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2009年6月19日 (金)

舞台:現代劇「桜姫」(シアターコクーン、東京・渋谷)

割と意識せずぼんやりと観に行ったので、最初は何が何やらわからなかった(笑)。
最後の最後になって、「あ、南北のアレか」と。
鶴屋南北原作の、なんつーかドロドロ人間模様のお芝居を、現代に置き換えて脚色したらしい。
でもなんで外国名なのかな。
清玄にセルゲイ、それでいて権助にゴンザレスなんて当てているから、どこの国やらサッパリ。
セルゲイが出てきたときはロシアの話かと思ったが、だんだん中南米めいてくる(南米らしいよ)。
でも名前がヘンなので統一感がない。
せめてセルゲイをセルジオにすりゃよかったのに(「ゲ」の音を残したかったのかもしれないが)。

まぁそんな些末なことは置いといて……
いや、本当に些末かどうかはわからないけど。
というのも、今回の演出は私にはよくわからんかった。
「なぜ?」
というのが最後まで解消されずに残った。
先に述べた名前の話もそうなんだけど、原作者(南北)の設定を、さも「今、役者がそう主張したから、筋書きもそうなった」みたいな即時的な条件として演出していて、それが何を表すのかがわからない。
「いつからか定かではないが恐らく生まれたときからそうだったと思われるが曖昧ではっきりしない」という、桜姫の開かずの左手に始まって、突然存在し始めた赤ん坊から何から、全部そういうテイストで仕上げられているのだ。
(確かに原作でもそれらの設定の出方が「唐突」っちゃ唐突だとは思うが……)

よくわからん。
舞台のスジ自体、めまぐるしくてついていくのが大変だった。
何が何してどうなるやら、さっっっっっぱり読めない。
(「南北のアレだ」と先にしっかりわかってたら違ったかも)
つかみどころがないっていうの?
つかみどころがないと言えば、桜姫のキャラクターそのものがつかみどころがなかった。
果たして彼女(劇中ではマリア)は、ゴンザレスを好きだったのか?
単に流されてるだけなのか?
原作ではむにゃむにゃな最後も、ちょっと変わったふうに終わらせていて、ゴンザレスやセルゲイにはよかったかもしれんが、マリアのためには尻切れトンボな感じだった。
串田和美の演出のせいなのか、長塚高史の脚本のせいなのか。
(それとも単に私の記憶違いか??)

まぁ……全部自分の理解力の低さゆえかも。
もう一度観に行くので、そのときはもうちょっとわかるかも……(わかるってゆーか、観てて腑に落ちるってゆーか)。
とりあえずそれに期待(汗)。

あ、そうそう、役者は凄いのばかり揃えてる。
それだけで一見の価値がある。

▼現代劇「桜姫」のサイトはこちら
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_09_sakura_gendai.html

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