読書:『千年の愉楽』★中上健次
■書名:千年の愉楽
■著者:中上健次
■出版社:河出書房新社(河出文庫)
■発行年月:1992年10月
■本体価格:570円
あらすじ。
熊野の地を舞台に、高貴で不吉な血の宿命をもつ若者たち---色事師、荒くれ、夜盗、ヤクザら---の生と死を、神話的世界を通して過去・現在・未来に自在にうつし出す、新しい物語文学の誕生と謳われる名作。
前回、『重力の都』を読んだときは、もう吐き気がするほどの気持ち悪さにうなされかけたが、今回はそうでもなかった。
私が慣れたのか免疫ができてたのか、それとも向こうのほうが「短編」だからエッセンスの凝縮度が高かったのか。
まずは「面白い」と言っておこう。
私の好みじゃない登場人物ばかりであるのにもかかわらず、読み出すと止まらない。
しかも読みやすい文体では全然ない。
日本語としては全然、全く、これっぽちも美しくない(書き言葉として見るなら、だが)。
にもかかわらず止まらない。
それはたぶん、登場人物に惹かれるからでもなければストーリーの筋立てに引かれるからでもない。
ただ、作品の持つ異様な世界と、そこで紡ぎだされる「ものがたり」の物語性に、惹かれて止まないからなのだろう。
解説で吉本隆明が書いているとおり、これは「他界」のハナシなのである。
でも他界でありながら、われわれの世界にも属している。
完璧な他界ではない、一種の辺縁にある場なのかもしれない。
他界としての要素をふんだんに持つがゆえに、常識であるとか人倫であるとかいった枠組みは、ほとんど用を成さない。
それがいいとか悪いとかはない。
他界ゆえ、そもそも善悪の彼岸を超えているのだから。
物語の紡ぎ手であるオリュウノオバは、時空を超えて存在する。
ここ、「路地」において彼女を遮るものはない。
だれの誕生日も命日も覚えている彼女は、この世に生まれたときに赤子である彼らを親よりも早く自分の手に抱いた記憶を持つ産婆であるから(私の文、最近一寸長いですがこの作家の影響受けてるかも…)、だれのことも自分と関わりあることとして目を向け、喜び、悲しみ、怒る。
いったい彼女が今、生きているのか死んでいるのかも、読者には定かでない。
連作の最後なんか、彼女の通夜から始まるのに、そのあとずっと居るし…。
きっと、近代的な、一様で均質な流れたる「時間」というものは、あそこには存在しないのだ。
だから「順番が逆じゃないのか」といったくだらぬ質問も、受け付けてくれないのだ。
私が忘れられないのは、2本目の『六道の辻』の主人公、三好にまつわる言葉で、
「体から炎を吹きあげ、燃え上るようにして生きていけないのなら、首をくくって死んだほうがましだとうそぶいた」
というもの。
実際、三好は生きる熱を失い、首をくくって死んでしまうのだが、
この言葉は残った。
道徳的なもの、近代的価値観が破壊されないものしか読みたくないという方には、オススメしない(笑)。
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