暗い気持ち
今日は新人研修があった。
なぜか私も30分ほど喋らなければいけなくて、今年は出版の歴史あたり話してお茶を濁すことにした(濁すなよ‥‥)。
それで、百科事典あたりから出版についての知識を仕入れて、まとめの部分だけ考えて、あとは行き当たりばったりで喋ったのだが‥‥
別に新人研修自体に問題はなかった。と、思う。
それより、なんとなくいやぁなことを考えてしまった。
「いやぁなこと」というほど重要なことでもないのかもしれないが‥‥
新人たちには以下のようなことを話したのだが‥
出版が現在のような形を取るに至ったのには、もちろん、技術的革新が必須だった。すなわち、素材(紙)の洗練、大量生産機器の開発、そして流通システムの確立である。
しかし、何よりも近代的出版が成り立つために重要だったのは、受け手の爆発的増加である。
すなわち、市民階級の台頭と、彼らの知識欲の膨張、それに続く知識階級の飛躍的拡大である。
大衆と呼ばれるひとびと(つまり我々)の「知識を得たい」という渇望がなければ、どんな機械が生み出されようとも、恐らく出版業界は成り立たなかった。
だから、社会全体のニーズに気を配りなさい、という締めを用意していったのだ。
現代の書籍を成り立たしめているのは、一昔前までのひとびとの貪欲な「知識欲」である。
だが今現在、そのような「知識欲」が社会に見当たるだろうか?
先に言っておくが、情報と知識とは違う。
情報に対する渇望はあっても、知識に対する渇望は消えかけていると、私は思う。
そうでなければ『知の●●』といった本が売れるわけがないのだ。
逆説的だが、そうなのだ。『知の●●』的な書籍が売れるということは、「知識みたいなもんを楽にゲットしたい~」的な思惑が社会を占めているということに他ならない。
真に、「知識」そのものを求める人間は、何をどこからどう識るべきかを自分自身のうちにもっており、『知の●●』式のガイドブックを読む必要がない。
で、何が「暗い気持ち」かというと‥‥
「知識欲」の減退は「本」の減退につながるだろうということだ。
メディア(電子・紙)の問題も確かにある。けれど、本質的な問題は、こっちではないのか。
2000年も続いてきた「本」そのものが消えるとは思わない。
ただ、「人類にとっての共有財産」がだれにでも開かれている、今までの麗しい状況は、維持できなくなるのかもしれない。
そんなことを考えて、新人研修の後に(研修は明るくやりました)暗い気持ちになったのだった。
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