舞台:「じゃじゃ馬馴らし」(さいたま芸術劇場・大ホール、埼玉・与野本町)
蜷川演出、シェークスピア喜劇の「じゃじゃ馬馴らし」を観てきた。
オールメールプログラムなので、女性役も全部男優が演じている。
まぁ、今回は何も心配しなかった。
主役のキャタリーナ(ケイト)が市川亀治郎だから(笑)。
なんつーか……こんな阿呆なペトルーチオ(筧利夫)は初めて見た。
ペトルーチオって、もっとこう……才気煥発で征服欲に燃える男、みたいなイメージがあったのだが、筧のペトルーチオはただの阿呆というか、いっそ狂人に近い。
そう、性格破綻者、かな。
たとえば、持参金さえあればババアとだって結婚するという台詞が、ジョークではなく本気にしか聞こえない(今まではペトルーチオ流のユーモアだと思っていたが…)。
ケイトとの「舌鋒鋭い掛け合い」と呼ばれる部分は「掛け合い」になっておらず、単に怒鳴りあっているだけに聞こえるし(だいたい早口で何を言ってるか聞き取れん)、二幕の「調教」は根競べというよりは「DV」だ。
舞台全体は喜劇らしく、可笑しくて笑い転げていた。
出来もいい。
ただ、ペトルーチオに関してはどうしても「いいのか、これで?」と疑問を呈さずにはいられない。
だってこれじゃー、とにかく嫁に出したいばかりに姉娘をイカレた男に嫁がせる父親と、とにかく残りの人生を遊んで暮らすために金目当ての結婚を強行するイカレた男のハナシだよ?
いいのか、それで???
もっとも、ペトルーチオが頭脳犯ではなく性格破綻者となったおかげで、「眠らせないのって、それって『洗脳』だよね?」といった調教の企ての数々から、知的な意味合い、すなわち彼の「意図」が剥奪され、単に「メチャクチャやってるだけ」になってはいた…かも。
(あの「調教」を意図してやってるとすると、取りようによっては「陰惨」な話になるので……)
ラストのケイトの演説は、シェイクスピアの時代背景を考えるとしょうがないといえばしょうがないんだけど、結構男尊女卑で(「夫は妻にとって君主」となる)、昔から好きになれない部分であった。
今回、現代という時代にこの台詞をどう料理するかと期待していたのだが、別に普通に喋られてしまった。
台詞が固定されている以上、どうしようもないのかもしれないが……ちょっと残念。
それとも私が何か見落としているのかなぁ?
確かに、その後のルーセンショーとビアンカのやりとり(元の脚本には無い部分)は、ひっくり返すようなところがなきにしもあらずだったが………。
もう一度観て考えよう。次の観劇は23日(土)。
さっきも書いたけど、舞台全体の出来はいいと思う。
笑い転げたい方にぜひオススメ(上記のような七面倒なことは考えないでOK)。
今回は18時半からと開演時刻が早く、21時半ごろに終わるのもありがたかった。
(22時以後になるともうグロッキーで帰宅後寝るしかできなくなっちゃう)
▼公式サイトはこちら。
http://www.saf.or.jp/arthall/event/event_detail/2010/p1014.html
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