« 2002年4月 | トップページ | 2002年6月 »

2002年5月の記事

2002年5月31日 (金)

舞台:ヨーヨー・マ&マーク・モリス ダンス・グループ in Tokyo

■出演:ヨーヨー・マ、マーク・モリス・ダンス・グループ他
■日時:2002年5月31日(金)19:00~
■会場:Bunkamuraオーチャードホール
■内容:「アーギュメント」(シューマン:民謡風の5つの小品)
    「フォーリング・ダウン・ステアーズ」(J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番)
    「ペカディロス」(サティー:子供らしさ)
    「ヴィー」(シューマン:ピアノ五重奏曲)

すっっっごい面白い公演だった。期待していたよりずっとずっと。
できるだけ正確に説明しようと書いていたら、ついつい、長文になってしまった(汗)。

「アーギュメント」は私的にはまぁまぁ。
曲をこなすごとに、ヨーヨー・マのチェロの音色が場になじんでくるような変化があって、聴いていて面白かった。

「フォーリング・ダウン・ステアーズ」はなかなか面白かった。
タイトル通り、伴奏に合わせてダンサーたちが階段の上から転がり落ちるようにする。最後にはみんな床に倒れてしまったりして。
踊り手たちはみなカラフルな衣装を着ていて、人が踊っているというよりは、いろんな色の服がひらひら舞っている感じだった。
この作品が有名なのだということは、あとから新聞記事で知った。

「ペカディロス」。
私はプログラムを買わなかったので、これらの演目名は帰ってからネットで探したものである。
この幕では、おもちゃのピアノの伴奏で、中年のおじさんが独りで踊った。これが見ていてむちゃくちゃかわいい。
本当に中年のおじさんなの。上半身がちょっと太り気味の、日曜になると白いTシャツ1枚にジョギパンかなんか着て、ビール片手に日曜大工をやったりTVでアメフト見たりするような、ふつーのおじさんなの、見た目は。でも踊っている(演技している?)間は、まるでそういうおじさん臭さを感じさせないの。
伴奏がおもちゃのピアノということもあるが、そのおじさんの踊り(というより体の動き)から受け取るイメージは、「おもちゃ」や「子ども」である。最初から最後まで、歩くその姿までがそのイメージに貫かれている。いろんな振りをする、仕草のひとつひとつがかわいらしい。中年のおじさんなのに。
終わったあとでプログラムを覗き見たら、この幕の伴奏曲がサティで、曲名が「子どもらしさ」だと知った。思わず唸ってしまった。
いや、うまかった、おじさん。

実はその「おじさん」がマーク・モリスその人だった。巧いのは当たり前。

最後の「ヴィー」がまた非常に見ていて楽しいダンスだった。
これより前の作品群に比べて、時間が長い。でも全然飽きないのだ。

ダンサーたちは半分が水色、もう半分が白の衣装を着け、舞台を出たり入ったり踊ったり走ったり歩いたり這ったりする。そういえばどの作品でもそうだが、よく走っていたなぁ。
さておき、色と色との組み合わせだけでも目を引きつけられるのに、伴奏曲のシューマンに合わせて音の通りの動きをするので、ますます目が離せない。
音に合った動きではない。音の通り、動くのだ。これは、なかなか凄いものがある。

また、輪唱のように、同じ振付を微妙にタイミングをずらしながら二人で踊ってみたり、そのペアが呼び水となって2組目、3組目、と次々に後続が現れ、同じように踊って見せたりする。
これを見ていて、ちょうどクラシック音楽のことばかり思い出していた。クラシックでよくある構造では、テーマがいくつかあって、それらが繰り返し形を変えて登場する。現れるテーマは、すべて同じものであり、しかしながら実は一つ一つが似て非なるものである。そうしたパーツを幾重にも重ね重ねて全体を作り上げている。その意味では、クラシックバレエも思い出された。
ただし、クラシックバレエとは違って、かっちり型にはまってしまわない。コール・ドのようにラインで踊るような振付はあるが、揃え方は非常にルーズである。少しずつ、少しずつ、人によってずれている。「輪唱」の構造とやや趣の異なるずれ方だ。そのルーズさがジャズダンスの要素であったことは、これまたあとで新聞記事を読んで知った。

どれも「踊る」というより寧ろ「体を動かす」という印象だった。
どの「ダンス」にもありがちな、高慢さがない。
「キメ」のポーズだとか、超絶技巧だとか、ダンス的な技巧・構造を駆使して見せるようなこともなく、よくありがちな「わざとらしさ」、もっと言えば「鼻につくいやらしさ」というものが欠片もなかった。
彼らの動きは総じて、平易で(舞踏としての難易度は逆に高そう)、なじみやすくて、私たち庶民と同レベルのモノである。手を挙げたり走ったり、這い蹲ったり立ち上がって歩いたり、肘膝を閉じたり開いたり。
なんと言っても表現がわかりやすい。老若男女、おそらくだれでも楽しめる。その証拠に、帰り際に何組ものお客さんたちが、「すごく面白かったね」「思っていたよりずっと良かった」という台詞を代わる代わる語るのを耳にした。
平易な表現で他人の心を打つというのは非常に難しいことだ。それを彼らはやってのけた。

最後に、カーテンコールでヨーヨー・マが壇上にあがり(「ヴィ」ではオーケストラピットにいた)、マーク・モリスと二人、楽しそうに挨拶していた。彼のチェロの音色も、「伴奏」ではあったが、この公演の成功に貢献していた。
ナマの音はいい。その場で伴奏者とダンサーのコミュニケーションが生まれ、それが観客にも伝わるのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月30日 (木)

バッハ・リュートの作品集 Vol. 2★エドアルド=エグエス

■CD:バッハ・リュートの作品集 Vol. 2
■演奏:エドアルド=エグエス
■定価:2,900.-
■発行:マーキュリー(M054A)

アルゼンチン生まれのリュート奏者。
「Vol. 2」とあることからわかるように、第一弾は2年くらい前に出ているらしい。そしてレコード芸術2000年12月号の特選盤になったらしい。

なんだか世界に2本しかない特製マイクで録音しているそうだ。
確かに音質、すばらしいです。
聴くうちに、いいスピーカーといいアンプが欲しくなるはず(すでに持っている人は「持っててよかった」と思うはず)。
イタリアのどこだかの修道院で演奏、そのまま録音したという話なのだが、もう音響効果抜群。シビレちゃいます。

リュートの柔らかい響きと、バッハの美しいメロディであなたをノックアウト!(別にマーキュリーの回し者じゃありません)
いや、ホント、ヴィオラ・ダ・ガンバの音を聴いたときも「がーん」とアタマを殴られたようになりましたが、このリュートの音色を聴いたときも「どっかーん」と胸の中が爆発したような気がしました。
古楽器の音色は、一般に思われるように「古臭く」なんかありません。すばらしい。
これまたかけるとなると、一晩に3回くらい繰り返し聴いちゃってます。
リピート女だから、私………。

クラシック苦手なひともきっと大丈夫! 一曲ずつ聞けば。
寝る前にリラックスするにはぴったり。
でも、だれかとお喋りしているようなときにかけるのもよし。だって全然邪魔にならないから。
やさしい音楽です。

▼このアルバムの紹介はこちらでどうぞ
http://www.shinseido.co.jp/classical/mercury/


ところで、3日も続けてCDレポートしているのに気がつきました?
そうなんです。先週、久しぶりにCDショップへ行けたので、1万円ほど仕入れたのデス。
ささやかでがしょ?
どれも割とアタリで至極満足。
でも気に入ると売り飛ばせないから、CD量が増えるのは困惑…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月29日 (水)

Under Rug Swept★アラニス=モリセット

■CD:Under Rug Swept
■演奏:Alanis Morissette
■定価:\2,400.-
■発行:ワーナー(WPCR-11110)

名前はよく耳にしていたけど、あんまり意識して聞いたことがなかった。
おそらく「この曲がそうだよ」と言われれば「ああ、この曲のひとか」と思うんだろうけど。

今回、なんとなく新作を買ってしまって、聴いてみて満足。
ハードな香りがするわりに聴きやすい。
こういう聴きやすさのあるロックだとは思っていなかった。
(キャッチィだということではありません)

私はやっぱり3曲目の「Hands Clean」が好きかな。
たぶんシングルカットされているんだと思う。とっつきやすい。
何度も聴いてしまった。
そしてつい、10月のコンサート・チケットを先行予約してしまった………お馬鹿?

1枚目2枚目のアルバムも今度買って聴いてみようっと。

▼このCDはこちら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月28日 (火)

「放浪」★タブラトゥーラ

■CD:放浪(vagabondaggio)
■演奏:Tablatura
■定価:\2,400.-
■発行:ワーナー(WPCS-11259)

某アマゾンで見たら、「古楽器系クロスオーヴァー無国籍バンド」だって(笑)。なるほど。
リュート奏者のつのだたかしが中心のユニット。

国籍はナシ!(たまたま構成員が全員日本人だっただけ。たまたま
ジャンルもナシ!(古楽器使うせいでクラシックに括られるがクラシックじゃないぞ~)

中央アジアを思わせるかと思えばラテンだったり津軽三味線だったりと変幻自在なオリジナル曲に、中世あたりの曲も加え、全16曲で構成されている。
今回はバッハ・コレギウム・ジャパンの公演でもお馴染み、アルトの波多野睦美さんが加わっていて、歌も3曲あります。とてもきれい。こうやって聴くといい声だなぁ。
そうやってしっとりした歌があるかと思えば、ちゃかぽこちゃかぽこした感じの曲もあり、聴いていて飽きない。
楽しい~。

久々に「めっけもん」のCDだった。
今は、毎晩とは行かないが2日にいっぺんは必ず聴いている(笑)。
みなさんもぜひ聴いてみて。
特にワールドミュージックの好きな方、いいと思いますよ。

▼このCDはこちら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月27日 (月)

読書:『闇先案内人』★大沢在昌

■書名:闇先案内人
■著者:大沢在昌
■出版社名:文芸春秋
■発行年月:2001年09月

売れっ子、大沢在昌が8年を費やしたといわれる和製ハードボイルド・ミステリー。
‥‥ホントに8年かけたのか?
読んでると、某国のトップの息子が、いつの間にか日本に密入国してたってあの事件しか思い出さないんですけど。もっとも現実の目的は東京ディズニーランド(話が本当なら)、小説中での目的は‥‥レベルが違うけどね。

内容は‥‥葛原と名乗り「逃がし屋」をやっている男に舞い込んだある依頼(もとい脅迫)。同業者つまりプロによって密入国した重要人物の行方を、密出国するまえに押さえて欲しい---追いつ追われつ、プロの意地と誇りをかけた凄絶なる死闘の幕が上がった。

ハードボイルドである。固ゆで卵である。
ハードボイルドが苦手な人はまず脱落。
ただし、欧米のものほどハードではない。「そっちに転んでラッキーだったね」という感じが多分にある。
それから予定調和である。
予定調和が苦手な人にもあまりオススメしない。

そこそこ面白いとは思う。でもまぁ、魂を揺さぶられたりはしない(ファンのひと、ごめんなさい)。
主人公の葛原が、頭が良くてカッコイイ。
はったりとだましが非常に上手い。
あとは「裏社会ってこんなふうになってるの~?」と興味深く思う。
登場人物の過去や内面もきちんと書かれていてグー。
でも、変な話だが、それらの人物たちの過去や心情が、たがいに決定的に関わりあうことはない。

とはいえ、やっぱり上手いよね。
一気に読めるもん。所要3時間。
ヘンなカッコつけじゃない、薄っぺらなワルぶりでもない、中年の、男の、「カッコイイとはこういうこと」みたいなのを読みたければこちらをどうぞ。

▼この本はこちら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月26日 (日)

配線

ISDNからADSLに変えたことは4/25や5/2の日記に書いたが、おかげで電話周りの配線を全部やり直すことになった。

といっても、自分ではうまくできないので、ケーブル類など材料だけ揃えて、とーちゃんが上京するのをお待ち申し上げていた。
とーちゃんはちょうど一昨日、仕事のため上京遊ばされたのだが、今回はお暇がおありだとのことで、この日曜に配線を御願い申し上げ奉った(舌噛みそう)。

いや、大変でした、結構。
10メートルと20メートルのモジュラーケーブル(電話線だ)をはずし、7メートルの電話線と10メートルのLANケーブルとを天井を這わせて配線。
おまけに大元の電話線までごしょごしょと引っ張り出して、モジュラージャックからスプリッタまでの距離を縮めてくださった。
まぁ、元が工学部人間だからそういうのは結構お好きで、コダワリを持ってやってくださる。だから出来上がりも綺麗。

ちなみに私と母はもっぱら口で応援していた(そりゃちょっとは手伝ったけど‥本棚の本を移動するくらい‥)。
もーすぐ「父の日」だというのに、やってもらうばかりで何もしてあげていないにゃ~(そして何も贈るつもりはナイ)。

とーちゃんはついでにかーちゃんから依頼を受けて、電動鉛筆削り器の壊れたのもなんとなく直してござった。どうして直るんだろう?
また「余計なことしないでください」って電気屋に叱られてしまうわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月25日 (土)

豊作

今日は半日、取り入れに時間を費やした。
梅の実の。
今年はすごい数なのだ。狂い生り
そして若い枝がそれはもうわさわさと生い茂っている。
「え~い、伐っちゃえ~」と、高枝伐りバサミをば取り出だし、梅の実の生りに生る枝をばっさばっさと落としちまうのが、最近の収穫の仕方。
かわいそうだ? いいんだよ、どうせ若枝は伐ってやらないと木本体が弱っちゃうんだから。
若枝を伸ばし放題にしとくのって、大食らいと同居するようなものなんだから。いくら養分吸っても足りなくなっちゃうでしょ。
だいたいあなた、木の枝伐ったこと、あります? あんな重いモノないよ、知ってる? あんな重いもんを全部担いだまま台風なんか来てごらん? 倒れちゃうから(冗談じゃなく、手入れしてなかった桃の木が根っこから倒れたことがある)。

と、枝を切るいいわけはこのくらいにして。
まぁ、あるわあるわあるわ。伐っても伐っても実の生る枝がなくならない。なんてこったい、オリーヴ。あ、これはプラム(梅)か。‥‥‥今だれか「さむい」って言わなかった?

気を取り直して。
真上を見ても、首は痛いは、眩しくて枝の様子がよく見えないは、何度も後ろに下がってどこにどんな枝があるか確認する。
今度は近寄って、伐りやすい枝からどんどん伐ってって、それを下でキャッチして梅の実を取りはずす‥‥わけだが、伐ってるそばから実がガンガン落ちてくる。ほとんど爆撃。いてー。枝も変な軌道で降ってくる。やめれー、そんなところでバウンドするなー(汗)。あるいは降ってこない。こらー、諦めて落ちてこーい‥。

四苦八苦して、かなりの枝を伐り落とした。
一区画、生い茂った部分がなくなって、庭は明るくなった。
代わりに梅の木はへんてこ丸坊主になってしまった。ごめん‥‥。
そのうちに植木屋さんに来てもらうからさ、それまで我慢して‥。

収穫した梅の実は、全部で11キロ。あ~、重かった。
梅酒二瓶と梅ジュース二瓶にするべく洗って漬ける(私が寝っ転がって本を読んでいる間に、母が全部やってくれた)。
瓶の中身はほとんど梅(笑)。市販の梅酒なんかとはちょっと違うよ(笑)。
そのうちの梅酒一瓶は、明日、妹夫婦の家へ持っていく予定である。
庭の実で梅酒やらジュースやらができるのは楽しい。
取り入れの苦労も報われるというものだ。
(最初軍手をしなかったから、右の小指サイドの皮が剥けた。ちょっと痛い。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月24日 (金)

展示:プラド美術館展★国立西洋美術館

■内容:プラド美術館展
■会場:国立西洋美術館(東京・上野)
■会期:~2002年6月16日(日)

金曜日は午後20時まで開館しているのを利用して、仕事帰りに観に行った。
「仕事帰り」って単純に書くけど、結構あれやこれやを振り切って帰っていたりする(笑)。
ともあれ、1300円の定価(!)でチケットを購入して館内へ。いや~、定価で買ったの、久しぶり‥‥
どーでもいーが、このテキスト、全部登録できるのか‥? むちゃくちゃ長いんですが‥‥(汗)。

━━━━━━━━━
 プラド美術館展
━━━━━━━━━
華やかなり、スペイン絵画。※注:全部がスペイン産ではありません。
今回のお気に入りは、ゴヤの自画像(巨人も好き)、ティツィアーノのキリストとキレネ人、スルバランの神の仔羊に、フランシスコ=バイェウのマドリードのデリシアス大通り。
ベラスケスの肖像画もよかった。
ベラスケス、人物の切り取りが上手い。背景は現代の写真屋のようで、実は非現実的空間である。小道具すらないこともある。それでもなお迫ってくる存在感。
ティツィアーノ大好き。
彼のキリストが見られただけでも満足してしまった。背後の闇、どこにでもある闇の中に消え入りそうな涙のキリスト。
ヤン=ブリューゲル。ブリューゲルはやっぱりパパだよね。田舎の婚礼、パパの作品。どこがどうというわけもなく、「うまいな」と思わされる。

リベーラの2作品、聖セバスティアヌスと、隠修士聖パウロの絵が、どっかで見た覚えがあるんだけど、どこだったか思い出せない。わりと最近のことだと思うのに。
ティントレットのユディトとホロフェルネス。ホロフェルネスはネブカドネザル配下の総大将のはずだが、なんか痩せた感じのじーちゃんが描かれててちょっとイメージが‥‥可笑しかった。
ルーベンス、エウロペにそんなに筋肉つけるなーーー!!(笑) 気のせいか、天使たちもムキムキな感じ。

ムリーリョがたくさん来ていた。彼の絵はどれも目が逞しい(笑)。十字架を背負うキリストまでもが、不屈の闘志を湛えちゃってる(笑)。同じ十字架を負うキリストを描いたティツィアーノの作品(前出)は、見るモノの涙を誘わずにはいられないというのに、ムリーリョのキリストはしっかり独りで立っている。
エル・グレコ。その名の通りギリシア人。彼の絵を見ていると、何となくビザンチンのイコンや何かを思い出す。色彩感覚が他の人と異なっていて、遠目に見ただけで彼の絵とわかるのは流石。

実に華やか。絢爛たる一時代。
そうでありながら、ゴヤやベラスケスに見られる精神性は重たい。
最後に19世紀のスペイン絵画が展示されていたが、私的にはまぁ‥まぁ‥。
スペイン絵画らしい華やかさを取り戻すには、やはりピカソ、ミロまで待たねばならなかったか。

━━━━━━
 常設展示
━━━━━━
わりと早く見終えてしまったので(堪能したが、時間的にはカンディンスキーの半分だった)、せっかくだから常設展示を見に入る。
そもそも西美にくるのが何年ぶりかなんだよ(苦笑)。
で、面白かったわ、久しぶりに。
途中、フランドル派っぽい画家の「田舎の結婚」とかいう絵があったのだが、つい、「キミ、これ、ブリューゲル・パパの絵(前出)を見て描いたんじゃないか?」と聞きたくなった。構図は全く別なのにねー。どうしても続き物に見える。フシギだった。

常設展示の中のオススメは、なんと言っても「平成11年~13年度新収版画作品展」の部屋である。
プラド美術館展は6/16までやっておるが、こいつは5/26までしかやっておらぬ。今日、ここに来たのはラッキーだった。
デューラー、クラーナハ(パパ)、レンブラント、マネ、ピカソ、ブラックなどの有名人と、その他にも好事家には名が知れているであろう版画家たちの佳作が揃っていた。
レンブラントの若かりし日の自画像がかわいかった。いや~かわいい~。
あと、エミール=ベルナールというひとの版画が目を引いた。なんか、版画版フォービズムみたいなの(笑)。
ピカソの「貧しき食事」は、さすが。目玉でしょう。
ブラックの「フォックス」はどこがフォックスなんだか全然わかりません(笑)。線、線、線。線。それだけ。いいぞ~。
ハインリヒ=アルデグレーファーというひとの連作「死の力」も面白かった。「死と司教」とか「死と教皇」とか。どんなにエライ奴、威張った奴でも死は免れられないんだよね~。ザマアミロってところ?
絵画が体制側のパトロネージュで食ってきたのに対して、版画ってなんとなく「反体制」とか「諧謔」の表現を担ってきた感がある。

版画から普通の部屋に戻って。
今年新しく買ったらしい作品で、カペというフランスの女流作家の自画像がよかった。若々しくみずみずしい。非常に魅力的な女性が画面の中に描かれていた。目が合うと思わずほほえんでしまう。
最後の間にピカソの抽象画が3点あって、抽象画の方が好きな私にはうれしい。近くで見てもあまりどうとも思わないが、ずっと離れて振り返るとなぜかとても美しく感じられる。惹かれる。きっと、いくつか他の画家の作品と肩を並べて置いたときにも、その絵の前に寄っていってしまうんだろうな。そういう魅力。

★おまけ★
おみやげ売り場で「マドリードのデリシアス大通り」を探すも、ハガキはない。やっぱり。絶対ないんだよ、自分が買いたい絵のハガキって。毎回、そう。
それより、「神の仔羊」の付箋を売ってるんですけど‥‥
こんなクライ付箋がついてきたら、それをもらったひと、どう反応していいか困らないか?
クライよ、この付箋‥‥
こんな付箋を作る人のセンスと神経が理解できない。
もちろん、買いました。さあ、だれにつけてやろう‥‥‥(笑)。

▼「神の仔羊」の画像はこちらの記事で見られます
http://event.yomiuri.co.jp/2002/S0126/tenji.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月23日 (木)

ぐみ

庭に小さいぐみの木があって、今、ちょうど実が赤く熟している。
「とって食べよう」と思うのだが、家に帰ってくると忘れてしまってまだひとつも食べていない。
でもどんどん減る。
だってひよどりが食べちゃうから。
(ひよどりって甘いもの好きなんだってね)
この間もうまそうに食べている現場を見てしまった。
「しまった、食べられた! 私も食べなきゃ!」と思ったが、やっぱり忘れて食べてない。
このまま全部ひよどりに食べ尽くされそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月22日 (水)

考課

考課の季節である‥‥。やだやだ。
評価される側もイヤだろうが、評価しなきゃならん方は、実はもっとイヤである。
とりあえず自己採点表をつけてもらって~、それを見ながら一人ずつ面談して~‥‥
終わったら自分の中で考えをまとめて‥‥もちろん、時間あたりの単価の推移とか、自分でデータを作れるものは作って‥‥細かい評価と総合評価を自分なりに決めて‥‥ちゃんと各人に対するコメントも作って‥‥

そうして「よし、今回はこういう評価でいくぞ」と提出すると、第二次評価でがらんがらんと覆され、「私はいったい何のために評価したの‥?」とブルーになる。
毎回その繰り返しかも‥‥。

ともあれ、今日は他に何一つできなかった。
一応終わったのは終わったので、明日からは少し仕事にも何にも余裕ができるかもしれない。
ここで日記を書く暇も(笑)。

でも半月すると、今度は賞与の査定が‥‥(汗)。もーやだ。だれか代わって。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月21日 (火)

舞台:五月大歌舞伎☆四代目尾上松緑襲名披露興業

夜の部を見てきた。
尾上辰之助あらため四代目松緑襲名興業という鳴り物入りで、やっととったチケットは一番前の、いっちばん右端の席である。

出し物は、最初に「舌出し三番叟」。これはまぁ、能の「翁」に当たるらしい。
要するにお目出度い舞ですな。坂東三津五郎が三番叟を舞っていた。
そういえばこの人も先頃襲名したばっかりだっけ。

次が「口上」。
菊五郎や団十郎、富十郎、田之助など15名が舞台上にずらーっと並び、お祝いならびに「何れも様」への引き立て厚情のお願いを一人ずつ述べていく。もちろん最後は歌舞伎らしい「お願い申し~あげたてまつりまするぅ~」といった節回しで締める。
中央には新松緑が座していて、最後に挨拶。
新松緑より、やはり諸先輩方の挨拶が面白いのが多かった。
とりわけ先代(二代目松緑、つまり新松緑のじいちゃん)にまつわる話をちょこまかと披露してくれて、面白いのと同時に傑物だったことを感じさせられた。
先代辰之助(つまり新松緑のとうちゃん)も芸に秀でた早熟なおひとだったようだし、新松緑は大変だ。すごいプレッシャーだろうと思う。

待ってましたの「勧進帳」。
もちろん、弁慶は新松緑である。いや~、かわいい弁慶だった(笑)。
目が大きいのはいいね。ああいう役が似合う。
富樫は菊五郎だったんだけど、カッコイイ役回りだなぁ。
最後に幕引きがあって、弁慶だけ花道の袖に取り残される。
そのときに幕の引かれた舞台のほう(つまりは富樫のいた方向)を向いて一礼する。
そのさまが見ていて富樫に礼したのか、菊五郎に礼したのか、どちらの思いも込められていたような気がした。

ところで、「勧進帳」も能の「安宅」が元である。
出だしの部分など、見ていて能を思わせる箇所がずいぶんあった。
別に能をよく見たり勉強したりしているわけでもないのに、おかしなことだ。

最後は団十郎の「半七捕物帖」。
世話物の軽快な舞台。団十郎の一人二役など、笑える要素が多くて楽しかった。
綺堂はいいねぇ。
印象に残ったのは、そば屋の大道具が回転して場面転換するところで、そば屋の主人と小女がそばを食べていたところ。
私は一番前だったから見えたけど、もはや舞台は半分回転していて、後ろのお客さんなんかそば屋が何しているかなんて見えないはずである。しかしちゃんとそこまで演技しきるんだな~。ちょっと感心。

いいけど、疲れました。長いわ、やっぱ。16時に開演で、終わったの21時30分でしょ‥‥
とりあえず、今後の松緑の精進に期待ということで、締めよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月20日 (月)

時計

みなさん、ご自宅にはいくつぐらい時計がありますか?
まぁ、だいたい壁掛け時計が一部屋にひとつずつ、それにオーディオだの給湯のコントロール機だのパソコンだのの電子機器に付属するデジタル時計が山ほど。
あとは腕時計、それから旅行に携帯するような小さい時計が2つ3つくらいかな。

え? そんなにない? そうですか? 案外見回すとたくさんありませんか?

昨日の夜、気がついたら自分の部屋の目覚まし時計が止まっていました。
電池切れです。
でも単2だったので、換えの電池がありませんでした。
しかして翌日は平日、会社の日。目覚まし無しで起きられるわけがない。
しょうがないので旅行用のミニ時計を引っ張り出してきて、目覚ましをかけたのでした。
ちゃんと起きられましたよ。目覚まし音がいつもよりずいぶん小さかったけど(笑)。
時計がいくつもあるって便利かもしれません。

しかし。考えてみたらこのときおっ母さんは留守だったのだから、そんな携帯目覚ましなんか使わないで、おっ母さんの部屋からふつうの目覚まし時計をくすねればよかったのでは‥‥?
「う~ん、携帯用目覚ましの存在に気づくなんて、私って頭イイ~」とちらっと思ったけど、全然頭よくなかったよ(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月19日 (日)

うぐいす

カーテンを開けたとたん、うぐいすが目の前にいた。
目は合わなかった。あ~、よかった。目があってたら絶対逃げちゃってたもん。
うぐいす、好きである。
体型がスマートなところとか、あのちょっと汚れた感じの色合いとか(笑)。

暫く、いや、かなり長い間ご無沙汰していた。
もうこの庭には来ないんじゃないかと思っていたのだが、ご到来があってうれしい。

うぐいすは目の前の榎の木で遊んだ後、向こうのわび助やらフェイジョア、その他の木にお停まり遊ばして、暫くうちの庭で過ごしていた。
残念ながらお声は拝聴できなかったが‥‥でも今の時期って、まだ練習中で鳴き方も下手なんだっけ(笑)。

うぐいすに限らず、今日は天気がいいからか、鳥の声で賑やかな日だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月18日 (土)

カンディンスキー☆余韻

語り尽くせなかったので。

「聖ゲオルギウス」の絵を見ていたときのこと。
「これ、あれが竜なのかな?」「ああ、あれが竜だよ」「そうするとあれが馬? 変なカオの馬~」「えっ、馬ってどれ? 馬??」
などという会話を友達と交わしていたら、隣で見ていた女の子が
「すみません。どうやって見るのか教えてもらえますか?」
う~ん、どうやって見るのかって言われても‥‥(笑)
一応、友人が「これが竜であれが馬であれが聖ゲオルギウスじゃないかって話してたんですよ」と説明。
「竜がいるんですか?」「聖ゲオルギウスって竜退治で有名な聖人なんですよ」などと話しているんだけど、やっぱり3人とも見方が少しずつずれているらしい。
友人が見る「馬」は私には「聖ゲオルギウスの面当て」だったかもしれないし、質問してきた女の子も友人の「馬」と同じ「馬」は見ていないようだった。
なんだかね‥‥何通りにも見られるってのは面白いね。こういう「どれがなんじゃらほい」って話を、軽くできるのはいいね(まじめに評論するんじゃなくて)。
そういう会話や笑いを自然に生み出せる作品はいいね。
あの女の子、もしかすると学校の課題でレポートを書くのかもしれないな。うまく書けただろうか。

「モスクワ」を描いた絵があった。ミュンヘン時代の最後か、モスクワ時代の頭。
友人と見ていて、「‥‥‥‥」「‥‥‥モスクワって感じがしないんだけど。」「‥‥『未来世紀モスクワ』って題ならわかる。」
どこがモスクワなのか全然わからなかったが、まぁ、あれがモスクワってことで(笑)。

話の順番がめちゃくちゃ。まぁ、勘弁して。
でっかい「コンポジション」の展示の側に、参考作品の写真などがあった。
その「コンポジション」の前段階となった「洪水」をモチーフとした作品群なんだが‥‥‥
そりゃ、似てると言えば似ていなくもないが、似ていない全くの別物と言ったとしても何も問題がなさそうである。
いや、普通「習作」みたいなものはさ、本番のやつの発展途上にあたるわけで、その発展の仕方が見ただけでわかるものなのである。そこを楽しむものなんである。
しかし、その発展の仕方がわからねーんだわ、「コンポジション」では(笑)。
どこをどう試行錯誤してどう発展させていったか、足跡がよくわからん(笑)。
‥‥‥素直に作品だけ見た方がよさそうである。

途中に「抽象的なコンポジション」というタイトルの絵があった。友人曰く、
「‥‥‥抽象的じゃないコンポジションって‥‥どれ?」(笑)
いやいや、きっとワシリー(カンディンスキーの名前)はね、あれでも具象的に描いたつもりなんだよ、コンポジション。それに比べるとこれは「抽象的」なんだよ、きっと。
などと適当に屁理屈をこねてみたが、やっぱり違いはわからなかった(笑)。

とにかく楽しい展示だった。私と友人にとっては。
他の人が見たら「なんであんたたちそんなに笑ってんの?」と訝しく思ったかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月17日 (金)

展示:カンディンスキー展★東京国立近代美術館

■内容:カンディンスキー展
■会場:東京国立近代美術館(東京・竹橋)
■会期:~2002年5月26日(日)終了

木・金は午後20時まで開館しているのを利用して、友人とカンディンスキー展を観に行った。
やはりいいなぁ~、カンディンスキー。
私、10年位前にあったカンディンスキー展は見損ねちゃって、あんまりまとめて作品を見る機会がなかったんだよね。
とゆーわけでとっても楽しみにしていったのだった。

もともと版画のひとで、中世ドイツ的な挿絵っぽいものも多い。
それらもとても魅力的なのだが、やはりコンポジション、インプロヴィゼーションでしょう。
インプロヴィゼーションは「即興」。
対するコンポジションは、作文・作曲など、構造を考えているものなのだろうか。
この展示で第3期・第4期に分類される期間、彼のミュンヘンにおける華々しき時代のその作品の数々は、どれもエネルギーに溢れ、見るものを魅了して止まない。

しかもどいつもこいつもエラク楽天的である。これも見ててはっきり分かるので面白い。
なんかね‥‥大雑把っつーかなんつーか、こだわらない感じでイイんだよね。
ピカソやらマチスやらが「いかなるタッチを置くべきか?」って悩んでいたそのときに、カンディンスキーは気の向くままに塗ってるだけなんだもん。いいよ~。すてき~(いや、本気で)。
「塗り残しとかそーゆーのは気にしないの!」って台詞が聴こえてきそうな絵がいっぱい(笑)。

本当に、あんなに楽しい絵だとは思わなかった。
印刷物を見ると「かっこいい」「美しい」という印象が強いけれど、実物は「面白い」「かわいい」「明るい」。
「明るい」といえば、あれだけ「黒」を使っておいて「黒」に負けない絵を描けるのは凄い。
どんなに暗い色を使っても、画面全体から明るさは失われない。
そして何といってもそのエネルギー。どんな小品からもエネルギーが伝わってくる。

しかし。
モスクワに帰ってからあとの作品は、どうもエネルギーが萎んでしまった。
途中の小さい風景画なんか「絵を描くの、やめてないか?」と思わせるほど、彼らしさがない。
そしてミュンヘン時代の楽天さもない。
なければならぬ理由もないが、生命力とか、ぼわぼわした無駄な部分が殺ぎ落とされてしまった感じで、見ていてちょっと辛かった。
ミュンヘン時代と一緒に見ないほうがいいのかも。
モスクワ時代の作品も、美しいのは美しいから。
でもあの圧倒的なパワーを秘めた作品を見た後だと、あせちゃうんだね。なんてスナオな人。

欲を言えば。
もーちょっと点数が欲しかった!
またどこかでやってくれないかな~。それよりドイツに行ったほうが早いかな‥‥
だれか私と美術館めぐりの旅、しません?(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月16日 (木)

白と黒

白黒が好きである。
別に「黒白つける」のが好きというわけではない(まぁ、玉虫色より好きだけど)。
白い紙の上に黒いインクが載っているのが好きなのである。

実を言えばカラー印刷についてはそれほど「美しい~」と思わない。
やっぱり白と黒とできっちり画面を作るのが美しい。
グレーも本当はダメ。
黒の網点がいい。
あの黒と白との組み合わせだけで、美しく見やすい画面を作るのが目標というか、あこがれである。
WEBでもそう。カラーが氾濫しているだけに、白黒で美しい画面を作れたらいいなぁと思う。

などといいつつ、結局カラーに逃げたりするんだけどね。未熟者ゆえ。
それにWEBは紙ほどに白黒が美しく見えないもので‥‥
その美しい紙ですら、最近はスミ(黒インク)の美しくない印刷が増えちゃって‥‥
どうやら軽オフセットの印刷が増えているらしくて‥‥
ちょっと悲しい。
まぁ、景気とともに盛り返すかしらん。

とにかく、一番美しいのはシンプルな白黒印刷である。
身の回りにありふれていて気づかないだけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月15日 (水)

舞台:「欲望という名の電車」★シアターコクーン

■演目:「欲望という名の電車」
■脚本:テネシー=ウィリアムズ
■演出:蜷川幸雄
■出演:大竹しのぶ、堤真一、寺島しのぶ、六平直政、他
■会場:シアターコクーン(渋谷)

どーしてこの人(テネシー)はこー恐ろしー曲ばっか書くかねー‥‥‥。
内面的な心温まる交流がほとんどないこの曲‥‥いや、これは言い過ぎだね。心温まるもの、たくさんあります。でも、私には、ひととひととが理解しあわない荒んだような印象の方が、それらを駆逐して強く残る。
それでもこの作品を美しく魅力あるものに成しているのは、全編を貫く哀しみである。
登場人物が魅力的でないなどとは言ってない。非常に魅力的。実に感情移入しやすい。
ブランチは現実逃避の権化だし、スタンリーは欲望と無神経の権化、ミッチは実はプライドの権化。
一番まともに見えるステラですら、最後に姉を見捨て現実を取った利己主義者である。
でもしょうがないのだ。現実に生きていかなきゃならないんだから。

物語の舞台はアメリカ南部ニューオーリンズ。大農園の令嬢として育った女主人公ブランチが妹ステラを訪ねてやってくる。ステラの夫スタンリーは、上流階級の流儀を捨てられないブランチにあからさまな憎悪を示す。そんな中、ブランチは自分をレディとして扱うミッチと出会い、彼との結婚を望むようになるが、スタンリーからブランチの過去を知らされたミッチはブランチを踏みにじる。現実をどうしても認められない弱い女ブランチは、とうとうスタンリーに犯されて狂気に落ちていく…。

大竹しのぶって‥‥
以前、蜷川マクベスを見たときにも思ったけど、「心に病を持つ女」をやらせると絶品。
無茶苦茶うまい。もう、言われたことに耐えられなくて吐き気を催すところなんか、「本当に吐くんじゃないか」とハラハラさせるし、せわしなく動く手やぶつぶつ独り言を言いつづける様なんか、ホンモノにしか見えない。
観ている者をどんどん不安に陥れていく。すごいね、あのひとは。

ブランチって「ヒロインの典型」とかいろいろ言われるけど、結局、嫌なオンナなんだよ(笑)。
どうしてもどうしても昔の自分を忘れられない。
どうしても目の前の現実を認められない。
それで、想像と狂気の狭間で生きながら、周りの人々を自分の弱さゆえの不幸に巻き込んでいく女…。

でも‥‥と思う。
彼女は悪い。どんな不幸な過去があっても、彼女が悪くないことにはならない。
それでも「彼女が悪い」と切り捨ててしまうやり方は、ちょうど心に傷持つひとびとを「あんたたちが弱いのが悪い」と切り捨てる現実とオーバーラップして、たいそう気分が悪くなる。自分にも思い当たる節がないわけではないので、とても悲しくなる。
だれもが悲しい。
だれもが引き裂かれる現実を持っている。
その引き裂かれようを、有形無形の暴力を、テネシーはどの作品でも恐ろしいくらいに表現している。

この舞台、大道具もいいが、音響がむちゃくちゃ素晴らしい。
あのポルカの使い方。ブランチの心象の表し方が、はっきりとわかって恐ろしい。
観にいく人は、ぜひ音響に注目(注耳?)してほしい。

なんか「恐ろしい」とばっかり書いてるかも(苦笑)。
テネシーの曲を見た後は「恐ろしい」と思っちゃうんです。
そしてやはり見るとボロボロになれる、蜷川の演出。劇場を出て10分くらい、何も喋れません。


▼原作本はこちら▼
欲望という名の電車 (新潮文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月14日 (火)

エスカレータ

JR新宿駅にある上りエスカレータが一つ、今日から下りエスカレータになってしまった。
そのエスカレータは私が毎朝通勤時に使っているやつで、重宝していたのだが‥‥‥
まるきり使えなくなって(当たり前だ)、反対側の階段から上らなければいけなくなった。
正味3分のロス?(笑)

確かに、足腰の弱い人のことを考えれば、エスカレータは下りを優先させるべきだと思う。
思うけど‥‥‥
ま、いっか。朝の運動がちょっと増えたと思えば。

丸の内線のダイヤは変わらないから、結局、山手線に乗りこむ時間がずれて、今までより1本遅くなる勘定だ。
それでも会社には20分前に着くので、まぁ問題ないんだけど。

でもでもでも、どうして突然下りにするのか、理由を説明してほしかったなぁ、JR。
納得いかない。ちょっとだけ(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月13日 (月)

PGスタンプ

プリントゴッコの理想科学が「PGスタンプ」なるキットを出した。あ、いや、「これから出す」のかな?
で、どうやらそのモニターに応募していたらしく(忘れてるし‥)、モニター用キットが2週間ほど前にお家に届いた。
モニター用紙の投函締め切り日は5月15日である。
早く何か作らなきゃ!!

ふつーに住所印を作ろうと思ったのだが、なんかつまらない気がして、
住所印は住所印でも、版元エスキ・ヨルジュの住所印を作ることにした。
スタンプの大きさは3種類。S(23×23)、W(23×55)、L(37×37)だ。
住所印を作るなら普通はWだろうけど、今回はLを使うことにした。
むーむー考えて、イラストレータで版下を作る。
(一所懸命考えた割にデザインがへーぼん‥‥)
それをOHPに印刷して、キットを使ってプリントゴッコで製版した。

うちにあるプリントゴッコは初代の黄色い奴なんだけど(もう20年以上使ってる)、このスタンプ専用のアタッチメントを設置するとその高さが邪魔で、「バッチャン」とやる部分がなかなか閉まらない。
しかして閉めなければ電気が流れず、電流が通らなければランプはつかない。
ランプがつかなければ感光させられず感光しなければいつまで経ってもスタンプシートが作れないことになるのであるから、ここは無理矢理にでも閉めねばならぬ。
閉めた瞬間に壊れるんじゃないかとヒヤヒヤしながら製版してしまった。
ともあれ、壊れなくてよかった‥‥あれ? 壊れたら新しいのを買うから、壊れた方がよかったのか? いやいや、この不況時にモノを粗末にしてはいけないよね。
そしていつものことだけど、製版するたびに電球が2つずつゴミになっていく‥‥。
これはモノを粗末にしていることにならないだろか‥(汗)。

無事にスタンプシートができたので、最後にインクを載せて浸透させてできあがり。
そう、このスタンプって、インクをつけて捺すやつじゃなくて、最初からインクを染みこませておくやつなのだ。浸透印っていうの?
同じスタンプの中で、部分的にインクの色を変えることができて、それは面白いなと思った。
(たとえば、ハート印だけ赤にして、住所は黒インクにするとか)
インクは今のところ、黒・赤・朱・青・緑の五色しかない。もっと増えるといいな。

思っていたよりずっとラクに作れた。やっぱり形のあるものを作るのは楽しい。
また何か作ろう。
でもな~、このスタンプシート&ホルダーがもーちょっと安いといいんだけどな‥‥‥
1個680円はぼってないか、理想‥‥。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月12日 (日)

コンサート:ツゥイ・チェン☆ピアノリサイタル~「ピアニスト100」51/100

■演奏:ツゥイ・チェン
■日時:2002年5月11日(土)16:00~
■会場:彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
■曲目:ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 作品109
    プロコフィエフ ピアノ・ソナタ第04番ハ短調 作品29「古い手帳から」
    ラヴェル    夜のガスパール
    ショパン    ピアノ・ソナタ第02番変ロ短調 作品35「葬送」

台湾若手ピアニスト、ツゥイ・チェンのリサイタルを聴きに行った。
緊張しているのか、大雑把なのか、歩き方がおかしくてかわいい。
おっと、それはピアノとは関係なかった。

ピアノはなかなか聞きやすかった。上手い、確かに。
ただ、「こもりすぎでは?」と思う箇所が何度か。わざわざ左ペダルを踏んでるのかなぁ。
プロコフィエフの演奏は、おかげで透明感が欠けて、私にはちょっと今ひとつ‥。

ラヴェルの「夜のガスパール」は、合う曲なんだろう、自在にこなしていた。
でもちょっと大雑把。ときどき隣の鍵盤も一緒に叩いたりして、それはご愛嬌(笑)。

ショパンは面白かった。弾く人によってずいぶん変わるなぁ。
今度、他の人の演奏も聴いてみよう。

耳に気持ちいい音。力強くて、私の好みかも。
(弾いてるんだか弾いてないんだかわからないようなピアノ演奏はあまり好きじゃない)
拍手が鳴り止まなくて、アンコール2曲(ショパンのバラードとラヴェルの小品?)が終わったあと、
もう一度出てきて、中国の曲らしい小さな曲を弾いてくれた。
ソロも共演もたくさんこなしているはずなのに、未だにどことなく初々しさの残る若手ピアニストだった。

こうなると次回も楽しみ。次は中国のピアニストだっけ。

しかし! 演奏中、後ろで小学生か中学生の女の子がずっと紙を折っていた。
うるさいんだよ。チラシで籠を折りたいなら、表へ出てくれ。
しかも、何がいやだったって、その保護者が何も注意しないこと。
お母さんでしょう、あなたは。やめさせなさいよ。
しばらくじーーーっと見ていたらやっと注意して止めたが、それまでは何も言わない。
子供は仕方ないとしても、あのお母さんの神経の無さは信じがたい。
‥‥‥どうしよう、来月も同じ席だったら(汗)。それだけが怖い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月11日 (土)

展示:三浦利文個展★シロタ画廊

今日は午後、リサイタルを聴きに行くので半休を取った。
そのリサイタルの前に、銀座のシロタ画廊に寄った。
中高でお世話になった美術の先生が、個展を開いているのだ。その最終日。

シロタ画廊は、版画を中心として、国内外の近代・現代絵画を扱ってきた老舗画廊だ。
三浦先生は孔版版画であるシルクスクリーンを専門にしている。

今回は青を基調とした版画が多かった。
私は「ノクターン」という作品が好きだった。
販売もしていらっしゃるが、私には買えない。もっと部屋をきれいにしないと(汗)。
先生、毎回お土産も持たずに行き何も買わずに帰って、ごめんなさい(汗)。

版画というと、インクを上から載せていくことばかり考えてしまうが、
今回よくよく見たら、ヌキの技法もたくさん使われていた。面白~い。
つまり、最初に青をほぼ全面に載せて、その上の版で下の青がのぞく窓を作っておくのだ。
「大したことないじゃん」というかもしれないが、最初から計算してやらなきゃならない。
どういう版をどう組み合わせるとどんな仕上りになるか、画家さんはそのへんを「理解」じゃなく「把握」しちゃうんだろうな。
印刷関係に勤めると、そんなところに目が行くので可笑しい。いや、面白かった。

同じ学校の卒業生の方がわりとたくさんいらしていて、そのうちの数名とオハナシした。
とてもアグレッシブなひとと知り合いになってしまった。
武蔵美を出た人で、やはりデザインとかそっち系の仕事をしていらっしゃるらしい。
結婚もしていらっしゃるが、「結婚は錯覚よ」と断言する、とても面白いひとだった。
さあ、年賀状リストに追加しなきゃ(笑)。

▼個展は終了しましたが、こちらに紹介ページのバックナンバーがあります。
http://www.gaden.com/shirota/2002/020506.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月10日 (金)

舞台:「長嶋茂雄殺人事件~徳光和男の青春~」★両国シアターX(カイ)

■演目:「長嶋茂雄殺人事件~徳光和男の青春~」
■脚本:つかこうへい
■出演:北区つかこうへい劇団
■会場:両国シアターX(カイ)

むぅ。
「それで、何でしょう?」
終わってからそう聞きたくなる舞台だった。

全体にはちゃめちゃ。そもそも長嶋を持ち出したところからそうなる予感はあっただろうが、すべてパロディのよう。これは脚本もさりながら、演出がパロディパロディにしちゃったんだな。

長嶋さんの語録(もちろんつかの創作)はかなり笑えます。
「へい、シェフ!」
「おれは板さんだ!」
「へい、シェフ! この湯呑みの、魚へんにブルーって書いて何て読むの?」
「さばです。青って言えよ、このやろう!」
「じゃあこの、魚へんにスプリングは?」
「スプリング‥‥春か。さわらです。ふざけんなこの野郎!」
みたいなのとか。
「1時か‥‥ミーはワイフとショッピングがあるんだよなぁ」
とか。
笑える。動きも結構研究してて、何しろ長嶋関連はおかしい。さすがミスター。

しかし。展開が早くて無茶苦茶な割に、テンポがよくない。テンポじゃないかな。キレかな。
なんだかえらい冗長に感じたり、でもその割に事柄が頭の中に入ってきてなかったり。
面白いのは面白かったけど、実になるものは何もない。
情けなさすら、迫ってはこない。
役者さんたちはだれもそこそこ魅力的なんだけどね。
でも役割分担が決まっているようなのもちょっとなぁ‥‥‥
たまには色の違う役をやってほしいなぁ、小川さん‥‥。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 9日 (木)

茉莉花

これまで意識していなかったのだが、家から駅までの道の途中に、大きなジャスミンの木がある。
少し前まで花の盛りで、毎朝通るたび道路一面に、白い花が降るように落ちていた。
木のそばを通り抜けるときには清涼な香りが体に入って、ちょっといい気分。
「爽やかな朝」って感じがする。
角を曲がってしまったあとも、まだ香りが残っている気がして、いい気分は駅まで続く。

それが朝の風景。
しかし、不思議なことに、夜、同じルートで帰っても、あんまり香りがしない。
していないわけはないだろうが、朝ほど意識にのぼってこないのである。
香りも半分、目で感じてるんだろうか(笑)。

そう思って今日の帰りは意識して通ってみた。
花の盛りを過ぎたせいか、香らない。
「夜はジャスミンも寝るのかな」と思って通り過ぎた。
と、少し香った。後ろから清涼な芳香が追いかけてきてくれたみたいだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 8日 (水)

サトイモ

お家の台所でサトイモの葉っぱが育っている。小さいやつ、ひとつだけ。
まだ葉っぱは開かない。早く開かないかな~。

別にわざわざ葉っぱを見るために「育てよう!」としたわけじゃない。
たまたま芽の出てしまったサトイモがあって(笑)、母がその部分を切り取って水栽培してるだけ。
「栽培」なんて言葉を使うと、後ろから殴られるかもしれない(というほど何もしてない)。

サトイモ、育てたことありますか?
あ、いや、そうじゃなくて、サトイモの葉っぱを楽しんだことはありますか?
葉っぱもかわいいけど、葉っぱにつく水滴がまた実に実にかわいいんだよね~~~。
まるくて緑緑した葉っぱの上に、ころりとまんまるなしずく‥‥ああ、かわいい‥。

チャンスがあったらぜひ台所に緑の葉っぱを!
これであなたもサトイモ仲間。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 7日 (火)

NEC第11回古楽レクチャー「コラールとコラールカンタータ」

■講演:コラールとコラールカンタータ
■講師:鈴木雅明(バッハ・コレギウム・ジャパン)
■日時:2002年5月7日 19時開演
■会場:東京オペラシティ・リサイタルホール

コラールは、ルター以後に作られだしたドイツ語賛美歌。主にドイツ・プロテスタントによる。
それまで教会音楽はカンペキに教会、すなわち神の(使徒の)代理人たちに属するものであり、聖書と同様、民衆にはご縁のないプロフェッショナルなものだった。
ルターは聖書を翻訳して、そうした代理人たちの独占権を地に落とした功労者だが(カトリックの方、ごめんなさい)、聖書だけでなく教会音楽も独占権廃止の方向へ進めたようだ。
彼は、歌うことによって民衆もミサに能動的に参加し(ありがたいオコトバを聞いているだけではダメ)、神の言葉、神の訓えに与るべきだと思ったのだろう。
字も読めない、楽譜なんかお話にならない、そうした彼ら(特に子供たち)に歌を耳で覚えさせ、血の滲むような努力の末に、民衆が歌う「賛美歌」というジャンルが確立した。
ドイツでのこうした賛美歌を、コラールと言うらしい。

バッハはこのコラールをたくみに利用し、カンタータに組み込んだというのが鈴木氏の本日のオハナシ。
カンタータとは、もともと一人によって単線で歌われる歌のことらしい(全体にうろ覚えなので、あまり粗探ししないでくださいね‥‥)。
語源はイタリア語のカンターレからきている。
そのうちに、コラールのように合唱パートだけでなく、アリア(音楽的強調パート)、レチタティーヴォ(お喋りチックなパート)なども含む多重構造による歌を指して、カンタータというようになった。

カンタータはもともと世俗のものだった。
でもあるとき、どこかの牧師がカンタータ詩集を出して、それに『宗教的カンタータ。ただし教会のものではない』といったタイトルをつけた。
鈴木氏によればこれは「宗教的演歌。ただしお寺とは関係ない」と言っているようなもので、聞いた人が「なんだそりゃ?」と思うようなタイトルであるらしい。

その後(割愛しますが)、教会カンタータと言われる分野が確立していき、バッハはその発展と大成に貢献するわけだが、彼の作曲した中に「コラールカンタータ」と言われる一部門がある。
それらはちょうど1724年6月11日の三位一体節後第1日曜日から、1725年3月25日の受胎告知の祝日のミサまで、ほぼ1年間に亙って作られた。
カンタータは、コラールが前後に配され、その中間にアリアとレチタティーヴォがいくつかずつ導入される。
その、前後のコラールに、既にあったコラール(賛美歌)の歌詞をそのまま利用したものをコラールカンタータというらしい。アリアとレチタティーヴォに使われる歌詞は、コラールの詞を織り込みながらも自由詩の形式を取っている。
中間の自由詩を毎週作ってくれた協力者、詩人が側にいたのではないかという話だ。

詩人はさておき、コラールをアリアやレチタティーヴォに反映させるというバッハの試みは、何も詞に限ったことではなかった、というのが今日のレクチャーのテーマ。
それぞれのアリア、レチタティーヴォには、コラールの主旋律を展開した旋律が散りばめられており、聴衆が繰り返しコラールを思い出し、信仰の原点を求めるよう、構成されているという。
それは、もともとがマイナーであるのがメジャーに変えられていたり、コードが変わっていたり、高音だけが微妙にずらされていたりとさまざまなので、シロートの私なんかには聴いただけではわからないような工夫である。

とにかく、音楽的な意味でも、コラールはアリアやレチタティーヴォのパートにも浸透し反映させられているのであって、そういう点でもコラールカンタータたちはただのカンタータたちと一線を画すといってよい、といった話だった。

そうやってコラールの多層的な展開を試みていった連なりで、コラールファンタジーともいわれる(?)ヨハネ受難曲が1725年3月30日に作曲されることになったのではないか、とは、質疑応答の時間に仕入れた話である。

途中、コラールやアリア、レチタティーヴォをバッハ・コレギウム・ジャパンの面々(S/A/T/B各1名)が歌ってくれて、聴いていてとてもいい気分だった。
それだけに後ろでカメラが「ぴぴっ」だの「ばしゃり」だのと五月蝿く音を立てるのが、耳障りでならなかった。それだけが残念だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 6日 (月)

甥もどき

甥ではない。イトコの息子って何と言えばいいのだ?
「イトコの子供」と言うしかないのだろうか?

イトコが自分の息子を連れて、おばあさんの家へやってきた。
おばあさんの家はうちから5分。
私と母もその赤ちゃんを見に行った。
「見せてあげるよ」と言われて見に行かないわけにはいくまい。

まぁ、父親になったイトコの親馬鹿ぶりはおいておくとして、
実にかわいい赤ちゃんだった。
目鼻がぱっちりしていて、他人を見ても脅えず、ときどきにぱーっと笑う。
身内だからというわけではなく、本当にかわいい赤ちゃんだなぁと思った。
(これならあんな馬鹿親になっても仕方ないかも‥‥)

基本的にご機嫌で、人見知りもせず、お母さん以外の人に抱かれても怖がらない。
大人が4,5人で会話していると、「あー、あー」と一所懸命におしゃべりする。
周りで話をしていると、赤ちゃんもそれに参加するものなのだそうだ。
割とおしゃべりそうな赤ちゃんで、イトコも結構なおしゃべりなのに、「二人ともおしゃべりになったらどうしよう」と奥さんが笑っていた。

私はその日、チャーリー=ブラウンのトレーナーを着ていたのだが、赤ちゃんに「じーっっ」と見られてしまった。
どうもトレーナーの絵が気になるらしい。
ときどき上についてる私の頭と見比べたりなんかして。
「どっちの顔見ても同じ」とか母が暴言を吐いていたが、無視。

久しぶりに‥‥なんていうんだろう、もちろんパソコンで何か書いたりしているときも楽しいのだが、それとは全く違う楽しさを味わえた。
晴れ晴れとした楽しさだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 5日 (日)

アナログ人間2

以前にも書いた通り、私はアナログ人間である。
なぜかとゆーと、調べモノをするとき、まず紙の辞書を引くからである(笑)。
紙の辞書がない場合は、仕方ないからインターネットで検索することもある(笑)。

言葉について調べるときは、もちろん、国語辞典、英和、仏和、独和、西和などだが、
事柄について調べるときは、百科事典を引く。平凡社の横書き白黒百科事典。
ああ、あの当時、横書きの百科事典ってとても目新しかったよなぁ…‥

さておき。とにかくどうしても直らない。身に染み付いた習慣である。
絶対に!必ず!どうしても!最初に紙の辞書に手が行く(笑)。
だってだって楽しいじゃないですか~、ああいう辞書引くのって~‥‥

そもそも辞書好きの家で育ったのが間違いだったかも。
けっこー辞書、多い。上記に挙げたものは全部あるし、英和なんて何種類あるか‥‥
図鑑もちょこまかあるし(植物、鳥)‥‥あとは受験期に買った世界史事典とか(笑)。
今までごく普通のことだと思っていたが、こんなに辞書類があるのは変ですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 4日 (土)

come away with me★ノラ=ジョーンズ

■CD:come away with me
■演奏:Norah Jones
■定価:\2,427.-
■発行:東芝EMI(TOCP-66001)

あるひとに薦められて、ひと月ほど前に買ったCD。
何度か聴きながら、「どうも言葉にならないな~‥」というのがあって、日記に書くのを延ばしていた。
何も感じないわけじゃない、キライなわけでもない寧ろ好きであるのだが、言葉にならないんだからしょうがない。
まぁ、半年くらいしたら何か書けるんじゃないか、と、放ってあった。
(最初は何も感じないのに1年経ってから聴いたらガンガン溢れてくる、みたいなこともよくあるので)

今日は日中、CDプレイヤーの調子が悪いので、あきらめてラジオを聞いていた。
だんだん飽きてきたな~、そろそろやめるかぁと思ったところに、流れてきた曲があった。
咄嗟に、「あっ、この歌をかけるんだったら聴く!」という言葉がきっぱり、かなりきっぱりと頭に響いたので(考えているのも自分のはずなんだが、その自分でも驚くぐらいきっぱり)、ラジオを消すのをやめていい気分で曲を聴いた。

ずぅっと昔から知っている歌だと思っていた。
だから、曲が終わって「ノラ=ジョーンズでした」と聞いて吃驚。
そう、上に書いたアルバムの最初の曲、「Don’t Know Why」だったのだ。
「あれ? あれれ?」
そしてもう一度、もう二度、と、アルバムを聴き直した。
いい曲だと思う。でもまだ言葉にはならないみたい。

言葉にはならないけれど、いつのまにか身体に埋め込まれている、そんなこともあるらしい。

▼このCDはこちら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 3日 (金)

『アルト・ハイデルベルク』★マイアーフェルスター

■書名:アルト・ハイデルベルク
■著者名/訳者名:マイアーフェルスター・著/番匠谷英一・訳
■出版社名:角川書店(角川文庫)
■発行年月:1958年初版発行

有名な劇『アルト・ハイデルベルク』の原作。『学生王子』の名のほうが有名かもしれない。
他の媒体であまりに有名になってしまったゆえ、逆に原作は読まれないという黄金パターンを踏んでいる。
私も今回初めて読んだ。

内容は、カルスブルク公国の公子(王子さまと思っておけばよろしい)カール=ハインリヒがひとときハイデルベルクへ留学し、恋に友情に乱痴気騒ぎに青春を謳歌するが、やがて国へ帰らなければならなくなる。国許で過ごすうちに自由の気風を忘れ、暗くて冷たくて無感動な石のような人間へ変わっていくが、あるときあることがきっかけで二日限りの旅行を思い立ち‥‥とまぁ、ロマンスの常道を行くようなお話。

アルト・ハイデルベルクとは、Good Old Heidelberg、「古きよきハイデルベルク」といったところか。
古都ハイデルベルクの自由な風、自由な空、わがまま一杯な学生たち、酒と喧嘩、そしてかわいい娘さん‥‥‥
だが我々はいったいなんと多くのものを置き去りにしなければ大人になれないことか。

本当にこんな世界だったのかしらんと思うが、恋愛に関して言えば、かの大ゲーテもハイデルベルクで熱烈なる恋愛詩を書いたそうであるし、昔から男を恋に誘う街ではあるらしい。

ん~‥‥小説自体の出来はさほどでもないという気が私はする。別に読んでも読まなくてもよろし。
全体に綺麗な話。綺麗に恋が始まって、最後も綺麗に別れる。
「身分違いの恋物語」とかが好きな人にはいいかもね。
変にどろどろしていないし。
カールの孤独感は本当はもっと大きかろうと思うが、割と淡白。
ただ、「どうなるの。このまま石になっちゃうの?」と心配はさせる。
もちろん最後に救いあり。軽~く読むべし。

▼この本はこちら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 2日 (木)

ADSL開通報告

今日は午後から●●●が調査にくる日である。
本当は母が対応してくれるはずだったのだが、おばあちゃんが熱を出して、そっちの看病に行ってしまったので、午後、半休を取って家に帰った。
よしよし、間に合った。
もうちょっと楽な格好に着替えて‥‥
おやぁ? モデムのADSLリンクランプが点灯しているぞぉ?
ってことは、つながったの!? 昨日までだめだったのに!?

と、電話。
「もしもし、●●●ですけど」
はいはい。これから来るって断りの電話かな?
「そちらの雑音はどうなりましたでしょうか?」
‥‥どうなりましたも何も、先週、解決しましたけど。雑音はもうなくなりました。
「もし何も問題がなければ、局内調査だけで、お宅様へうかがうのはナシにしようかと思うのですが‥‥」
はぁ。かまいませんが。
ということで、調査はナシになった。

‥‥‥別にいいんだけどさ。
「雑音はもうしないから調査も必要ない」と言う母に、「いえいえ今後のためにぜひ調査させてください!」って言ってきたのはそっちではないか?
どーしてデスクと現場さんとでこうも意見が違うのだ??

そしてわざわざ半休を取った私って、ナニ‥‥???

電話をかけてきた人によれば、雑音問題は「NTT局内の工事の問題」だったそうだが、●●●でもいろいろやったでしょうが。そうじゃなきゃあんなに速く雑音がなくなるわけないもん。きっとADSLがつながらなかったのもその辺と連動してたんだ。絶対そうだ(どきっぱり)。

ともあれ、ADSLがつながってよかった。これで毎日やきもきしなくて済む(笑)。
つながるかつながらないかがはっきりしないと、プロバイダも決めの状態にできないでしょ。
ほぼ2週間にわたるADSL騒動は終わった。短いが濃密な時間だった(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年5月 1日 (水)

坂本龍一ピアノワークス2★岡城千歳

■CD:坂本龍一ピアノワークス2
■演奏:岡城千歳
■定価:2,667.-
■発行:キングレコード(KKCC4330)

う~、ネタがないので、この辺で茶を濁しちゃう。
しばらく前に買って、ここ数日、再びはまっているCDである。

坂本龍一作曲の映画音楽を、岡城千歳というピアニストが自分でピアノ曲としてアレンジして、自分で弾いている。
曲目は、『戦場のメリークリスマス』『シェルタリング・スカイ』『ラスト・エンペラー』『ハイヒール』から。
こうして聞くと、坂本龍一の映画音楽ってなかなかよいなぁなどと思う。

岡城千歳は、これまで知らなかったのだが、解説などを読むと現代音楽分野の旗手らしい。
彼女のクリアで小気味よい演奏と、坂本のメロウな曲調がうまくあわさって、非常にムードのあるアルバムになっていると思う。
「クラシックは重くて苦手」という方も、これなら割と楽に聴けるのではないだろうか。
(いえ、無理して聴く必要はありませんが‥‥)


それにしても、楽天って結構CDの数が少ないと思いませんか。
紹介ページにリンクを貼ろうかと思ってもことごとくナイんだもんなぁ‥‥

▼このCDはこちら。
坂本龍一ピアノワークス2~映画音楽集

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2002年4月 | トップページ | 2002年6月 »