舞台:ヨーヨー・マ&マーク・モリス ダンス・グループ in Tokyo
■出演:ヨーヨー・マ、マーク・モリス・ダンス・グループ他
■日時:2002年5月31日(金)19:00~
■会場:Bunkamuraオーチャードホール
■内容:「アーギュメント」(シューマン:民謡風の5つの小品)
「フォーリング・ダウン・ステアーズ」(J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番)
「ペカディロス」(サティー:子供らしさ)
「ヴィー」(シューマン:ピアノ五重奏曲)
すっっっごい面白い公演だった。期待していたよりずっとずっと。
できるだけ正確に説明しようと書いていたら、ついつい、長文になってしまった(汗)。
「アーギュメント」は私的にはまぁまぁ。
曲をこなすごとに、ヨーヨー・マのチェロの音色が場になじんでくるような変化があって、聴いていて面白かった。
「フォーリング・ダウン・ステアーズ」はなかなか面白かった。
タイトル通り、伴奏に合わせてダンサーたちが階段の上から転がり落ちるようにする。最後にはみんな床に倒れてしまったりして。
踊り手たちはみなカラフルな衣装を着ていて、人が踊っているというよりは、いろんな色の服がひらひら舞っている感じだった。
この作品が有名なのだということは、あとから新聞記事で知った。
「ペカディロス」。
私はプログラムを買わなかったので、これらの演目名は帰ってからネットで探したものである。
この幕では、おもちゃのピアノの伴奏で、中年のおじさんが独りで踊った。これが見ていてむちゃくちゃかわいい。
本当に中年のおじさんなの。上半身がちょっと太り気味の、日曜になると白いTシャツ1枚にジョギパンかなんか着て、ビール片手に日曜大工をやったりTVでアメフト見たりするような、ふつーのおじさんなの、見た目は。でも踊っている(演技している?)間は、まるでそういうおじさん臭さを感じさせないの。
伴奏がおもちゃのピアノということもあるが、そのおじさんの踊り(というより体の動き)から受け取るイメージは、「おもちゃ」や「子ども」である。最初から最後まで、歩くその姿までがそのイメージに貫かれている。いろんな振りをする、仕草のひとつひとつがかわいらしい。中年のおじさんなのに。
終わったあとでプログラムを覗き見たら、この幕の伴奏曲がサティで、曲名が「子どもらしさ」だと知った。思わず唸ってしまった。
いや、うまかった、おじさん。
実はその「おじさん」がマーク・モリスその人だった。巧いのは当たり前。
最後の「ヴィー」がまた非常に見ていて楽しいダンスだった。
これより前の作品群に比べて、時間が長い。でも全然飽きないのだ。
ダンサーたちは半分が水色、もう半分が白の衣装を着け、舞台を出たり入ったり踊ったり走ったり歩いたり這ったりする。そういえばどの作品でもそうだが、よく走っていたなぁ。
さておき、色と色との組み合わせだけでも目を引きつけられるのに、伴奏曲のシューマンに合わせて音の通りの動きをするので、ますます目が離せない。
音に合った動きではない。音の通り、動くのだ。これは、なかなか凄いものがある。
また、輪唱のように、同じ振付を微妙にタイミングをずらしながら二人で踊ってみたり、そのペアが呼び水となって2組目、3組目、と次々に後続が現れ、同じように踊って見せたりする。
これを見ていて、ちょうどクラシック音楽のことばかり思い出していた。クラシックでよくある構造では、テーマがいくつかあって、それらが繰り返し形を変えて登場する。現れるテーマは、すべて同じものであり、しかしながら実は一つ一つが似て非なるものである。そうしたパーツを幾重にも重ね重ねて全体を作り上げている。その意味では、クラシックバレエも思い出された。
ただし、クラシックバレエとは違って、かっちり型にはまってしまわない。コール・ドのようにラインで踊るような振付はあるが、揃え方は非常にルーズである。少しずつ、少しずつ、人によってずれている。「輪唱」の構造とやや趣の異なるずれ方だ。そのルーズさがジャズダンスの要素であったことは、これまたあとで新聞記事を読んで知った。
どれも「踊る」というより寧ろ「体を動かす」という印象だった。
どの「ダンス」にもありがちな、高慢さがない。
「キメ」のポーズだとか、超絶技巧だとか、ダンス的な技巧・構造を駆使して見せるようなこともなく、よくありがちな「わざとらしさ」、もっと言えば「鼻につくいやらしさ」というものが欠片もなかった。
彼らの動きは総じて、平易で(舞踏としての難易度は逆に高そう)、なじみやすくて、私たち庶民と同レベルのモノである。手を挙げたり走ったり、這い蹲ったり立ち上がって歩いたり、肘膝を閉じたり開いたり。
なんと言っても表現がわかりやすい。老若男女、おそらくだれでも楽しめる。その証拠に、帰り際に何組ものお客さんたちが、「すごく面白かったね」「思っていたよりずっと良かった」という台詞を代わる代わる語るのを耳にした。
平易な表現で他人の心を打つというのは非常に難しいことだ。それを彼らはやってのけた。
最後に、カーテンコールでヨーヨー・マが壇上にあがり(「ヴィ」ではオーケストラピットにいた)、マーク・モリスと二人、楽しそうに挨拶していた。彼のチェロの音色も、「伴奏」ではあったが、この公演の成功に貢献していた。
ナマの音はいい。その場で伴奏者とダンサーのコミュニケーションが生まれ、それが観客にも伝わるのだから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント