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2002年7月13日 (土)

コンサート:大崎結真☆ピアノリサイタル~「ピアニスト100」53/100

■演奏:大崎結真
■日時:2002年7月13日(土)16:00~
■会場:彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
■曲目:モーツァルト  ピアノ・ソナタ第10番ハ短調 K.330
    グラナドス   「ゴイェスカス」より”愛と死”
    スクリャービン ピアノ・ソナタ第5番 op.53
    リスト     ピアノ・ソナタロ短調

うまい。
が。
彼女の演奏にことごとく欠け落ちているもの。それはリズム感である。

別に演奏者にリズム感がないわけではなくて(なかったら演奏できませんがな)、演奏にその表現がないということだ。
美しく弾いているんだけれど、聴いていて曲のリズムが全然つかめない。
その、テンポを遅くしたり速くしたりするのがめまぐるしいとか、そういう次元ではないらしい。
リズム感が、ない。

別にリズムの表現がなきゃならないわけでもないのだろうが、それが必要な曲を演奏すると、聴いている方はかなり所在無い。
今回のプログラムで言えば、2曲目のグラナドスがそうだ。
グラナドスの曲がすべてそうではないだろうが、今回の曲はクラシカルなピアノ曲である一方、スペインの民族的特徴が取り入れられている。場面も、瀕死のマホ(伊達男)と取りすがるマハ(粋な女)を描いた場面で、まさに情熱のスペイン。
そうしたスペイン的特色を効果的に表すには、どうしてもズンドコズンドコ、ダンダダンと、地の底から響いてくるような、スペイン(の下層)らしい地に付いたリズム感が必要なのだ。
それが全くない。
どんなに麗しくメロディに抑揚をつけても、このリズム感がないとまるで「らしくない」曲になってしまい、どんな曲として聞いていいのか全然わからなくなってしまう。
というわけで、胸に響く悲壮感もなく、非常に所在無く終わった。

これがスクリャービンやリストになると、リズム感なんて別にどうでもいい(とは言い過ぎだけど)、鍵盤を弾く音の組み合わせをその前後だけ聞いていても実に面白いので問題がない。
スクリャービンのソナタなんか、宗教的神秘主義的で形而上的雰囲気たっぷり。作曲者にとってリズムはきっと重要だったろうけど、演奏を聴く側は必要としない(笑)。

リストは良かった。
リストのソナタはかなり美しかった。
有名なメロディの部分など、何度も聴きたいと思わされた。
アンコールの一曲めもリストの小品で出来がよく、彼女はリスト弾きだなぁなどと確認してしまった。

いやまぁ、若いんだし、まだまだこれからいくらでも可能性はあるんだけど。
でも今の弾き方で、リズム感の重要なベートーヴェン、チャイコあたりを聞くと「わかんな~い」となりそうである。

中村紘子と、ここの芸術監督の諸井誠とは毎回聴きにくるようだ。お客には門下生も多いみたい。

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