舞台:「じゃじゃ馬馴らし」(さいたま芸術劇場・大ホール、埼玉・与野本町)
蜷川版「じゃじゃ馬」、二回目。
二度目だし脚本は読んでるしで、前回よりも台詞が多く頭に入ってきた。
それによって、筧ペトルーチオも「きちがい」ではなくなった(笑)。
(でもぶっ飛んでることに変わりはないけど)
そして最後の亀治郎ケイトがする演説も、「う~ん」と思いはするものの、「女性に限定せずに、ここを聞かせようとしているのか?」と解釈することでちょっと落ち着いた。
「ここ」とは、
ひざまずいて平和を求めるべき時に戦争を仕掛け、
仕え、愛し、従うべき時に
支配しようとしたり、権力を握って統治しようとするのだもの。
この直前に「私は恥ずかしい、女がこんなに愚かだということが、」という一文が入るのだが、「女が」を抜けばまぁ万人向けのメッセージになるかと(無理やりだが……)。
特に、国対国の場面とかにピッタリ?(笑)
第二幕で調教されるあたり(月を太陽と言わされたり、老人を若い娘と言わされたりする場面)は、ケイトが「ペトルーチオのゲームに乗った」と解釈してみた。
そこらへんで今回は手打ちっちゅーことで(汗)。
いやはや、本能的には笑い転げられる傑作コメディなんだけど、これほど物議をかもしそうな作品もないなー。
この話ばかりしてもしょうがない。
前回も舞台全体の出来がよかったことは書いたが、やはりそれに大きく貢献しているのがトラーニオだろう。
シェイクスピアの喜劇には必ず道化が出てくるが、今回はトラーニオ、ビオンデロ、グルーミオと、三人も登場する(グレミオー老人も入れるなら四人!)。
グルーミオはひたすら言葉遊びの役なのに対し(相手の発言に対し、徹底して意図を取り違えてみせる)、トラーニオはどちらかといえば狂言回しっぽい。
彼のテンポがよくないと、ストーリー全体のテンポが悪くなる。
その点で、非常にうまかったと思う。
他の人たちも十分うまかったけどね。言わずもがな。
毎回思うけど、なぜ「古く」ならないんだろうなぁ、シェイクスピアって。
古くなるものは本当に古臭く感じられるものなんだが。
などと、いろいろ小難しいことも考えるけど、
ああ、面白かった。
▼公式サイトはこちら。
http://www.saf.or.jp/arthall/event/event_detail/2010/p1014.html
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