昔のことになりにけり。記録だけ(現在9/6)。
ちょっぴりネタバレがあるので、気になる人はここでストップ。
相変わらず悪役の出てこない話を描くなぁ、この人は。
悪役どころか善悪の彼岸(善も悪もない立場)でお話を描いてるよ。
空と風景の美しいアニメだった。
ヒトよりもまずソラ。何よりもソラ。
ここのところが、飛行機を愛する者たちの美しさであり、罪なんだろう、きっと。
まぁとにかく画面が美しい。
音と映像を楽しむためだけであっても、観に行く価値のある作品だった。
私だけかもしれないけれど、ジブリ作品を見ていて、「アニメの背景は実写に敵わない」と思ったことがない。むしろ、思えない。
アニメで描かれる風景を見て「美しい」と思うのは、それが現実に近いからではなく、むしろ心地よく捨象されているからなんだろうと思う。
「美しい」と感じるかどうかは、捨象のやり方がどれだけ見る人に心地いいかどうかにかかっているのではないか(リアリティもその点において機能するのであって、どれだけ詳細にリアルであるかはむしろ顧みられないのではないか)。
などと、今作を見てつらつら考えたり。
震災はともかく戦争についてはあまり描かれていないのだが(別に批判しているわけではない、念のため)、軽井沢で出会ったドイツ人に「ここはイイ。何もかも忘却できる」といったことを語られていたときは、かなり恐ろしかった。
画面もコワイんだけど(笑)、どっちかっていうと言葉がコワイ。
一種の断罪だよなぁ。
私は個人的には『千と千尋の…』の方が好きだが、これはもうちょっと時間を置いて何度か繰り返し見ないと「わからない」作品だと思う。
半年空けてもう一度見たら、違うところに気づいてしまうんじゃないかって気がする。
というわけで、断定的な感想は保留する(書くのがめんどくさいからってわけじゃないよ~、ホントだよ~)。
それにしても禁煙協会だかなんだかの意見文は興ざめだった。
特に菜穂子のそばで吸うシーンについてのいちゃもんは浅薄だ。
見れば端的にわかるが、あれは、二郎のそばにいるためにまさに彼女が一瞬一瞬「命を削って存在している」ことを示す場面であり、タバコはその小道具としてこれ以上ないくらいふさわしい。
意見文のように「心情をあらわすのに他の方法があったはず」などと浅いことを言ってる時点で本質をとらえられていないことが明らか。
あんなに具体的に表現されているのに、そこに目を向けようとしないってどういうことなんだろう。
誤解のないように書いておくと、私はタバコが嫌いだし(特に喫煙者の「マナーの悪さ」は大嫌いだしマナーの悪い奴を見ると「滅べばいい」と思う)、禁煙スペースの拡大を歓迎する人間だ。
それでも、「喫煙者ゼロになるべき」とは思わない。
禁煙協会の意見文は、まさに「喫煙者はいなくなるべき」という主旨が感じられて、排他的すぎて逆に共感できなかった。
麻薬ならともかく、タバコを吸う自由は個人のものだ。
タバコを吸う人も吸わない人もいる――そうした多様性が寛容を生み、寛容は想像力を育て、想像力は多様性に対する寛容を保証する。
まぁ、私見では、吸わないにこしたことはないと思うのだけどね。
さらに余談だが、作中のタバコの吸いっぷりを見ていて、大学時代のとあるゼミを思い出した。
ああいう感じだったなぁ。部屋中、タバコの煙でもくもくになっちゃうの。そのまま5時間くらいぶっ通しでゼミ(笑)。クリスマスイブにまで補講をやられたりして……(遠い目)……当然、その日ももくもく。
でも(私はタバコが苦手だけれど)それだからゼミを嫌いになることはなかったし(予習とか凄く辛かったけど不思議なことに「出たくない」とは一度も思わなかった)、もう一度あれと同じ時間を得られるなら、タバコの煙くらいいくらだって我慢すると思う。
なぜってそんなのに構っていられないほど刺激的で、二度とない貴重な時間だったから。
結局、人のこころを動かすのは、善悪などではないのだろう。
しかし、この点を認められない人種には、ジブリのアニメは批判対象としかなり得ないのかもしれない。
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