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2002年11月の記事

2002年11月30日 (土)

柿の葉

柿の葉の紅葉が、今年は素晴らしい。
大ぶりの葉っぱの中央が、濃い臙脂に染まっている。
葉のふちだけ茶けたうす緑で、臙脂一色になってしまわないところがまた奥ゆかしい。
「こんないい色は見たことがないね」と母親と喜んでいる。
今度、庭に出て拾って、押し葉にしようか。

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2002年11月29日 (金)

眼精疲労

今日は朝から左眼が痙攣しどおし。
これが噂に聞く眼精疲労?
やっぱりなぁ、目を使う仕事ばっかりしてるからなぁ……
それにしてもこんな、一日中痙攣しているのは初めてで嫌だなぁ。
「目を使う仕事ばかり」だから、作業しててもすごいストレスになるし……

早く帰ろうと思ったが、「明日、持ってく分を校正しろ」とプレッシャーをかけられて、結局、22時まで帰れなかった。
凄い勢いで校正したので、目が疲れた。
それだからなるんだよ、眼精疲労(笑)。

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2002年11月28日 (木)

リンカーン・クックブック

アメリカはワシントンDCのリンカーンメモリアルで買った土産。
リンカーンの当時のクックブックである。
といっても、薄っぺらなんだけど。
そんな薄っぺらのくせに紹介している料理の点数がそこそこあるもんだから、調理法の記述が少なくて不親切(笑)。
まぁ、これを見て「作ろう」と思う人はいないのかな?
でも私は作ってみたいんですけど。
リンカーンの好きだったケーキなんか、作れたら面白いじゃない。

たとえばこんな感じの記述になっている。
■ホイップ・クリーム・ケーキ

  ホイップクリーム 1カップ(※1カップの分量は日本と違います)
  バニラ      1ティースプーン
  ケーキ用小麦粉  1.5カップ
  たまご      2個
  砂糖       1カップ
  ふくらし粉    2ティースプーン
  塩        0.5ティースプーン

生クリームを固くなるまで泡立てる。たまごを2つとも割りいれて混ぜ、砂糖も加えて混ぜる。バニラ(エッセンス? ビーンズ?)を加え、粉類をふるいにかけながら加える。よく混ぜたら、油をうすく引いたパウンドケーキの型に流しいれる。350度(ファーレンハイト)で1時間ほど焼く。何もかけないか、粉砂糖をまぶして出す。

ホントーにこんなんでできるのか???

ちなみにこれは非常にまともなほうである(私も補足しながら訳してるし…)。
もっと記述が短いやつは、「えっ!? それでこっちの材料はいつどこでどうしたの?」と、著者に聞き返したくなったりする。
ただでさえ外国の料理本は、書いてあるとおりに作るのが難しいのに……
あとは想像力で勝負するしかない?
(でもそうすると失敗するんだよね、料理って…)

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2002年11月27日 (水)

ヘナ・その後2

なんだか最近、髪が……
「コシ」っていうんですか? 髪にコシが出てきたような気がする。
「へちゃ~」とならずに、ピンピンはねてるもん。

私の髪の毛は本当に根性ナシで、パーマをかけてもすぐに落ちちゃう。
なかなかはねてもくれない、へたり髪(命名)だったんだが、それがへたらなくなったような気がするのだ。
なんといえばいいのだろう、ちょっと硬くなったというか……

これってもしかして、ヘナのおかげ?
それとも単なる気のせい?

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2002年11月26日 (火)

国立西洋美術館の改革

一昨日、西美に行って驚いたこと。
「フラッシュ・三脚を使っての撮影は禁じます」と入り口前の看板に書かれている。
「えっ!!」
と、友だちとふたりで吃驚した。
いつの間に…!!
「つまりフラッシュを使わなければ、撮影していいことになったんだ! やっと西欧なみに!!」

そうなんだよね~。どういうわけか、日本の美術館・博物館では撮影もスケッチも禁じられている。
いいじゃん、写真撮るくらい。
外国のミュージアムを見てみい! ほとんどのミュージアムは撮影OKだぞ!
もちろん、「企画展は禁止」とか「フラッシュ禁止」というのはある(ほとんどの場合、フラッシュは禁止。また、西美でも企画展の撮影は禁止だった)。
そのくらいは当然の規制だ。
でもそれを守れば、ちゃんと撮影させてくれるところが非常に多い。
この間行ってきた、スミソニアン博物館がそうだし、MoMAも常設のほうはOKだった。

しかして、どーゆーわけか日本では撮影が禁じられている。
五月蝿い。
しかも科学博物館(常設)のような「撮影したからってどーよ?」みたいなところまで「頑強」に禁じている。
何をもって禁止しているのか、理解に苦しむところが多い。
たぶん、「取締りがめんどくさいから」だろうな。

とゆーわけで。
西美がこの点で姿勢を変えたことはたいへん評価に値する。
応援しちゃう。
そのうち、常設展示を見に入ったら、イーゼル立てて油絵を模倣しているひとがいた、なんてことになれば面白いのにな(欧米では割と日常的な風景)。
そういうふうにホンモノに触れる場を公開していかないと、アーティストもコメンテーターも育ちにくいよね。

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2002年11月25日 (月)

展示:「ウィンスロップ・コレクション」展★国立西洋美術館

■展示:「ウィンスロップ・コレクション」展
■会場:国立西洋美術館(上野)
■会期:~12月8日(日)09:30~17:00※金曜は20時まで・月休

本当は25日じゃなくて昨日(24日)に、「探幽展」と続けて行ったのだ。
こちらは招待券がないので、有料。きちんと1300円を支払った。

ラファエル前派が中心のコレクションだ。
他に、ドラクロワやミレイもあったけど、圧倒的に多いのはバーン=ジョーンズ、ロセッティ、そしてモローである。あ、あとブレイク(詩人として有名)もあった。

バーン=ジョーンズは……割と好きなんだけど、目鼻の位置がヘンなんだよね……ま、いいんだけど。
綺麗で朴訥とした絵を描くひと。朴訥とはいえ、構図にはいろいろ工夫があるらしい。
ラファエル前派は、それ以前のイコノグラフィーを踏襲しなかったといわれるが、自分たちなりの新しいイコンを作って傾倒していたのであって、どの派よりもイコンへの依存度は高い気がする。

ロセッティ……綺麗な絵を描くひと。バーン=ジョーンズよりも「美人画」の傾向が強い。
綺麗はとても綺麗であるが……途中からなんか、人体のデッサンがものすごく狂うようになる。
しまいには見た目で男か女かよくわからないようにまで。
初期は割とまっとうなので、妻でもあったモデルのリジーを喪ったことが深手となって残ってしまったのかも。
どうもその……後期作品の女性の身体って……大きすぎたり肩が盛り上がりすぎたり、だれが見てもヘンだよ。
目の前のモデルではなく、彼の空想(想像では決してない)の中にある「身体」を描いてしまったのか。
妄想へののめり込みがあったのかもしれない。

モローは本当に美しい絵を描く。
あまりに美しいので、それが宗教的なものであることに気づかないくらい。
透明であれ不透明であれ、彼の水彩は美しい。
油絵もいいけどね。
「血の洗礼」に関するイメージが常にその身を離れなかったのだろうか、肉体や十字から血の滴る絵が多い。それすら美しいのだけれど。
色彩と構図がいいなぁ~。

ビアズリは大好きなアーティスト。
このひとの絵を見ると、「ああ、こういうのが描けたらいいのに」と思う。
彼の絵はグロテスクで(本人が「グロテスクをなくすことはできない」って言ってるくらいだし)、私は個人的にはグロテスクは苦手なはずだけど、彼の絵だけは全然問題なく好きになれるのだ。
黒と白のきっぱりした画面。
バランス、構図、みんな好き。
でもオスカー=ワイルド(『サロメ』の作者)はビアズリの絵を好きじゃなかったみたい。
自分の『サロメ』の挿絵がビアズリになって不満だったらしい。
でもでもそれって、ビアズリの挿絵がグロテスクだとかセクシャルだとか卑猥だとかいうことよりも、「挿絵に食われる」ことを恐れてだったんじゃないのかな~。

リケッツはワイルドと仲良しのアーティスト。
このひとの作品もきっぱりしていていい(というより、私がモノクロ作品を好きなのか?)。
線が綺麗な作家はいいなぁ。

ブレイク。詩人としての存在のほうが有名だが、絵も描く。
ヘンな絵。
どの絵の登場人物も、表情が……抜けてるってゆーか、驚いてるってゆーか。ちょっと不思議。
見てて面白い。

きりがないのでこの辺でやめる。
全体としては、作品はいいが、点数が思ったより少なかった。これが残念だった。
友人は「もうひとりの好きな画家が来てない~!」と泣いていた。
でもいいです。
1300円、そのくらい払ってもいい。
たまにはこういう「綺麗」な絵画も見ないとね。8日まで。

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2002年11月24日 (日)

展示:「狩野探幽」展★東京都美術館

■展示:「狩野探幽」展
■会場:東京都美術館(上野)
■会期:~12月8日(日)09:00~17:00・月休

京都の狩野派に対して「江戸狩野派」を興した狩野探幽(1602~1674)は、15歳(早熟)から雅号を名乗り、幕府御用達で日光や上野の霊廟、他にも大阪城、二条城、名古屋城をはじめとしたたくさんの建屋で障壁画を制作、装飾を担当した。
彼のおかげで狩野派の地位は不動のものとなったらしい。

狩野派というと、桃山様式の豪壮な絵、画面いっぱいに松や虎がどでーんと描かれ、「勢い余ってはみだしてます」というような豪気な絵を思い出すが、探幽のは全く違う。
むしろ逆に瀟洒で洗練された画風を確立しており、以後の江戸時代の画壇に決定的な影響を与えたといわれる。

今年は探幽の生誕400年のため、代表作の大画面障壁画を中心に、写生などもそろえての展示とあいなったのだろう。

確かに、瀟洒である。
それまでの狩野派は、先ほど述べたとおり「画面からはみだしました」といったでっかい絵が多く、「紙面の中で構成する」という概念がまるでないように見える。
しかし、探幽はちゃんと構成するのである。
水墨画の技法を取り入れて、余白を活かした構図を展開する。

構図はいいんだが……
描き方が実は個人的に「大好き!」にはなれないということが判明した。
一緒に行った友だちも同じで、「これなら雪舟とか長谷川等伯の方が断然好き」などと探幽ファンから石を投げられそうなことを口にしつつ見て回った。
だって「線」が等伯ほど美しくないんだもん。
どちらかというと、「面」で描く画家のように見えた。
(そして描かれた鳥はデッサンがヘンだし……人間は酔狂だし(笑))

有名な「達磨」の絵がよかった。
しかし「瀟洒」とはいえないなぁ。
本当は「瀟洒」じゃないところに彼本来の持ち味があったんじゃないのかなぁ。
あまり山水画に傾倒すべきじゃなかったんじゃないのかなぁ。

などと考えながら3階分を見て回り(この美術館、アップダウンが激しいのだけキライ)、あっという間に出口へ。
「招待券があってよかった」と思った(当日券1300円もする)。
評価は「まあまあ」。

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2002年11月23日 (土)

お休み

本当は今日はピアノのリサイタルを聴きに行く日だった。
しかしとうとう諦めた。
明日も用事があるし、咳がおさまらないのにクラシックピアノを聴きに行くのも……周りに迷惑だしなぁ。

本当はすごーくすごーく聴きに行きたかったんだけど……
「ロシアの正統派ピアニスト」みたいなことが書かれていたので、めずらしく楽しみにしていたやつだったんだけど……
最後まで頑張って行こうかどうしようか考えたんだけど、場所が埼玉で遠いというのはおくとしても、やっぱり咳が止まらないのは最大のネックで(クラシックでなければ…!)、「自分も辛いからおよし」と家族の忠告も受け、諦めることになった。
残念だなぁ。
このピアニストシリーズ、聴きに行き始めてからずっと皆勤だったのに。

ちなみに奏者はアレクサンドル=トラーゼというひとでした。
ああ、残念。

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2002年11月22日 (金)

舞台:「セールスマンの死」★世田谷パブリックシアター

■演目:セールスマンの死
■原作:アーサー=ミラー
■出演:仲代達矢、野崎海太郎、小宮久美子、松崎謙二、他・無名塾
■日時:2002年11月22日(金)18:30~
■会場:世田谷パブリックシアター(三軒茶屋)

あまりにも有名なアーサー=ミラーの戯曲、「セールスマンの死」を上演するというので、チケットを取った。
しかして本日は風邪を引いている。
午前中なんてファイトが出なくて会社をお休みしてしまった。

でも舞台は見に行った。詐欺に近いな、こりゃ……(汗)。
まぁ、咳を抑えるので辛かったけど、見た甲斐はあったかな。

ウィリーはアメリカ経済を支えるセールスマン。車のセールスをやっている。
ヒトに好かれ、コネを使うこと、これが成功の秘訣だと信じて生きてきた。
だが、年を取った今も地方回りをやらされ、売り上げは伸びず(全然笑えないね、これ…)、友人のチャーリーに毎月こっそり50ドルを借りては給料の振りをして妻のリンダに渡す日々(もちろん、聡明なリンダには50ドルがどこから捻出されているかばれているが、プライドを傷つけないため彼女はそのことに言及しない)。

息子は二人。下の息子は工場で主任の下の下で働く、女たらしで平凡な男。
上の息子は、ハイスクール時代はフットボールでならした男で、そのころの輝くような彼を忘れられないウィリーは、上の息子に「きっと成功する」と期待をかけるのだった。
だが現実は辛く、上の息子の就職活動は失敗、ウィリー自身も会社をクビになってしまう(ほら、全然笑えない…)。
現実を見据えられないウィリーは、上の息子と何度も激突する。
とうとう息子は家を出ていく間際に叫ぶ。
「俺も父さんも同じ、ひと山10セントの人間なんだ!!」
そう泣いてすがりついた息子を見て、ウィリーは自分が愛されていたことを再確認し、最後の手段---2万ドルの保険金を息子に残す手段に訴えるのだった……

くらい。
当たり前なんだが、むちゃくちゃ暗い。
仲代達矢のウィリーが、最初から最後まで全然現実感のない台詞回しで、そりゃもう悲惨さをずーーーーーっと観客に忘れさせない。
しかしいくらなんでもこの演出は辛すぎるのでは…(汗)。
終わってみると愛も希望もないぞ。
世相を反映しているんだろうか。うわあ……(汗)。
でもカタルシスはあまり感じられない。つまりそれが日常ってこと?(それもかなり辛いものが……)

現在のウィリーの独り言から、回想シーンに連なるつながりは実にうまかった。
しかしウィリーの台詞が、過去においても現在においても現実感がないっちゅーのはどーかな……過去はもう少し現実味を出してもよかったのでは……
おかげでウィリーがただの「ガキ」に見える。
そうじゃなくて、「アメリカン・ドリーム」の殉教者なんだけど。
「アメリカではだれにでもチャンスがある。うまくやれば成功できる」という一般的なドリームに食いつぶされてしまった、夢を売って生計をたてる男=セールスマンなんだけど。
ちょっとそのへんが出ない解釈で、演出されていた気がする。

だから、特に女性諸姉には最後のリンダの台詞がすんなり入ったでしょう。
「私にはどうしてもわからない。借りも払いもなくなって、やっと自由を手に入れたのに……」
ここでいわれる自由とは、アメリカで謳歌される自由であるが、一種のまやかしなのだ。
「一所懸命働けば自由が手にはいるよ」といわれ、自分の時間をローン並みに消費していくと、支払が終わって自由に手が伸びるかのびないかってときには、自分自身がすりきれてなくなってる。
そこで手に入れられる自由は、本当の自由なのか?

確かに、アーサー=ミラーも偉大な劇作家だった。

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2002年11月21日 (木)

風邪引いた

本当に風邪引いた。もう朝から頭が変で、伝票を入力していてもふーっと意識が遠ざかっちゃう。立つと軽く眩暈がするし。
こりゃだめだ。
早ばやと退散するのは私のいいところ(?)。
いきなりだが、午後から会社を休んだのだった。
家に帰って寝た。

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2002年11月20日 (水)

だれか

私に時間をください。
いろいろやりたいことがあるんだけど、何しろ暇がないや。
最近、ひどいわ。
この薄給でこんなに働きたくないよーっ!!
いや、お金はいいんだ、お金は。
金よりも時間なのだ、問題は。
残業のない職場に行きたい……。

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2002年11月19日 (火)

ヘナ・その後

え~、実は効果がよくわかりません(笑)。

母は、少ない白髪がきれいに赤銅色に染まって、満足しているもよう。
確かにきれい。

私は、白髪がほとんどないので、白髪染めじゃなくトリートメント効果を狙ったのですが……
全然わからない(笑)。
それより、髪の毛が赤っぽくなった気がする。気のせいかもしれないけど、光沢が赤っぽい気が……
もともと真っ黒な髪の毛ではないので、光を当てるとブラウン系に光るんですが、それがいつもよりも赤っぽい気が……「ヘナで染めた」と思ってるせいかな?(笑)

特に調子悪くもないので、まぁ、頑張ってやってみた甲斐はあったかも。
未だに髪の毛を洗うと草の香りがするのには笑えます。

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2002年11月18日 (月)

読書:『語り手の事情』★酒見賢一

■著者:酒見賢一
■書名:『語り手の事情』
■出版社:文藝春秋(文春文庫)
■出版年:2001年7月10日
■定価:\524.-

う~ん……何といえばいいんだろう。
もともとこの作家のことは『墨攻』『陋巷に在り』などで知っていたのだが……
それと似通ったものかと思って買ってみたら、ポルノすれすれのエロエロ小説だった(笑)。
なんてこったいオリーブ。

でも全部読みました。読めるからね。
まぁ……新世紀に贈る好色文学の再来?(笑)
童貞喪失希望とか、トランスジェンダー希望だとか、SM噺だとか、性の話題(つーか、作中でも語られるとおり「妄想」)を次から次へとこなす「語り手」が主人公であるのだが……

確かにポルノ小説ではない。
だってね……さすがにここでは書けないが、該当する人体器官名を逐一並べてそれが何にどうしてどうなったって詳述されると、全然味気ないんだわ。
しかして内容は爛れている。
内容は爛れているが、官能を第一義としていない(言葉によって詳述することに命を賭けてるってことは、官能第一じゃないでしょ)、その意味でポルノではない。
だからといって、小説として「面白い」かっていうと面白いとは思わないし、「感動する」かっていうと、全然感動しない(笑)。
読み終わったときにやってくる「すかっとした!」「ああ面白かった!」「続きが読みたい!」「今夜は寝られない!」「涙が止まらない…」といったもろもろが……ない。

そりゃ笑いましたよ、途中では。
筆力はあるからつるつる読めるし、展開がどうなるか一応気にはなる。
馬鹿馬鹿しさの極致のような妄想に呆れ返ることもあれば、あまりにくどくどしい表現に笑い転げることもある。
でも読了感はほとんどありません。
だから、そういう本も好きなひとにだけオススメします。

あ~、ところでこの作家、うちの父親もファン(?)なんだが……
私がこの本を渡すのって……すごく抵抗あるんだけど……でも父親がどっかで買ってきちゃったらそれはそれで困るし……どうしよう……(汗)


▼この本はこちら。

語り手の事情 (文春文庫)

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2002年11月17日 (日)

クイーンズケーキ

インターネット上の抽選で当たって、焼き菓子2000円分をもらえることになった。
あとで気づいたら「店に取りに行く」という条件だったから、昨日、荻窪まで出かけて(まぁ、その辺に用事があったし)プレゼントの焼き菓子詰め合わせを引き取ってきた。
お店は荻窪駅北口から5分ほど西に向かって歩いたところにある。
小さなお店だった。
でも店内に並べられている焼き菓子、ケーキ類は、見た目こじゃれていて美味しそうだし、お値段もいい感じだった。

今日は知人の家に集まって遊ぶ日だった。
ちょうどいいから、と、焼き菓子を持参した。
あっという間になくなった(笑)。

私も食べたが、なかなかいい味だった。
荻窪に用事があれば、また試してみてもいいかな。
(しかし荻窪に出る用事なんてそうそうないからな~)

たまにこんな景品が当たると楽しいものだ。
ちなみに「クイーンズケーキ」はお店の名前。

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2002年11月16日 (土)

読書:ぼくもわたしも『オーロラのひみつ』

小学校4年生から6年生くらいのよみものだと思います。
とてもおもしろいです。
ぜひこんど、冬休みの「読書感想文」につかってみてください。
とくに星空や、雲のうごきや、地球のことを考えることが好きなひと。
ぜひぜひ読んでみてください。

この本を書いたひとは、オーロラをけんきゅうしています。
みなさんはオーロラを知っていますか?
私は、名まえはもちろん知っていましたが、じっさいに見たことはまだありません。
だからぼんやりとしか知りませんでした。

この本には、オーロラってどんなものかが書かれています。
でも全部が書かれているわけではありません。
なぜなら、全部のことがわかっていないからです。

「オーロラがどうしてできるのか」は、ずっとずっとなぞでした。
この本を書いたひとは、あるときテレビでオーロラを見て、ものすごく感動して「オーロラのなぞをつきとめてやろう」と決心しました。
大学へいって、いい先生に出会って、いっしょうけんめいオーロラのけんきゅうをしました。
つらくてじみな計算をこつこつかさねて、自分のけんきゅうを発表しました。
それがみとめられてアラスカの大学に行けることになり、がんばってアラスカでもずっとけんきゅうをしてきました。

オーロラは大きな「電流」が地球にはたらいてできると考えられています。
どうして電流が生まれるのか、電流がどういうふうにはたらいてオーロラになるのか、などなどの内容について知りたいと思ったら、この本にくわしく書かれているので、読んでみてくださいね。
でも、さっきも言いましたが、今でもまだ全部のことはわかっていないのです。
この本を書いたひとや、オーロラを研究している世界じゅうのなかまは、今でもいっしょうけんめい、毎日毎ばん、「オーロラってどうしてこうなるんだろう、こんどはあっちのなぞをといてやるぞ」とがんばっています。

そのひとたちがそうやってがんばれるのは、みんな、オーロラのうつくしさに感動したなかまたちだからです。
オーロラのふしぎさにみ力を感じ、そしてオーロラのけんきゅうをとおして、地球や宇宙のすばらしさに心を打たれてきたからです。

みなさんは何かふしぎに思うことはありますか?
何かについてじっと考えてみたことはありますか?
この本を読んで、何かをいっしょうけんめい考えるって、とてもすてきなことなんだって、どうか知ってください。
そして、自分がふしぎに思うことを、たいせつにそだててください。

■本の名まえ:『~わたしの研究~オーロラのひみつ』
■書いたひと:上出洋介
■出した会社:偕成社


▼この本はこちら。

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2002年11月15日 (金)

ヘナ

今晩は、母親につきあって「ヘナ」によるトリートメントを試してみた。
よくある「すぐにできる」ような合成品じゃなくて、純粋ヘナなので準備とかが大変。
艶をよくしようと、紅茶の煮汁を使って粉を溶いて、おくこと30分(だってそのくらいおいたほうがいいって書いてあるんだもん)。
肩にボロタオルをかけ、汚れてもいいようにしてから、溶いたヘナを髪の毛につけて伸ばすんだけど、この作業が結構大変で……。
そもそも溶き方が足りなかったらしく、途中で水を足して溶きなおし。
母親の髪にぬりぬり塗りたくったが、奥の奥までは塗り込められなかった。
他人の髪にトリートメントつけるのって、難しいね~。美容師さんってエライ。

自分の髪は、教訓を活かして若干湿らせてからヘナをつけることに。
やっぱり自分の髪の毛だとやりやすい。
でもこれも全体に行き渡らせるのは難しかった。表面をカバーした程度になったかも。

ヘナをつけたあと、シャワーキャップをかぶって1時間~3時間おいておく。
こうしてなじませるのだ。わあ、面倒(笑)。
その後、お風呂に入って髪の毛を洗ったが、まぁ、赤い水が出るわ出るわ。
いくら洗っても髪の毛からしたたる水が透明にならない(笑)。
強烈。
しかたないので、ボロタオルで髪を巻いてしまい、それから身体などを洗ったり浴槽に浸かったりした。

お風呂をあがってボロタオルを外してみると、やっぱり赤っぽいんだな~、凄まじいわ。
しょうがない、これはマクラの上にもボロタオルを敷いて寝ないと、きっと絶対マクラが赤くなる(笑)。
しかも髪の毛が草クサイ(笑)。あの~、ヨモギの汁をこすりつけたような感じっていうんでしょうか?(笑)

本来は白髪染めに使われるようだが、白髪のほとんどない私も試してみたのは「トリートメント効果が高い」と謳われていたから。
何しろ軟弱な髪の毛で、もうちょっと根性入れないと……。
効果は4~5日しないとわからないそうだ。様子を見よう。

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2002年11月14日 (木)

多忙

忙しい。忙しいったら忙しい。
若者はこのくらい何でもないかもしれないけど、私ゃ毎晩9時まで残業すると、身体を壊すのよ。
いい加減にしておかないと本当にヤバイ。
しかし仕事は山積み………。

「旅行なんか行くから」だ?
それは確かにあるんだけど、どうもそれだけじゃないんだな~(笑)。
旅行に行かなかったとしても、今、このときが一番忙しいことにはどうも変わりがないようなんだな~。
世の中ってそういうもんだよね(涙)。
早くこの作業を手放したい……。

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2002年11月13日 (水)

全滅

現像を頼んであった写真を引き上げてきたが……
ニューヨークはほぼ全滅。がーん。
どうもカメラが壊れていたらしい(涙)。
そういえば途中からフラッシュをたかなくなって、「ヘンだなぁ」と思っていたんだよね。
しくしく。
せっかくグラウンドゼロの写真をたくさん撮ったのに……。

モノクロインスタントカメラを持っていっててよかった。

「カメラ壊れた」とおばあちゃんに話したら、「うちのEOS 100をあげるよ」と慰められた。
ちなみに今まで使っていたEOS 1000もおばあちゃんのおさがり(どっちもキャノンの一眼レフカメラ。桁が少ないほど高機能・高額)。
考えてみればよく使った。
ウズベクも中国三峡もイタリアもトルコもメキシコもグアムもギリシアも一緒にめぐった仲だもんね。
もういい加減お疲れなのかもしれない。おつとめご苦労様でした。

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2002年11月12日 (火)

モノクロ写真

海外旅行へ行くとき、最近はよくモノクロのインスタントカメラを持っていく。
昔はパノラマのインスタントカメラを持っていったものだが、これには飽きたらしい(笑)。
いや、なかなか面白いのだ、これが。
思わぬ写真が撮れたりする。
うちのばあさまは、日頃からカラー用とモノクロ用とカメラ二台持って駆け回っているが、私にはそんな体力も根気もないので、インスタントカメラだけ持っていくのだ。

今回、アメリカにも持っていって、今日はそのモノクロ写真が仕上がる日だ。
会社の帰りに店で受け取った。
……まあまあ、ですな。うん。ケッサクはない。
でもやっぱりカラーと違って、面白い。
ビルの写真なんか、カラーで見るより面白そうだ。

皆さんも旅行ではぜひ一度おためしあれ。手軽で面白いですよ。

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2002年11月11日 (月)

てつや

人名ではない。
徹夜してしまった。
結局寝られなかった。
しくしく。
自分が悪いんだけどさ。

会社では絶不調だった。
今週中になんとか体調を元に戻さないと…(汗)。

それにしても早朝の鴉は五月蝿い。

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2002年11月10日 (日)

seventeen hours

17時間。
何の数字かというと、寝ていた時間数である。
昨晩24時に寝て、起きたら17時だった……。しまった(汗)。

ああああああ、洗濯が、片付けがああああ……。
何もできない……。
しかも眠れそうにない。
そして実際、全然寝付けなかったのだった。あ~あ。

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2002年11月 9日 (土)

舞台:「駱駝祥子」★東京芸術劇場

■演目:駱駝祥子(らくだのシアンズ)
■出演:陳霖蒼、黄孝慈、周麗霞、他・中国江蘇省京劇院
■日時:2002年11月9日(土)18:30~
■会場:東京芸術劇場・中ホール(池袋)

会社帰りに(そう、土曜日なのに出社日だったの)、時差ぼけ頭で見に行った。
だって旅行に行くことが決まる前に、チケットをとっちゃってたんだよ~(汗)。

中国の現代作家、老舎の原作を京劇化したもの。
非常に面白かったが、内容は……つらくてつらくてつらい。
チャンイーモウあたりの映画を思い出したりして……。

祥子(シアンズ)は車引き。一所懸命寝る間も惜しんで働いて、3年がかりで貯めた金で自分の車を買った。「何もかもうそっぱちだが、俺の車は本物だ!」
そういって喜んでいたが、内乱のいざこざに巻き込まれ、兵隊に車を取り上げられ、自分も誘拐されてしまう(労働人員として)。
命からがら逃げてきたが、車は取り戻せず、らくだを引いて戻ってきたことから「駱駝の祥子(シアンズ)」とよばれる。
その後も不幸は続き、一所懸命まっとうに生きようとする彼を、何度も何度もうちのめす。
思いを新たに、家族としてやり直そうと前を向いた次の瞬間には難産で妻も子も失い、自暴自棄になって酒と賭博に浸る毎日。
彼にとって最後の砦だった幼なじみも、貧しさから父親に廓へ売られ、絶望して首をくくっていた。「何もかもうそっぱちだ。死だけが真実だ」

何度立ち直ろうとしても畳みかけるように追い打ちをかける不幸。
一番好きな幼なじみとは一緒になれず、半分はかりごとで結婚させられた妻も、家族として認めた途端に喪われる。
全然救いがないです……。
それでもなんとか舞台上に明るさを保っていられるのは、役者さんの技量でしょう。
主役の祥子もむちゃくちゃうまかったが、なんといっても虎紐(フーニウ)が凄かった(本当は女偏だが字が出ないので「紐」で代用)。

虎紐は、微妙な役どころ。
祥子を計略に嵌めて、「コドモができたんだよ」などといってムリヤリ結婚してしまう。う~ん、一途でかわいい(笑)。
それでも祥子と幸せになろうと、「本当にコドモができたんだよ。あんたに息子をやるよ」と希望を持たせる。
そして彼女が死んでしまうと、それまで「かわいそうにね」程度だったものが、一気に「悲劇」へと昇華されるのだった。

この虎紐の役者さんがすごい華のあるひとで、虎紐が登場するだけで舞台上がパッと明るくなる。すっごい魅力だった。しかも声がまた実にきれい。
祥子と実は相思相愛の幼なじみ、福子(フーズ)の役者さんも、ほかの女形も、みんな声はいいし演技も巧かったが、虎紐はなんだか群を抜いて存在感が強かった。声も、他のひととは違う明るさがあった。
このひとの虎紐が見られてよかった。

結局は不幸に継ぐ不幸で終わってしまう劇であるが、非常に面白かった。
京劇というととっつきにくいようだが、全然そんなことはなかった。形式張ったところがないから。
じゃあ単なる新劇になっているのかといえば、そんなこともない。
役者さんの振り、ひとつひとつにこれまでの型が活かされている。
祥子の車を扱うサマなんか絶品で、京劇で鍛えた所作が、古さや堅さを感じさせないようにうまい配分で取り入れられていた。
だれの演技にしても、指の先の先まで神経が細やかに使われているようで、酔ったふり、ふらつくようすなど、本当に見事だった。こうした演技は逆に(身体の力を抜いちゃうことではなく)神経を張り巡らせて身体のすみずみをコントロールすることで、可能になっていたに違いない。

ときに、あの椅子を斜めにしてそのままにするのも京劇の所作だろうけど、どうやっているんだ、いったい~? すごく不思議だった(笑)。

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2002年11月 8日 (金)

一生モノ

旅行中にこんな高い買い物したのはほとんど初めてじゃないかと思う。
(あ~、お金持ちのひとからすれば笑える金額でしょうが、私にはそうでもないのよ)

何を買ったか。
鞄を買ったんである。フェラガモの鞄。
ニューヨークのJFK空港の免税品店で。
なんか手にとった瞬間に一目ぼれ……いや、この場合、一目じゃなくて一手ぼれか?
どっちでもいいけど、値札を見て「……高すぎる」。
いくらだったか?
625ドルしていたのだ。
このご時世、1ドル=124円で計算して、なんと77,500円也。

「無理だよ~」と思ったものの、一手ぼれしているし(=あきらめが悪い)、売り場のおばちゃんは「5番街で買ったら800ドル以上するのよ!?」などといって熱心に勧めるし(当たり前だ)、最後の最後まで悩んで、とうとう買ってしまいました………。

デジカメ資金がなくなったかも(笑)。

鞄はとてもいいです。なんといっても革がいい!! 持ってるだけで楽しい(実は鞄キチガイ)。
でもまだ1回しか使ってない。もったいなくて。
いやいや、もっとちゃんと使わなきゃ。とは思うものの、重い荷物には使いたくないし……
そのうち、どこかで目にしたら冷やかしてやってください(いや、やっぱり冷やかさないで)。
まぁ、たまにはいいよね。一生ものを買ったってことで。

……ボーナス、出るかなぁ。

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2002年11月 7日 (木)

メガロポリス旅行7

朝6時……ちょっと過ぎに起床。準備を整え、1階ロビーでシャトルバスを待つ。
7時ごろにシャトルバスがやってきたので乗り込んだ。バスはその後4~5件、別なホテルを回り、客を拾って空港へ向かった。結構時間がかかった。しかも私たちは一番最後に降ろされたので、結局、ANAのターミナルに入ったのは8時半近かった。

ターミナルに入ると同時に荷物検査がある。
私はすんなり通ったが、妹の方が何か引っかかったらしい。
荷物を全部開けさせられていた。何もないんだけどね……(電動歯ブラシが引っかかったのかも)。
その後、カウンターでチェックイン。往きと同じく、後ろのほうの2人掛けの席を取ってもらった。ちなみに帰りの飛行機は満席らしい。

チェックインも終わったし、あとは搭乗を待つばかり。
その間、最後の買い物でもしようと、売店に入った。まぁ、キオスクみたいなものだ。
そこで会社や友人の土産に、ジャンク菓子をいくつか購入した。
アメリカといえばやはりジャンキーな食べ物よね。
品の良さそうなチョコレート買ってもしょうがない(と、私は思っている)。

妹は売店でPeople誌を買い、そのあとずっとしばらく読んでいた。雑誌の前に新聞読んでたかな。
People誌というのは、有名人ゴシップ誌みたいなやつ。ベン=アフレックがジェニファー=ロペスと結婚するだとかそういうことがいっぱい書いてあるらしい。
彼女が読書している間、私は免税品店を見に行った。
免税品店で、まずフェラガモの靴を探したが、売り場が小さくて靴なんか1足も置いてない。
そもそも免税品店が小さい。しょぼいな~。
しかし、結局、買い物はしてしまった。すげー金額の……詳しくは後日。

ああ、書くの忘れたけど、私たちは朝食を食べていなかった。
空港で食べようとしたら、Sbarroとスターバックスしか開いてない。もう9時なのに~。
もうちょっと待って、他の店が開かないか様子をみようということになったのだった。
でもいつまで経っても店が開きそうな気配がない。
とうとう私はギブアップして、Sbarroでベーグルとクリームチーズを買った。
「カフェラテちょうだい」と言ったら、スターバックスを指して「向こうで買え」だって。
仕方なくスターバックスにも並んだ。完全分業(笑)。

10時を過ぎても開かないので、妹もあきらめて(バーガーキングが開くのを狙っていたらしい)、その辺をうろつきに行った。バニラフレーバーのコーラと、スナック菓子を買って帰ってきた。
バニラフレーバーのコーラは、ひとくちもらったけど、ううううう。ふつうのコーラのほうがいいよぅ。
どうしてこっちのひとって何でもかんでもフレーバーをつけたがるのだ?
(コーヒーのメニューにも必ず「ラズベリー風味」だの「ブルーベリー風味」だのがあるもんね)

10時45分、搭乗開始になった。
飛行機に乗って、ニューヨーク離陸。さよならアメリカ(つってもこれからしばらくはアメリカ国土の上を飛ぶんだけど)。

機内のエンターテイメントプログラムは往きと全く一緒だった。なんだかなぁ。
しばらくマージャンゲームで遊んだあと、映画「スクービー・ドゥ」と「メン・イン・ブラック2」を見た。どっちも笑えた。
あまり眠れないうちに(だって体内時計はほとんど昼間だもん)成田に到着してしまった…。
これですっかりおしまい。

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2002年11月 6日 (水)

メガロポリス旅行6

朝8時。朝食を食べに出た。Sbarroというイタリアンのファーストフードに入った(スターバックスと同じくらいよく見かける店)。妹はブッフェとコーヒーの何か。私は直径18センチのカイザーロールとクリームチーズとカフェラテを食べた。美味しかった。しかしなんつーでかいカイザーロールだ。

妹の友人も合流して、42ndの突き当たりにある波止場まで歩いた。
Circle Lineという会社の窓口へ行って、マンハッタン島一周クルーズを申し込む。
「潮が高くて一周できないかもしれないがいいか」と念を押された。あとでよく考えたら、「潮(水位)が高いと橋の下を通れないから一周できない」ということだったらしい。

10時出航。
天気は悪い(笑)。しかし、室内は揺れて気持ち悪そうなので、表デッキの椅子に座った。どえらい寒い(笑)。
手が凍りそうなので思わず手袋したりして。
船は南へ進路を取っている。西側にはニュージャージー。
エンパイアステートビルが見えてきたが、うえのほうが雲に隠れてまるで見えない。昨日、行っておいてよかった。
南端へやってきた。ウォール街のビル群をパチパチ撮影。
その後、自由の女神の近くに寄った。
今年中にはまた中に入るサービスを再開する予定とのことだが、どうだか(テロ以来、中には入れない)。
女神は美人だった。

マンハッタンの東側へ。
ブルックリン橋は素敵。つい何枚も写真を撮ってしまった。
この頃になると天気が少し良くなってくる。エンパイアステートビルもかなり上まで見えるようになった。
いくつか橋を通過したあと、やはり、とある橋の手前でUターン。くぐれないらしい。
ルーズベルト島の東側(往きに通ったのは西側)を通って戻った。
ガイドの兄ちゃんは、それでも仕事だから、往きとは違う話題を見つけて一所懸命にお喋りする。う~ん、なんてお喋りなんだろう。喉がかれないんだろうか? そういえばマグカップをずっとそばに置いていた。中身は紅茶だと、妹は言っていた(いつ見たんだ…)。

帰りはさすがにうたた寝。
ガイドの兄ちゃん、頼むからもうちょっとゆっくり喋って。早くて聞き取れない。
ビル=ゲイツが住んでいるマンションで、でも最上階は別の人間だ、とかいう話は聞き取れても、実際にどの建物がそれなのかがじぇんじぇんわからない。

時間どおり、13時にクルーズを終え(一周はしなかったが、出航した場所よりちょっとだけ北まで行った)、下船。こういうものにはつきものの、乗船前に撮ったポラロイド写真が売られている(笑)。大サイズはやめて、小サイズ2枚のセットを妹が買った。
そのままひたすら歩いて34th St.のMACY’Sまで行こうということになる。
すぐ手前でピザ屋に入ってお昼ご飯。ピザは美味しかった。

MACY’Sはデパートだ。
1階へ入るなり、小物やアクセサリーがいろいろあって楽しくショッピング。
私はまず革手袋を買った。
だって女物で自分の手にあうサイズの革手袋って、日本でなかなかないんだもん。
真っ黒のシンプルな、でも内張りがカシミヤというよさそうな手袋を50ドルはたいて購入。
妹はこの間にベルトなどを買っていたようだ。
そのあとで上の階にカシミヤセーターを探しに行った。いや、日本で私のサイズ探すの面倒だし、高くて。
ちょうど手ごろなやつがあったので、黒と水色と2着買った。

デパートの次は本屋へ行こうということになり、地下鉄でひと駅乗ってBARNES&NOBLESを探しに行った。
入ってみたらCDばかり。
「いつCD屋になっちゃったの!?」と思っていたのだが、奥のほうへ行ったら広広とした書籍スペースがあった。
というよりも、たまたま一区画を占めているCD売り場へのドアから入っただけらしい。もう少し歩いた先のドアから入れば、問題なく書籍だらけだったようだ。

日本ではあり得ないことだが(別にそれが悪いと言ってるわけじゃない)、特価セール中のコーナーがあって、ネイティブアメリカンの占いキットを半額で売っていたので、つい買ってみた。でもあとで中を見たら、ガイドブックがすげー厚さで……使う前からめげている。
他にもティム=バートンの絵本や、ヒエログリフのフォント(だってMac用だったんだよ~)などを買った。本屋って面白い。

いろいろ見ている途中で、時間を聞かれたり(ここまでは別によくある風景)、「キミもマリオが好き?」と聞かれたり(どうも眺めていたクックブックがマリオのクックブックだったらしいが好きも何もお初でござる)、「この本、ケッサクじゃない?」と同意を求められ「ほんとだ、ヘンな本ですね」と相槌をうったら「でも結構役に立つと思うのよ。なかなか着眼点のいい本だわ」などと話されそのうえ「あら、オリヴィア(ブタのマスコット)だわ、私これが欲しかったのよ~」などと話されてしまった。
………なぜ皆こんなにフレンドリーなんだ。
ああ、もうひとつ印象的なことが。
クリスマス関連の絵本を眺めていたら、後ろを壮年の男性が「Everybody reads cookbooks.」と呟きながら通り過ぎていった。
わー。「みんな料理本ばかり読みやがる」ってこと??

BARNES&NOBLES(本屋)を出て、疲れたので近くのコーヒーショップで休憩。
ひとしきりお喋りしたあとで、妹の友人とは別れた。

ホテルへ戻る手前で、MAXIE’Sというレストランに入ってみた。
でも開店したてでアルコールがないという。
妹はそれが気に入らず、ここではチーズケーキとコーヒーだけ頼むことにした。
そもそもチーズケーキが美味しそうだから入ったのだし、私は旅行中に一度ニューヨークチーズケーキを食べたいと思っていたのだ。
チーズケーキはものすごいでかかった……。
食べ終わる頃には半分気分が悪くなりそうな感じ。
美味しいけど、ボリュームありすぎ。ゆうに二人分はある。
妹に手伝ってもらわなければ、気持ち悪くて倒れていたかも(いや本気で)。
実はこのレストランの料理はすべてそういったボリュームのようで(だからMAXIE’Sなのか?)、こちらの人たちですら残して「持ち帰り」になさっていた。
もう信じられん。ステーキが3段積み重なって、その脇にマッシュポテトが3スクープ、他にも付け合せが乗っているようなプレートを、どうやって一人で食べろと? 私たちなんか二人で食べても食べきれるかどうか怪しい。こんな奴ら相手に戦争を仕掛けてはイカン。

いったんホテルへ戻り、そのあとで近くのduane readeというファーマシーへ行った(これもチェーン店であちこちにある)。メラトニンと、グルコサミンを買ってみた。軟骨よ、目覚めよ(笑)。

デリに入って、妹は夕食の物色。ハンバーガーとスープとビールを買い込んでいたようだ。
私はグレープフルーツジュースだけ買った。もうこれ以上何も入りません。しばらくチーズケーキは見ないでいいです。

ホテルで荷造り。うわぉ。増えてる(当たり前だ)。
なんとかきゅうきゅうと詰め込んで、寝た。
この日はこれでおしまい。

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2002年11月 5日 (火)

メガロポリス旅行5

朝。妹とホテルを出て、地下鉄R線で34th St.駅へ。
どこへ来たかというと、エンパイアステートビルを見に来たのだ。ビルをというか、ビルから見るというか……。とにかく登らねば。というわけでまずチケット買いに並んだ。朝から結構混んでて驚き。
せっかくだから、と、展望台と「スカイライド」とかゆーアトラクションのコンボチケットを購入。私はそれにオーディオガイドもつけてもらった。

エレベータで80階へ行き、まずオーディオガイドを借りた。そこからまたエレベータで86階へ。
さて、と、思って聞き出したら、日本語のを借りたはずが英語だった(涙)。
引き返して取り替えてもらえばいいのだろうが、何となくそのまま英語で聞くことに。
展望台には2から6までの数字の看板があって、この番号とオーディオガイドの番号とを合わせて聞くらしい(1は「こんにちは」、7は「さようなら」のお言葉)。
空いている6番から、逆に回った。
しかし。
ガイドを聞きながら回ると、結構ゆっくりになる。終わったときにはすっかり冷え切ってしまった(笑)。
最上階ではないが、ここだって86階だ、かなり風が冷たい。
それはそうと、下を見下ろしていたときに、「途中の階に飛行機が突っ込んだらそりゃイヤだろうな」などとつまらぬことを考えてしまった。本当にイヤだと思う。ああ、イヤだ。でも登るんだから、人間って馬鹿だ。

快晴ですばらしい眺めを堪能したあと、1階へ降りてブランチ。そう、朝食まだだったの。
Big Appleというレストランで、クリームチーズ付きベーグルとシーフードチャウダーを頼んだ(&コーヒー)。ベーグルがとても美味しかった。妹はトースト付き卵焼きセットを頼んでいた。
どうも西海岸と違って、東海岸のパンは美味しいらしい。

ご飯のあとでSky Rideというアトラクションへ。
本番に辿りつく前に2部屋くらい通過するが、どちらでもビデオが流れ、それで待ち時間を潰させる。
で、実際のスカイライドは10分くらい。
思ったよりしっかり座席が揺れた。わざわざ揺れるような画面作りをしてるし。
内容は……なんつーか、ユニバーサルスタジオ系?
私たちはコンボチケットだから9ドルだったけど、定価の19ドルを払うのは馬鹿馬鹿しいかな~。
妹は酔って気分が悪くなっていた。

地下鉄に乗って、今度はマンハッタンの南へ。Courtlandという駅で降りた。
地上に上がったら、目の前がグラウンド・ゼロだった(ツインタワーのあったところ)。
まだまだ関心が高いようで、たくさんのひとが見に来ていた。
角を曲がった向こうまで歩けそうなので、歩いてみた。
跡地はすでに工事中で、デザインは変えるのだろうが、再建を誓っているらしい。
周囲には花の供えられたところがあったり、寄せ書きスペース(元からそうなのかは不明)があったりして、皆の関心の高さをうかがわせる。
寄せ書きを見ていたら、若い白人女性が近づいてきて、自分はアーティストで人びとの写真を撮っている、ついては撮らせてもらえないかというので承諾した。彼女のカメラはLEICAだった。さすが。

街中をそぞろ歩いた。
建物の写真をいくつかと、あるグローサリー兼デリの店内の写真を数枚撮った。いろいろと細かい店が多くて楽しそう。逆に大型スーパーなんかがないようだ。
City Hall駅から地下鉄でいったんホテルに戻った。

今度は別な駅から別のラインで81st St.の駅へ。
自然史博物館へ行って、プラネタリウムを見た。
プラネタリウムの「Are we alone?」の映像はすばらしかった。絵もいいが構成もいい。
どうも脚本を書いたのが映画「コンタクト」の脚本家らしい。
また、ナレーションがハリソン=フォードだった。すごくわかりやすい英語で感動。どうしてスクリーンではああいうふうにハキハキと喋ってくれないの?(笑)
非常に面白かった。
でも時間が少なくて、肝心の展示はあまり見なかった。Biodiversity(生物の多様性)の部屋くらい。

ここのミュージアムショップも充実していて楽しかった(肝心の展示も見ないで何やっとるか)。
本も多いし。混んでないし。
ここで「アンモライト」とかいう石のピアスを買ってしまった。不思議な石だったので。

地下鉄でホテルに戻ってから、すぐ近くのレストラン、TEXAS★TEXASへ行った。
本日のスープ(レンティル)と、チリコンカルネと、リブアイステーキを一皿ずつとって妹と半分こ。分量もちょうどよく、美味しかった。

そしていよいよ「Mamma Mia!」の会場へ。
このブロードウェーミュージカルのチケットは、妹が日本で(インターネットで)取ってくれた。
2階席だけれど、中央で見やすかった。
幕間ひとつ挟んで約3時間。カーテンコールではABBAの曲を3曲ほど歌い、客席は総立ちだった(コンサートみたいだ)。さすがアメリカ、ノリが違う。
スパンデックスのパンタロンが笑えた(笑)。
あのミュージカルはあれだね、ドナ役と、ドナの友人二名の技量がものすごく出来を左右するね。
ここの劇場の出演者はなかなかよかったと思う。

ホテルに帰って明日の打合せ。それから私は葉書を7枚書いて寝た。
この日はこれでおしまい。

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2002年11月 4日 (月)

メガロポリス旅行4

8時半。朝食は、ホテル付きのレストランで食べた。
パンケーキセットを頼んだら、でかいパンケーキが3枚も!!(食べきれない)
妹は卵料理付きのセットにしていたが、卵は2つとあったので「1つずつ別なスタイルで料理してもらってもいいのか?」と尋ねて、ウェイターに「そんなこと聞いたのはお前が初めてだ」と呆れられていた。
ともあれ、たくさん食べられて幸せそうだ。

今日の昼間は妹と別行動。
昨晩、ここでもらったガイドを調べていたら、目的の美術館が火・水と休みだという。
つまり今日しか行く日がない。
妹はニューヨークに住んでいる友だちと一緒に自然史博物館(ワシントンのとは別)を見て回る計画だったので、私は別れて行動することに。

ホテルの売店で地図を仕入れ、現在クイーンズ地区にある現代美術館までの行き方をざっと聞いて出発。
42ndまで歩いて地下鉄に乗った。地下鉄なのに、マンハッタン島を出たら地上を走るようになった。
33rd St.駅で降りてちょっと歩くと、真っ青で平べったい、四角い建物がある。これがMoMA QNS(もま・くいーんず)だった。
手荷物検査後、中でチケットを買い、「バッグを預けろ」とおじちゃんに言われて大きいかばんと上着とを預けた。
展示を見て回る。
先に特別展示を見た。現代の潮流、みたいなやつ。
中に奈良美智の作品があって、笑った笑った。ヘンなやつだ、やっぱり。
日本人では他に、キムラタカシというひとのアニメチックな絵が展示されていた。う~ん、こんなアニメおたくっぽい絵がMoMAに展示されてしまうのか……なんともいえない。

それとは流れが別の特別展示(こちらは建築っぽかった)では、日本人は磯崎新と黒川キショウが1点ずつ展示されていた。
Pesceというひとの「Church of Solitude, New York」という作品が気になった。
好きじゃないんだけど。
好きじゃないけど、しばらく見ていた。

常設展を見る。点数が少なくてがっかり。
とくにカンディンスキーとワイエスがひとつもなかったのは痛かった。がーん。
実はここは仮住まいらしいのだ。
本館はセントラルパークのすぐ南にあって、現在改装工事中らしい。
ここクイーンズでは縮小経営中なわけ。残念。

ロスコーの作品があった。ロスコーって……近くで見ると間抜けというか、馬鹿っぽくてよし(笑)。
モンドリアンも原画に近寄って見ると、にじみというか、境目がきちんときれいに描かれていなかったりしておかしい。こういうのは原画を見ないとわからないんだよね。
ピカソとマティスはやはりすごい。作品の存在感が……
マティスは、小品は私的には今いちだったが、大きいものはとにかくすごかった。柔軟さ、明るさで群を抜く。
フォンタナも1点だけ出ていて心が和んだ。ヤヨイクサマの隣だったからかも(笑)。
リキテンシュタインの1点もよかった。

正午になって入り口に近いところで若い音楽家たちによる演奏が始まった。ヴァイオリンとヴィオラとチェロ。
ミュージアムショップでちょっと買い物したあと、出口付近に立っているおじちゃんにイサム・ノグチ美術館への行き方を聞いて、MoMA QNSを出た。
外に出たらいつの間にか雨が降っていてびっくりした。

イサム・ノグチ美術館は建物の2階にあった。こちらも仮の営業所みたい。がーん。
中を見て回る。外は雨だし、中は人も少ないし、ゆっくり時間をかけて見られてよかった。
これだけノグチの作品を一度に見るのは実に久しぶりで嬉しい。
彼は、私にとって一番好きなアーティストかもしれない。
彼の作品と会わなかったら、彫刻にもモダンアートにも興味をもてなかったかも。
ちょっと休憩。椅子に腰掛けて絵葉書を7枚書く。
ちょっとどころかかなりだらだらと長居してしまった。
同じ建物の3階にあるアフリカ美術館でアフリカのお面を見て、外に出た。

時間が余っているので、やはりクイーンズ地区にある映像美術館へ行こうと思い立つ。
タクシーをなんとか苦労して拾った。
運転手さんは親切なひとだった。帰りの地下鉄の駅がどの辺りにあるかまで教えてくれた。

で、着いたはいいが、月曜休館で閉まっている。がーん。
仕方ないので、地下鉄に乗っていったんホテルに戻った。

妹たちとの待ち合わせまで時間があるので、マンハッタンの53rd St.にあるらしいMoMAのDesign Storeへ行くことにした。
Design Store店内は、家具や台所用品までいろいろあって楽しい。
クイーンズのミュージアムショップより断然品数が多い。
(そしてヘンなものが多い(笑))
いろいろ見たあと、ピンで壁に留めるフェルトの時計と(すごいおかしい、家に来たら見て)、モンドリアンの葉書やでかいクリップなんかを買った。
先ほどのミュージアムショップで買い物したとき、割引券をもらっていたので、10ドル引いてもらった。

店を出て、時計を見て、時間を勘違い。どうもこの日はこういうところがダメだったな。
「もう18:40だ!!」と思い込んで(待ち合わせは18時~18時半)、猛スピードでホテルに帰ったが、ロビーには妹はいない。そりゃそうだ。部屋に戻って時計を見たら18時前だった。
これにはいろいろワケがあって……そもそも東京時間のまま、時計の針を直していないのが問題なんだけど、2時間程度なら引けばいいからいいやと思って直してなかったのだ。
で、お店を出たときは17:43ごろだったのだが、私の時計では19:43、これを20:38、すなわち「18:40だ!」と勘違いしたらしい。馬鹿みたいだ~。

妹とお友だちとがロビーに現れ、3人で夕飯を食べに行った。
最初に目指したケイジャンレストランは20時までドリンクバーらしいので、諦め、ホテルのすぐ近くにあるイタリアンレストランに入った。
スープ、ジャンボ海老のサラダ、プリマヴェーラ(魚介類とクリームソースのパスタ)、それにBassのグリルを注文。どれも非常に美味しかった。テーブルに出てきたパンがまた美味しかった。
最後にラズベリーソルベを食べて、満腹満腹。
この日はこれでおしまい。

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2002年11月 3日 (日)

メガロポリス旅行3

9時。ホテルをチェックアウト。荷物はフロントに預かってもらった。
昨日の夕方、帰りがけにあたりをつけておいたカフェに行ってみた。FBI本部のすぐそばだったので開いているに違いない!
本当にそんな理由じゃないだろうが、運良く開いていたので入って朝食。
食べながら、他のお客を見ては「あのおばちゃんはFBIかも」「あのおじちゃんはFBIの建物の警備員じゃない」などとおしゃべりした。
帽子のお兄ちゃんがパン種をいくつもいくつも伸ばす作業をしていて、ついつい見てしまった。
妹がサラダをもの欲しそうに眺めていたら、そのお兄ちゃんに通りすがりに「フッ」と鼻で笑われた。

今日は午前中しか時間がない。
本当はアメリカ美術美術館へ行きたかったが、改装中で開いてない。なんてこったい。
そこで、アメリカ歴史博物館へ行った。
ファースト・レディ関係の展示室があるとのことなので、そこを見に行く。
一口にファースト・レディというが、実は「こういうもの」という定義はなくて、それぞれの大統領夫人がそれぞれに活動してきた(あるいはしなかった)というもののよう。知らなかった。
「私はもうバターも作らないし家事はいっさいしないわ」と断言したひとから、静かにひっそりホステス役に終始したひとまで、さまざまである。
最近のファースト・レディの中では、やはりF.ルーズベルト大統領夫人と、ケネディ夫人の影響が大きいようだ。特にジャッキー(ジャクリーン=ケネディ=オナシス)は未だに人気が高いようで、土産物屋ではジャッキーの着せ替え人形ブックも売っていた。ちなみにブッシュ大統領一家の着せ替え人形ブックもあった。だれが買うのだ……。

9・11の展示もやっていたので見た。ヒサン。
あ、あの、飛行機テロのことです、9・11って。
何度見てもひどい。
みんなの関心も高く、ここのビデオルームは混んでいた(ここだけだ、他に人がいたの)。

ホテルに戻って荷物を引き取り、ガラガラと引きずって地下鉄の駅へ。
地下鉄に乗ってユニオン駅へ向かう。
キャリーをガラガラ引っ張りながら、ユニオン駅のショッピングモールにあるVictoria’s Secretに入った。こちらでは有名というか大手のインティメイト用品屋さんだ。ちょっとだけ買物。
そのあと、Sbarroというイタリアン系のファーストフード屋でピザを買い、Amtrakの汽車に乗り込んだ。
15時ちょうど、AmtrakのAcela Express発車。車内でピザを食べた。
その後、妹はすっかりおネンネ。
私はひとりで車窓を流れる風景を見ていた。東部は木が多くてきれい。
ロスアンゼルスとはまるで違う。

17:50、New Yorkに到着。うろうろして地下鉄に乗り、なんとかホテルにたどりついた。
またごろごろ。
21時、外出。
近くのSushi Restaurantに入ってみた。寿司屋オンリーじゃなくて、日本風・タイ風・中華風・イタリア風・アメリカ風などなどをミックスしてあるみたい
。料理は美味しかった。価格は高いが。しかも量がそれほど多くないので、今まで食べた中で量あたりの単価が一番高いだろう(笑)。
そして何といってもウーロン茶が無茶苦茶おいしかった(笑)。

隣の夫婦(marriedとは思わなかった)に話し掛けられたので、しばらくおしゃべりした。
黒人で、英国出身とのこと。夫は銀行に勤めていて、日本にも出張で来たことがあるらしい。
そのときは夫婦で帝国ホテルに泊まり、「何もかも高かった」と力説された。
そりゃね……帝国ホテルじゃあね……私ら庶民にはそもそも泊まれないところですよ。そりゃ高いよ。
お姉さん(おばさん?)はマシンガンのようにしゃべるひと。面白かった。
若そうに見えて、14歳の子どもがいるって、いったいいくつなの……。

ホテルに戻って、明日の予定を立てて、私は葉書を6枚書いた。
この日はこれでおしまい。

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2002年11月 2日 (土)

メガロポリス旅行2

9時にホテルを出発。朝食を食べるところを探すが、どのカフェもまだ開いていない。なぜ?
仕方なくスターバックスに入る。
アメリカに来てスターバックスに入るのもなんだかなぁ……。
日本のようにゴミゴミ混んでいるようなことはなく、マフィンとカプチーノとでのんびり朝ごはん。
おいしいのはおいしい。

公園をぽこぽこと歩いた。リスが多い。街中でもときどきみかけるが、公園の中はリスだらけだった。あのふわふわの尻尾にさわりたいなぁ。
人間には慣れているようだが、さすがに一定以上近づくと逃げちゃう。
雀も多い。こっちの雀はでかい。でかくて丸い。
彼らが木の枝に停まっているのを見ると、「お、重そう」とつい木の枝に同情してしまう。
丸くてかわいいのだが……日本にやってきたら、日本のスマートな雀は全部やっつけられちゃうだろうな。

ホワイトハウスを通過。
昔は館内の見学も受け付けていたが、テロ以後はなくなってしまった(テロリストの馬鹿やろー)。
と、中へ入っていく学生の一団がいる。
リザベーションがどうたら言っているようで、「予約があると入れるんだろうか?」と気になった妹がオフィサーらしきおばちゃんに尋ねてみたら、「上院議員の紹介がないと入れません」だって(確かそう言ったと思うが…)。
外側を回り、正面にあたる柵の外側から写真を撮った。きれいな建物だ。

ワシントンはとてもきれいな街で、実際、驚いた。
建物もきれいだし、何より木が多い。森のようだ。
緑と白の街、という感じだった(ダウンタウンは行ってないのでわからない)。

そのまま歩いてリンカーン記念堂へ。どうしても来たかったのだ。
ここも綺麗だなぁ。
しかも朝方で、晴れ渡っていて、非常に気分がいい。
そのまま、工事中で干上がっている Reflecting Pool の脇を通り、ワシントン・モニュメントへ行った。
どうも中に入れるらしい。
入場チケットを取るため、キオスクみたいなところに並んだ。入場は無料(どこもかしこも)。実はここら一帯は National Park らしいのだが(リンカーン記念堂にもレンジャーがいた)、こんなに何もかも無料でいいのか?? この辺でちと文化の差を感じさせられる。

ワシントン・モニュメントは14時の入場ということにして、それまでスミソニアンの自然史博物館へ再び行くことにした。
今日は氷河期と、アジア・アフリカ文化と、骨の展示室とを見た。
おかしかったのは手すりについている「What’s New?」のプレートで、「ネアンデルタール人はアフリカおよび東アジアにはいないとわかった。したがって展示中の地図は間違っている」などと書かれていた。

博物館のカフェで昼食。すごく混んでいた。
博物館自体も混んでいた。今日が土曜日だからだろう。
二人ともそれぞれちびスープ(つっても結構あるんだよ)を一つずつと、フライドチキン&ポテトを二人で1カップ(こっちの人にとってはただのスナック)を買った。これだけでもう十分です。

ワシントン・モニュメントに登った。高さは160メートルくらい。
エレベータに乗る前に、ここは厳格なセキュリティ・チェックがある。空港と同じようなやつ。ああ、テロの影響がここにも……
上からの眺めはとてもよかった。帰りのエレベータの中で、ときどきモニュメントを造っている石の裏側を見せてくれた。「ワシントン市からの石」だの「誰某からの石」だの、表はつるつるだが裏側に名前や彫刻が施されているのがいくつかあって、面白かった。

まだ時間が少しあるので、スミソニアンの宇宙航空博物館に行った。
子どもが多い(笑)。
プラネタリウムに入って1上映、見た。なかなか面白い。プラネタリウムもこういうのを上映すればいいんだな。
一応、月の石には触っておいた。「だから何?」って言われると困るけど。

今日の夕食は、ホテル1階にある「Harry’s」という飲み屋さんにした。
スープと、バッファローウィングとを一皿ずつ頼んだ。
どっちも大きなお皿で出てきて仰天。
しかもその前にポップコーンのお通しが、サラダボウルくらいの皿に山ほど出てきて吃驚。おいおい。
でも他のお客さんたちは平らげてるんだよね……。みんな、どういう胃をしてるんだ……。
最後にアイスクリームを注文した。これがまた……3スクープで、1スクープがそもそも大きく、生クリームとチョコシロップで愛らしく(激しく)デコレートしてある。すごいよ~。食べましたけどね、アイスは全部。それにしても食べ疲れた。
この日はおしまい。

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2002年11月 1日 (金)

メガロポリス旅行1

朝7時に家を出た。8時ジャスト東京発の成田エクスプレスで一路成田へ。
一緒に行く妹はぎりぎりになって電車に駆け込んできた。ヒヤヒヤ。
しかも乗ってから「どっちのターミナル?」。
(私は妹と母親にチケットを買ってもらったので考えてもいなかった…)
チケットは第一ターミナルまで買ってあったのだが、結局第二らしい。ヒヤヒヤ。

11時ごろ、飛行機が離陸。
ANAで、各座席にミニ液晶がついている。それでスパイダーマン(今いち)とマイノリティリポート(面白い)とを見た。ちび画面なのがちょっと……。

現地時間09:33、ワシントンDCの空港に到着した。
全部機内持込にしたので、サクサク出る。
乗合バスで市内へ。運転手さんや乗り合わせた女性客とちょっとお喋り。こっちのひとはフレンドリーだなぁ。
ホテルにチェックインしたあと、二人とも2時間ほど昼寝した。昼夜逆転してるから眠いの眠くないの。
それでもなんとか14時半ごろに起きだして、ヨロヨロとスミソニアン博物館群のうちの自然史博物館へ向かった。

博物館はすべて入場無料(すげー)。
しかし、入館に際しては手荷物チェックが行われる。
手荷物はすべてポケットを開けて見せなければならない。
う~ん、テロの影響がこんなところに……。

1階と2階をそれぞれ部分的に見る。何しろ広い。
座るところがたくさんあって、とてもありがたかった。
細々したビデオがあちこちに用意されていて、なかなか面白いものやかわいいものが多い。
時間も短いし、端的でいいなぁ、こういうの。
宝石・鉱石のところはやはり面白いが、あまりの点数の多さにくらくら。
Gem Shopでお土産を見ていたら、閉館時間が迫ってきたらしく追い出された(笑)。商売っ気がないね。

また少しホテルで休憩したあと、ユニオン駅へ地下鉄で行った。
明後日の汽車のチケットを取ってから、その辺で夕食。
スープを一人一つ、それにシーザーサラダとチェサピークカンサス(ステーキ・クラブケーキ・ポテト盛合せ)を一皿ずつ注文した。
しかし……
アメリカは何もかもでかかった。いや、知ってるはずだったんだけど、久しぶりでつい……。
スープを一人一つ、ボウルで頼んだのは間違いだった。
とても全部の料理を食べきれず、それでも頑張って「このくらい食べれば残しても怒られないだろう」というところまでひいひい言いながら何とかして平らげた。

苦しい胃袋を抱え、地下鉄でホテルまで戻った。この日はおしまい。

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