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2003年4月22日 (火)

読書:『植物知識』★牧野富太郎

■著者:牧野富太郎
■出版社:講談社(講談社学術文庫)
■発行年月:1981年02月
■本体価格:540円

背幅5ミリに惹かれて読んだ(笑)。

一言二言多いおひとだが(笑)、植物を愛していることは端々から伝わってくる。
あとがきでも以下のように書いている。あちこちで書いていたに違いない。

「植物に囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、且つ美点に満ちた植物は、他の何物にも比することのできない天然の賜物である。実にこれは人生の至宝であると言っても、けっして溢言ではないのであろう。」

で、どこが五月蝿いかというと。
「よくあることだが」というようなときの「よく」を最近の学生は「良く」と書くがこれは「能く」の誤りである、とか(そういえば昔の本では全部「能く」と印刷されていたわ)。
もともと「百合」は「ユリ」とは別の植物だから「百合」と書いても「ユリ」と読むはずもなく、「百合子」で「ユリ子」と読ませるのはおかしいだとか。

まぁ、このへんはかわいらしい。私もこうした言葉の問題がどうしても気になってしょうがないことってあるから、心情はわかる(言葉も生き物なので、変化するのはしょうがないとわかっていても)。

私なんかが気になるのは、↓こっち↓だな。
基本的に牧野博士は、花を美しいと思うとき、彼らが自らを繁栄させようと「生殖」に励むその健気さを鑑賞して美しいというのであって、上っ面の薄っぺらな鑑賞で美しいというのでは決してない(と、自ら仰っておられる)。
そこまでは非常にいいんだけれど、およそ彼にとって「独身者は社会の害悪」であり、「実の生らない花は子どもを産まない女のよう」となる。

う~む(汗)。
……そういう時代だったからこういう言い分もしょうがないのかなぁ。
それに「子どもを作るのを最上とする」ほうが「子どもを作らないのを最上とする」よりはよっぽどいいわけだし(汗)。

ともあれ、88歳でこれだけ書けば十分至極、達者で闊達で結構結構。
それもこれも皆、植物に触れようとしてフィールドに出ていたから、とのこと。
(彼の時代の東京は、今よりもずっと緑の多い土地だった)

もしや知らない人のために一言書いておくと、牧野博士は世界的な、偉大な植物学者であった。
学名に makino の名のついた植物もかなりあるはず。
彼の名前くらい覚えておいて損はない。

▼この本はこちら

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