舞台:「夏の夜の夢」★シアターコクーン
■演目:夏の夜の夢
■演出:蜷川幸雄
■出演:嵯川哲朗、白石加代子、林永彪、他
■日時:2002年8月31日(土)18:00~
■会場:シアターコクーン(渋谷)
結局もう一回見に行ってしまった。運良くオークションでチケットを手に入れられたのだ。
前回は向かって左手の、端っこだが前から7~8番目だったと思う。このときは俳優が間近に見られてよかった。
今回は向かって右側の、後ろから7~8番目。今度は舞台全体が一望できて、これはこれで非常によかったと思う。近くで見るのは楽しいけれど、全体の構成に目が行かなくなっちゃうんだよね。
おかげで今回は「どこでパックが入れ替わったか」もバッチリ見えた。
幸福な時間だった。
何度見ても面白い。こんなことなら毎晩通えばよかったとちらっと思ったくらい。
(まぁ、会社が忙しかったんでムリなんですけどね、どのみち)
しかし……こんなに忠実にシェイクスピアを上演できるものだろうか?
もちろん、演出・演技などの着想はオリジナルだし、台詞も結構アドリブが入っている(どれもツボにはまってて無茶苦茶可笑しい)。
私が言いたいのは、台本のことだ。
シェイクスピアの劇には、物凄く長い台詞がよく出てくる。
活字で読んでいても飽きてしまい、「こんなの聞いてたら寝ちゃうよ」と思うほど長い。
それを見事にこなしていた。見ていて、聞いていて飽きない。
テイタニアもオベロンも、あの長台詞を苦痛を与えずに聞きとおさせた。
最後のパックの「口上」ですら、「早く終わればいい」などとは決して思わない。普段だったら退屈で「省略すればいいのに」と思うだろうところを(省略する向きも結構いるはず)、まだ終わってくれるな、あと少し、と、願ってしまっていた。
■月光
舞台上の演出で、舞台一面が石庭だ。敷き詰められた砂利を利用して(足で蹴ってみたり喧嘩で相手にかけてみたり)いろんな演技が生まれる。
そこにタテに細長い四角いスポットをあてながら、同じスポットから砂を落とすという趣向。
砂時計の砂が落ちるのを、真上から細いスポットをあてて見せるような感じ。
これは森の場面で使われる(石庭はずーっと石庭のまま)。
どうも月光なのではないかと思うのだ。
木洩れ日を見たことがあるひとはわかるだろう。
木洩れ日の光は、通常よりとても柔らかく感じる。大気の粒子が見えるような柔らかさだ。
これはなかなか電気の照明では再現できない。フィルタをかけるとかいろいろ方法もあるけれど、たぶん難しい。
それを再現しているのではないかと思う。
直下にあたるスポットライト中に、まさに落下中の砂の粒子が見えるのだけれど、これが「木々の間から光が降るさま」のイメージと重なる。
まぁ、私の勝手な思い込みかもしれないが、非常に面白い演出だった。
蜷川の演出は(特に舞台装置は)どれもそうだ。シンプルなのにものすごく深みがあって、観る者の想像力をどんどん膨らませてくれるのだ。
■蜷川氏
今日は千秋楽前日ということもあり、カーテンコールが前回より一回多かった。
拍手が鳴り止まないのも凄かった。
最後のカーテンコールのとき、白石加代子が「蜷川さーん」と呼ぶ声がして、「えっ」と思って一番後ろを見たら、いるではないかご本人が。ラッキー!
思わず総立ち。私もスタンディングオベーションなんか久しぶり。
だれもかれもこの瞬間は後ろを向いて、稀代の演出家のために手を拍った。
驚いたことに(私は驚いたの)、蜷川氏は、案に相違してとてもとてもやさしそうな人だった。
灰皿は投げそうにない(笑)。
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