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2002年10月 5日 (土)

舞台:オペラ「ポッペアの戴冠」★北とぴあ・さくらホール

二期会の公演。オケが古楽器で、BCJの鈴木雅明が音楽監督だというので観に行った。

理解に苦しむ脚本(大笑)。ブゼネッロだっけ? 何を意図してこんな脚本書いておるのじゃ?(笑)
感情移入できるやつがほとんどいない。
どいつもこいつも人間のクズ(か、それよりちょっとマシなくらい)。
ポッペアは、日本ではポッパエアというほうがわかるかも。
ローマ皇帝ネロの愛人で、皇后の位につくけれど、最後は不興をかって殺されちゃう。
そのポッペアが戴冠するまで。
ちなみにこの人、皇后になる前、夫もいました。
ポッペアと乳母、ネロ、ネロの教師セネカ、現皇后オッターヴィア、ポッペアの夫オットーネ、それを恋するドゥルジッラらが登場する。

こういうものを演出するのは確かに難しいだろう。
そう、きっと難しいんだよ。
でも言うけど、中途半端な演出だった。

鈴木雅明がプログラムの中で語るように、もしこれが「反世界」を表すものであるならば、狂おしいまでの享楽か、馬鹿馬鹿しいまでの厳粛か、どちらかを表現しなければダメだ。そこまでしなければ近代人には伝わらない(あ、日本には近代人ってほとんどいないか)。
あるいはそれらを取り払って(つまり演出性を捨てて)音楽のみに任せるか。

情事を連想させるような態勢はあっても、それ自体を感じさせるような明らかさはない。
肌は触れ合っていても、 人間の欲望は見えない。
ネロの嗜好にしても、2幕でルカーノとの男色が暗示されるが、その前後と絡んでこないため、結局なんだかわからず尻切れトンボに終わる。ちょうど伏線を張っておきながらそれを使わなかった映画みたい。あそこで二人を箒で掃き出したりしたら面白かったのに。

とゆーわけで、3幕あたりから退屈しだし、劇場を出たときに最初に感じたのは「幼稚だな」という感想だった。
こうした前近代の(私、別に近代を全崇拝してるわけじゃありません)幼稚なオペラの中にモーツァルトが現れたら、そりゃあみんな度肝を抜かれるわ。

音楽はよかった。モンテヴェルディらバロックの音楽家のシンプルな音の美しさというのは、聞くに値するものだから(譜面には近代作家の手も加わってるみたいだが)。
だから。
演劇としてよき演出をするか、音楽として楽しめるものにするか、あるいはエンターテイメントとして笑えるものにするか、焦点を絞れって。

歌い手の中では、本日のドゥルジッラ(声と歌い方が好み)、オッターヴィア(声量・深みがある)、小姓(声量あり)、アルナルタ(歌うまい…が声量に難、また演技力はあるのになぜか一本調子に陥りやすい)、などの人びとが目(耳?)を引いた。
セネカはいい声だったが、棒読み。「歌ってるのに棒読みってどういうことよ」と思うけれど、そう感覚するのだからしょうがない。
ネローネ、ポッペアはまあまあ。キューピッドはやや奥行き不足。
総じて歌はよかった。
しかし、声量は日本人の課題なのかな…。

何といってもよかったのは古楽器オーケストラ。見ても聴いても楽しかった。14弦のなんたらいう楽器まで見ちゃった。
ここではこれ以上語らないことにするが。

最後に難癖。
カーテンコールを真面目にやってね。
疲れたように隣のひととおしゃべりするな。「もう帰っていいかしら」式にばらばらと退場するのも、こちらはしらける。
キューピッドの振りだけ大げさでわざとらしく浮いていた。
余韻も大切にね。

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