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2002年2月 1日 (金)

舞台:蜷川「身毒丸」★彩の国さいたま芸術劇場★2回目

■演目:「身毒丸(しんとくまる)」
■原作:寺山修司
■演出:蜷川幸雄
■出演:藤原竜也、白石加代子、他
■会場:彩の国さいたま芸術劇場

二度目の「身毒丸(しんとくまる)」を見てきた。
今回は、前回より2列後ろで、前回よりやや中央寄りの席だったため、前回よりも舞台全体がよく見えてよかった。

死んだ母に会いたいと願いつづける身毒丸。
そんな彼の悲しくも病的な願いを無視して、彼の「お父さん」は金で「お母さん」を買い求める。
この売られていた「お母さん」、本当は撫子という名前だったのが、「お父さん」に買われ「家」に囲われた瞬間から撫子ではなく「お母さん」になってしまう。
「お母さん」には連れ子のセンサク(字を忘れた)がいて、この「家」は「お父さん」「お母さん」と「子どもが二人」で構成されることになる。
身毒丸はいつまで経っても「お母さん」に打ち解けない。彼女が「継母」であるからだ。
彼女が本当に身毒丸を苛めるかどうかは問題じゃなくて、「継母」であるがゆえに「苛められている」と思い、憎む対象とする。
「継母」もついに身毒丸を憎むようになり、彼を呪って、その目が見えないようにしてしまう。
光を失った身毒丸はセンサクを殺し、それによって「家」を崩壊させる。
「家」という入れ物を失った「お父さん」は侏儒車に乗せられ、「身毒丸、赦してくれ」と盛んに嘆くが、何故謝っているのかはわかっていない。ただ謝るために謝る。
墓場で身毒丸は撫子と出会う。「お母さん」と「子ども」という枠を取り払って再会した二人は、やっとお互いに惹かれあう思いを確認し、手を取り合って、世間から忘れられるために出て行く。

とゆー、まぁ、マザコン息子の話なんだけど。おっと、言い過ぎたか。
なんかパンフには「男女として惹かれあうのに、家族としての役割があるために反発する」ように書かれていたけれど、身毒丸が撫子に惹かれたのって、結局、母を思わせるからじゃん(笑)。
この曲は別に家族性の否定でも個人性の復興でもなくて、結局のところ、「母恋し」の男子の悲しみと「子欲し」の女の望みとが合わさっていく過程を書いたような……そんな気がする。
(またまた自分で何を書いているのかわからない…まずい…(汗)。)

そういえば今日は客席に宮川彬良さんがいらしていた。この舞台の音楽を手がけた人だ。
なかなか良かったですよ、音楽。音も光も道具も、なべて演出の果たす役割は大きい。

で、結局、やっぱり能楽でした。一緒に行った友達も「能の舞台みたいだったね~」と宣っておりました。

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