は「エトワールシリーズ」になっちゃったけど、昔はピアノリサイタルシリーズは別に新人に限らなくて、そのシリーズの一回に彼がよばれて来ていたのだった。
その「ピアニスト100」シリーズは2~3年継続して聴きに行っていた。
どの人もうまかったけれど、名前をばっちり覚えたのは数名のみだった、その一番印象の強かった一人である。

なんて綺麗に弾くんだろう、と、あのときも思ったが、今回も同様だった。
でもって今回はなぜだか、雲の上にいるように終始ふわふわぼんやりと聴いてしまった。
「次の曲だ……次の曲……次……」と、聞いているうちにいつの間にやら終わっちゃったという……。
……………バッハの曲は美しい。

そもそもの演奏時間が長かったせいか、アンコールもサイン会もなかったのはちょっぴり残念だった。
まぁ、とてもいい客層で(皆、最後の余韻が消えるまで拍手を堪えていた)、非常にいい席で聴けたので満足した。

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2014年10月 1日 (水)

【映画】「世界一美しいボルドーの秘密」 Red Obsession  #ボルドーの秘密 #RedObsession


日記を書くのが追いつかないよ~(>_<)。
これも昔の話なので見た記録だけ(現在10/31)。

あらすじ 何世紀にもわたって、富、権力の象徴とされてきた、世界一と称されるボルドーワイン。しかし、その繁栄の裏には、刻々と変化する世界市場とグローバル経済とが密接に結びついている。そして今、ボルドーは、大きな危機に直面している。欧米の伝統的な顧客は減少し、中国を筆頭とする新興国の富豪によって、ボルドーは凄まじい価値まで押し上げている。2013年に赤ワインの消費量が世界一となり、すべて“を手に入れようとする中国の需要に対し、果たして伝統あるボルドーのシャトーたちは、この状況にどのように立ち向かうのか。移り変わる時代の中で、世界最上級の品質と誇りを維持してきたボルドーの知られざるワインビジネスと、ワインに熱狂し、魅入られた人々の姿に迫るーーー

「このあらすじじゃわかんない」という方は、こちらへどうぞ。
↓どういう映画であるか、非常によくまとまっている。
フードウォッチジャパンの紹介記事

ドキュメンタリー映画である。
ボルドーワインに取り憑かれた人々の映画である。
きっと「妖怪ボルドゥ」とかって強力な妖怪がいるに違いない(世界で起きるすべてのことは妖怪のしわざだからネ)。
妖怪の存在非存在はともかく、「憑かれた」という字がピッタリであることは疑いない。
原題も「Red Obsession」だしね(obsession ... 〔頭から離れない〕強迫観念、妄想、〔人が強迫観念に〕取り憑かれていること)。

ボルドーワインの歴史や、経営者の誇り、生産者の愛情などが語られていく一方で、現在ボルドーワインが直面している社会的経済的現実が暴露されていく。
その「現実」とは、中国の消費参入により、バブルを迎えている(いた?)ということ。
2010年には5年前の倍以上の価格になったらしい。
ただし、中国で求められるボルドーワインとは、ほぼ「ラフィット」と「ラトゥール」のみ。
この二つのブランドが、中国マーケットにおけるブランディングに最初に成功したわけだ。
でもって世界最大のワインコレクションは「大人のオモチャ」事業で成功した中国人大富豪のものになってたりする(この大富豪の飼ってる猫がかわいかった)。

あとでいろいろ読むと、こうしたボルドーワインは「わいろ」に使われるんだって。
この映画中でもすでに価格は下落して、ボルドーワイン市場には影がさしていたが、現在はもっと厳しい状況らしい。
習近平体制下の腐敗防止キャンペーンで、公務員が公金で上司への贈り物を買うのが禁止されたため、中国のボルドー輸入は減少しているんだそうだ。
価格上昇で欧米の愛好家たちが離れていっている今、新規の(そしてメインの?)顧客である中国に買い渋られたらかなりの打撃だろう。
いずれにせよ、中国勢力はこれからもボルドーワインを翻弄し続けるのだろう(原題のRedはワインの赤と中国の両方を指す)。

そういうボルドーワインを取り巻く複雑でグローバルな経済状況をわかりやすく見せてくれる一方で、ワイナリーのワインに対する愛情も描き出されており、そこは観客としてちょっと安心できる部分である。
たとえば、シャトー・バルメのCEOだったか、作柄のよくない年に「今年のブドウは内気で、注意して耳を傾けないとメッセージが聞き取れない」ようなことを大真面目な顔で云っていた。
そういうところは「職人魂」を彷彿とさせてくれる。
また、シャトー・ペトリュスの顧問のワインに対する熱愛ぶりは半端じゃなかった。
そもそも飲むのが好き(笑)。
お客と一緒にランチでマグナム(!)ボトルを3本空けたとか云うんである(笑)。
その彼も、優れたワイン造りに必要なのは、天候より技術より何より「愛情」だと言い切る。
こうした場面を通して映画は、ボルドーはマーケティングにうつつを抜かしているだけじゃない、そこには何に翻弄されようとも変わらない「魂」があるということを、信じさせてくれるわけだ。

もう一つ、ワイン熱が高まった中国で、自国でワインを生産する試みが始まっているらしい。
ウィグル自治区の砂漠を使って、ブドウ栽培をしているようだった。
「何もかも自分のものに」的な貪欲な話かと思ったら、ボルドーで修業したという中国人責任者が出てきて、彼の話を聞くかぎりはとても真面目に誠実にやろうとしているみたいで、素直に「がんばれ」と応援したくなる感じだった。
中国国内のボルドーワイン熱が冷めても、国産ワインは軌道に乗るといいな(砂漠の緑化にならんだろうか)。
なお、彼がそこで作ったワインは、英国のワイン雑誌かなんかが主催するワイン大会で、ブラインドテイスティングによって優勝したらしい。

まぁ、とにかく面白いドキュメンタリーだった(食べ物関連のドキュメンタリーってやっぱり面白い(笑))。
しかしまぁ、ワインに詳しくない自分が云うのもなんだけど、美味しいワインってボルドーばかりじゃないと思うんだけどねぇ。
名も知れないワイナリーや修道院のワインだって美味しいものはあって、人ひとり幸せにするくらいの力は持っているものですよ。
それもリーズナブルなお値段でね。
そんなふうに思うのは庶民ゆえなのか。


▼読んで面白かったレビュー
ワインレポート: 中国が投影するボルドーの光と影、映画「世界一美しいボルドーの秘密」

ワイナート: ワイン生産者の顔をもつ映画監督が描く、映画「世界一美しいボルドーの秘密」の撮影裏話(前編)
ワイナート: ワイン生産者の顔をもつ映画監督が描く、映画「世界一美しいボルドーの秘密」の撮影裏話(後編)

▼この映画の日本公式サイト
http://www.winenohimitsu.com/index.html

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