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2001年12月の記事

2001年12月31日 (月)

ベートーヴェン・交響曲第9番「合唱」

おばあちゃんの家で年越し蕎麦をごちになったあと、家に帰ってT県の両親に電話したらバックで第9がかかっている。「どこの、聴いてるの?」と訊いたらNHKだというので、テレビをつけた。
久々にテレビつけたなぁ…。
いや、それはどうでもいいのだが(笑)。

ワルベルクという指揮者で、オケはN響、コーラスは国立音大だった。
テンポがしっかりしていてよかった。ああいうテンポ、好き。
「年末=第9」というコマーシャリズム的図式がキライで、第9は避けがちになってしまうのだが、こうして聴いてみると好いものだ。
特に最後の合唱がやはり圧倒的。「星星の彼方に創造主は必ずいらっしゃる」というくだりが。久々にスナオに「”歓喜”の歌だなぁ」と思えたので、よかったよかった。
なぜだろうか、聞きながら、立体的な奥行きないし深さ depth という感覚が消えなかった。彼にとって宇宙はすでに満天の星、すなわち計り知れぬ数の恒星らの、躍動に満ち満ちた世界だったのかもしれない。

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2001年12月30日 (日)

ベートーヴェン・交響曲第3番「英雄<エロイカ>」★チェリビダッケ

■曲目:ベートーヴェン・交響曲第3番「英雄<エロイカ>」
■指揮:セルジュ=チェリビダッケ
■演奏:ミュンヘン交響楽団
■発売:東芝EMI

やっと聴き出しました、チェリビダッケ(詳しくは12/13の日記を…)。
今日はベートーヴェン。ブルックナーを聞くと何も働けなくなりそうだったので(笑)。

交響曲第3番「英雄<エロイカ>」は、ルードヴィヒがナポレオンに捧げたことで有名な曲。これがすごくよかった。
第一楽章が歌うようで、本当に若きルードヴィヒがうきうきと英雄を歌い上げている、そんな感じだった。
今日だけで3回も聴いてしまった(笑)。まだこれから何度も聴くだろう。

▼このCDはこちら。


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2001年12月29日 (土)

歳末のお買い物

会社帰りにハードディスクを買った。そしてPowerBook G3君のハードディスクを換装した。

まぁ、30GB程度ですが。でも幸せ。これでフォント入れ放題だわ(うっとり)。
私、かなり、フォント好きです。日本語フォントは高いので英語フォントが多いですが。
(それでもフォントワークスのクラシックセットATM版くらいは持ってます)
ああ、書体ってす・て・き(←ちょっとヘン…)。

今まで使っていたハードディスクは、容器を買って外付け君にした。
容器君はFirewire・USB両対応なのに10800円だった。結構安い。
面倒な取付けは全部無料でお店でやってもらった。楽チン楽チン。ありがとう、パワーラボさん

何もかも安くなったよね(しみじみ)。
「今日、ハードディスク買いに行くんだ~、2万円以下だから結構安いでしょ?」といった話を会社の同僚さんとしたんだけれど、そのときに「昔だったら2万円で何が買えたか?」という話題になった。
結論は「何も買えない」だった(笑)。
本当ですって。10年前だったら、最低でも5万はないと何も買えなかった。4MBのメモリが1枚5万だったもんねぇ。もっと前だったら、10万単位があたりまえだった(そして最低でも20万は必要だった)。PC本体の価格なんて100万単位……。
その時代にPCもといMacと出会ってなくて、本当によかった(笑)。

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2001年12月28日 (金)

緑のオーナー

家に帰ったら農水省から手紙が届いていた。
「一体何事?」と思って開けたら、「緑のオーナー」へのお手紙だった。
要は「あなたの森のスギ・ヒノキはすくすく育っていますよ」という、お知らせのお手紙だったのだが、写真付きだったのにはちょっぴり驚いた。う~ん、なるほど、すくすくと伸びておる。よしよし。

「緑のオーナー」とは、今はもうやっていないようだが、一口50万円で国有林に出資してオーナーになり、木が育ったところでその売上をいただくという、まぁ一種の先物買いのような仕組みの投資である。
随分前に、「緑のオーナーになりた~い」と言って親に出資してもらった。その当時の私にとって50万円とは「大金」であった。なかなか自分で捻出できない金額だったんだよなぁ(今は捻出できます…と、思う…たぶん…)。妹と一緒に一口ずつ買ってもらった。私は笠間の森、妹は天城だったと思う。

樹齢は現在35歳らしい。まだ少し、育ちきるまでに時間がかかりそうだ。
こんな不景気では50万円以上の増益は見込めないだろうが、せめていい森になりますように。

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2001年12月27日 (木)

展示:ノーマン=ロックウェル展

■「ノーマン=ロックウェル展」
■会場:伊勢丹美術館(新宿伊勢丹新館8階)
■入場無料/12月28日16時半まで

アメリカが最も愛した画家、ノーマン=ロックウェルの作品展。といっても半分は販売である(展示即売会とは知らなんだ)。
原画は数点しかない。
ほとんどはサタデー・イブニング・ポストの表紙で、300点もあるといくら原画じゃなくてもさすがに見応えたっぷり。その時代ごとにアメリカの文化・思潮はどうであったかを簡単にまとめてあって、面白かった。しかしまぁよくもこんな300点も描き続けたわ。

ロックウェルはやはり構図が上手い。上手いよぅ~(泣)。
確かに「ありそう」な構図ではあるんだけど、無理なくその構図におさめるのには、やはり技術が…あるいはセンスが必要だと思うのだ。
題材も、現代がメインだけれど、中世っぽい絵柄を描かせてもしっかり雰囲気を出してるし、やっぱり上手いんだなぁ(あたりまえか)。
あと、今回になってやっと気づいたのだが、結構ヘンなものを描き込んでますね、彼。
エイプリルフールとかキャンプの後とか、ヘンだよ、その小道具…。遊び心なのか、はたまた…?

ロックウェルも、最初に紹介したのは伊勢丹だろう。これは伊勢丹美術館ではなくて、伊勢丹デパートが広告に使ったのが最初だと思う。その後、美術館でも展覧会をやったが、こっちが後発じゃなかったかな。
まぁ…要するに目利きがいたんだろうね、あそこには。返す返すも残念。

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2001年12月26日 (水)

読書:『緑の瞳・月影』他12編

■著者/訳者名:ベッケル/作 高橋正武/訳
■出版社名:岩波書店(岩波文庫)
■発行年月:1979年08月

ベッケルはスペインでは知らぬ人とてない詩人…らしい。
この本は詩作ではなく、「ものがたり」の短編集であるが、彼の本質は同じ。
絵の具で表せない色、音符にできない音楽、言葉にならない詩、そういった遠きに在るものを求めてやまない魂の持ち主である。

どの短編も幻想と(これがラテンアメリカ文学の幻想とまるで違うから面白い)、瞳と手と月影と、姿の見えぬ恋人を追う男によって構成されている。この世は儚い。
窓辺に白い手がある。女だと思う。あなたはその女の瞳も髪も何もかも知っている。仮令(たとえ)一度も会ったことがなくても。振り返る。窓の手は消えている。町の魔法が、建物の魔力が、一時の夢を見せたのか。また通る。窓辺に手が見える……。

あとがきに彼の「うた rima」がいくつか紹介されていて、こちらも読むと興味深い。平易な表現なのに詩らしくロマンチックである。
その一節にこんな詩句があった。

  わたしは夢、あたいなきもの
  霧と光の むなしき影よ
  形なく 姿なし。

まさに、彼は形なく姿のないむなしい影を追い求めているのだ。人生は月影を追うがごとし。

さすが詩人だけあって、物語中も美しい表現が多い。それを翻訳した苦労も偲ばれるが、ときどき日本語がヘンです…(汗)。
スピードは出ない。のんびりと夜にでも読むべし。

▼この本はこちら。


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2001年12月25日 (火)

映画:「カストラート」

ヘンデルで思い出しました。ヘンデルといえばこの映画でしょう。

■カストラート■1994年フランス・イタリア・ベルギー合作 106min.
■製作:ベラ=ベルモント
■監督・脚本:ジェラール=コルビオ
■脚本:アンドレ=コルビオ
■撮影:ワルテル=バンデン=エンデ
■音楽:クリストフ=ルセ
■出演:ステファノ=ディオニジ、エンリコ=ロ=ベルソ、エルザ=ジルベルシュタイン、他

<内容>
カストラートとは「去勢された者」のこと(実際にそういう職業として存在した)。主人公ファリネッリは類まれなる美声を持つ男。その美しいボーイソプラノゆえに兄リカルドによって少年の頃に去勢されたという過去をもち、現在もそれをひきずっている。兄リカルドは作曲家で、弟の美声によって名声を博す。パトロンを求めて渡った先のロンドンで二人はヘンデルに出会い、弟だけがその才能を認められる。やがてかつてないほど深刻な相克が兄弟の間におとずれるが…

ファリネッリのカストラートゆえの葛藤が、全編通じて描かれています。好きな女性ができても最後までできないとゆー…むにゃむにゃ。でもヤクにおぼれる奴には同情できないね。それに葛藤が少し浅い気がするのは私だけ?

実は私、この映画の主人公は、ヘンデルではないかと思うのです。影の主人公ヘンデル。
誇りと高慢、真実を見抜く眼、「自然の歌声ではない」と罵りながら惹かれずにはいられない不完全な人間性、そしてその指先から溢れる天上の音楽……。
彼を演じていた人がまたよかったんですわ。
もうすっかり人間ヘンデルから目が離せないとゆー仕儀に。

そしてもう一つの真実(っていうほど大げさなものではないが)。
本編より「メイキング・オブ・カストラート」のほうが面白いです(笑)。
本編を見た後で、ぜひ見てね。

▼DVDはこちら。


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2001年12月24日 (月)

コンサート:ヘンデル「メサイア」★バッハ・コレギウム・ジャパン

■曲目:ヘンデル「メサイア」
■奏者:バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)、スザンヌ=リディーン(ソプラノ)、波多野睦美(アルト)、ヤン=コボウ(テノール)、ステファン=マクラウド(バス)
■日時:2001年12月24日(月・振休)17:00~
■会場:サントリーホール・大ホール(山王溜池)

「メサイア」とは救世主、すなわちキリストのことである。
ヘンデルなので歌詞がすべて英語だった。当たり前といえば当たり前だが、最初にちょっと吃驚した。
音楽は崇高である。受難曲や他のオラトリオのようなドラマチックさはないが、ピュアで壮麗で、チャントのスケールを限りなく拡げたような、聖夜にふさわしい曲だった。

BCJの演奏は今回もノッていた。カンタータより性に合ってるんじゃないか、こういう大きめの曲のほうが?(定期演奏会ではバッハのカンタータを取り上げているのだが、日によって当たり外れが激しい)
ソリストたちも、「絶賛」とまではいかないが、よかった。皆さん、いい声ですね。惚れ惚れ。
波多野さんはきれいなアルトなんだが、声量がちょっと気になるにゃ~。
それにしてもソロもコーラスもみんな、何語だろうと流暢に歌うのには感心してしまう。英語はもとより、ドイツ語フランス語イタリア語ラテン語と、なんでもござれなんだろうなぁ。ギリシア語やヘブライ語も射程内に入るのかしら?

難を言えば、第3部のトランペットのオブリガートが悪かった。テンポが一人で速すぎるのだ。
楽器とあわせるだけの部分はまだ誤魔化して聴けたが、第48曲のバスのアリアとの共演はまるでいただけなかった。だって全然合ってないから。ああ~、バスのアリアが~、もったいない~(涙)。
もうちょっと回りの音を聴けって…。明らかに速すぎるよ。そりゃー古楽器だから吹くのが大変なのはわかるけどさ…。トランペットの音自体はよく出ているだけにもったいなかった。

第2部最後の第44曲、ハレルヤの荘厳な合唱・合奏はすばらしかった。体が震えそうなくらい。
この曲が始まると同時に、立ち上がったお客さんが何人か見られた。信者の方々だろう。
ハレルヤは「メサイア」中いちばん有名な曲だ(あなたも聴けば「ああ、これね!」と言うはず)。
よくこの部分だけ抜粋で演奏されるが、どちらかといえば単線的な演奏が多い。ここで聴いたそれは、とても重層構造的なハーモニーを体現していて、同じハレルヤとは思えないくらい美しかった。繰り返し繰り返し「王の中の王、主の中の主」と合唱が階調を上げていくのとともに、聴衆の高揚感も高まっていく。圧倒的だった。

圧倒的といえば、第3部最終曲(つまり全体の最終曲でもある)のアーメンの合唱も凄かった。こういうのを聴くと、どんな美しいソロも合唱には敵わないのではないかと思ってしまう。

そうそう、最後にアンコールのプレゼントがあった。BCJの合唱のみでドイツ語の「きよしこの夜」を歌ってくれたのだ。これも美しかった。

実に久しぶりに、実に画趣のある、そして心豊かになるようなクリスマス・イヴを過ごすことができた。幸いなるかな。

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2001年12月23日 (日)

京都終い旅行雑文 その3

12/22の旅行雑文の続きです。

■晴明神社
これもMさんのご要望で、晴明神社へ行った。晴明とはもちろん、近頃流行りの安倍晴明である。
祗園からバスで堀川今出川に出て、そこから徒歩5分くらい南に下る。
ここの神社は何と言うか…本社手前のコンクリの鳥居や氏子の札や何かが、「最近有名になって寄進も増えたよ」といった感じの構えだった(笑)。
他には何もない、マンションとマンションの狭間のようなところなのに、後から後から客が来るわ来るわ。吃驚した。すごい人気なのね。
おみくじを引いたら末吉だった。お歌は忘れてしまったが「山は冬装束だけれど風には花の香が含まれているよ」といった意味だったと思う。冬来たりなば春遠からじ、かな。時節にぴったりかも。

■一条戻り橋
晴明神社からさらに5分ほど南に下ったところに、一条戻り橋がある。何の変哲もない小さな橋だ。
が、平安京の昔には、異界との掛け橋として人びとから畏れられていた。
晴明が「自宅におくと奥さんが怖がるから」といって自分の式神を置いておいたのもここだが、それより渡辺綱が鬼と出会い、名刀鬼切りで彼(茨木童子)の腕を切り落としたのもここではなかったか。
大きな柳の木の下に「一条戻り橋」と書かれた立て札が立っていたが、ほとんど見なかった。だって地面に首のない鳩の死体が転がってて、イヤだったから。みんなよく平気で立て札の前で写真を撮ったりするなぁと、他の観光客を見ながら驚いていたのだった(それ以前にこんなところに観光客がいることのほうが驚きかも…)。

■鹿苑寺
拝観料を払ったらチケット代わりにお札をくれた。なかなかイキでよいではないか。しかしお札に「金閣寺」と書くのはやめてほしかった…。
ここの散策路はなかなかよかった。特に今日は人も少なかったし、のびのび歩けた。
でもね、昭和に建て直した例のキンキラキンの金閣がね、一人で調和を壊している気がするのね。あれがなければ北山の風情を満喫できそうなのだが…。
そういえばその金閣の手前に、「ご覧の建物は金閣です。金閣寺ではありません」という見る人が混乱しそうな立て札が立っていた(笑)。いいけど、いつからお前は「金閣寺」になっちゃったんだよ、「鹿苑寺」。本名は「鹿苑寺」でしょう、あなた。
でもって結局、金堂(寺の本堂ですね)は見当たらなかった。そんな馬鹿な~。「金閣寺ではありません」って言っておいて、寺本体を見せないとは何事?(笑) 修復中の建物があったけど、あれがそうだったんかいな。
私はやっぱり慈照寺(銀閣のあるお寺)のほうが好きだなぁ。もっとも、北山の凛とした気配は、やはりこの辺りでなければ味わえないとは思う。

■大徳寺
鹿苑寺の近くにあるので行ってみた。が、すでに16時半近くでほぼ閉まりかけていた。
それでも折角だから、と、大仙院を拝観した。禅寺の塔頭であるので、小なりと言えど石庭がある。その枯山水の庭と、建物の書院造りをざっと見た。禅宗の方丈としては最古に分類されるそうだ。立派な襖絵もあった。そもそも小さな建物ではあるのだが、時間があればもう少しゆったり見るものを……透かし彫りをすっかりチェックし忘れてしまった。ま、いっか。私ゃどうせここも二度目だし。
今日は16時半~17時半に座禅会をやるという。一般も一人千円で参加できるからどうかと誘われたが、帰りの時間が気になるのでお断りした。今度ね。
大仙院を出て、他に入れる塔頭もないのだけれど、境内をそぞろ歩いた。
帰るさ、金堂を眺めていたら、垂木が並行垂木ではなく斜め垂木であることに気づいた。ちょっと驚き。宗論と一緒に建築様式も中国最新のものを輸入したということなのか、それとも中国の渡来の工人に建てさせたのか。
向こうで鐘の鳴る音がした。境内は緑が深かった。木々の背は高かった。

■バス
京都を巡るならやはりバス。個人的には徒歩がオススメだが、遠目のところはバスが安くてよい。1日乗車券を買うと、何度乗っても500円で済んでしまうのだ。すばらしい。
しかし、時間には余裕を持って行動されたい。
大徳寺からの帰りのバスが、駅に着くまでに40~50分ほどかかった。遅い!! 最初、電車の時刻を18:03だと思い込んでいたので、これはかなりあせった。結局18:21発だったから、ちょうどいい時間に到着したんだけどね。
ホテルのフロントで預けてあった荷物を引き取り、新幹線に乗って京都に別れを告げた。

<おしまい>

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2001年12月22日 (土)

京都終い旅行雑文 その2

12/22は割と普通の(?)観光コース。清水寺、高台寺、晴明神社、一条戻り橋、鹿苑寺、大徳寺と回って、18:21発のひかりで東京へ帰った。

■清水寺
Mさんは清水寺に行ったことがないというので、まずそちらから。
私はこれで4回目くらいだろうか。でも何度来ても楽しめるお寺である。
麓から坂を延々と登ってやっと山門に辿りついた。残念ながら山門は修復中の様子。でも獅子たちはちゃんと手前でお出迎えしてくれる。獅子はたいがい阿吽になっているものだが、ここには吽(ウン=口を閉じる形)の獅子がいない。長い坂を登ってお参りしに来た人を、二匹とも笑って迎えてくれる趣向だから…という話だったと思う。うろ覚えで怪しいが。
手水鉢で手を洗い、拝観料300円(安い~)を払って中へ進んだ。すぐに清水の舞台が見えてくる。今日は人が少なくて、のんびりゆったり舞台の下を上から見下ろせた。おかげで全然怖くなかった。これが混んでいるときだと一度に30人くらい乗っかるから、舞台が軋んだり、人波にうっかり押されそうだったりして、ちょっぴり怖いのだ(笑)。
順路に従い、回遊するように歩いていく。舞台の次の建物には金色の仏様がいらして、具合の悪い箇所を触ると、良くなるという。一応、腰の辺りをさすってみたが、効果はどうだろうか。
土の坂を降りて音羽の滝へ。いつものように柄杓で水を掬って飲もうとしたら、柄杓置き場は「紫外線殺菌装置」になっている! ああ、吃驚した。柄杓も、昔はただの木の柄杓だったと思うが、なんか一体成形の金属製品?になってしまっていた。ああ、吃驚。

■清水の坂
寺を後にし、今度は先ほどえっちらおっちら登ってきた坂を下る番だ。坂の両脇には土産物屋がずらりと並び、見て歩くだけでも楽しい。
途中で生八つ橋の試食をさせてくれるところがあり、生八つ橋半切れとお茶を貰って、店の中で寛いだ。店は狭い小さいものだが、ロンドン博覧会に八つ橋を出品したときの写真などが飾ってあって、いかにも老舗じゃのうという感じだ。
そしてお茶のお礼に(八つ橋も美味しかったし)、お土産用の生八つ橋などを買い求めた。相手の思う壺である(笑)。まぁせっかく清水に来たのだから、こういう楽しみ方もしなくては。

■高台寺
清水寺門前の坂から横に逸れて、三年坂(産寧坂)・二年坂を歩いた。
そのうち高台寺に行き着いてしまった。ついでだからと、拝観することにした。
何やら円徳院という塔頭(たっちゅう)も現在特別公開中という話で、そちらも含めた共通拝観券を1040円で購入し、いざ中へ。
高台寺は秀吉の北政所ねね所縁の寺である。ねねが余生を過ごした寺ということで、秀吉のお気に入りだった観月台(通廊の途中に据えられている小さな張り出しみたいなの)であるとか、秀吉・ねねの木彫坐像が安置されている霊堂(みたまどう)であるとか、千利休のデザインした茶室を伏見から移設した傘亭・時雨亭であるとか、秀吉絡みの建築物が残されている。
千利休の意匠と伝えられる傘亭(本名・安閑窟)は、屋根組みが放射状でまるで傘の骨のようだからそう呼ばれるとか。もう一方の時雨亭は妙な造りだった。傘亭から延びる外廊(といっても2~3メートル)を伝って時雨亭に入ると、中二階くらいの高さの床面に着くようになっている。しかし時雨亭の裏口は地面と同じ高さにある。…わからない。構造を確めたかったが外から眺めるしかできず、結局よくわからなかった。

■円徳院
寺に入る前に「道元禅師荼毘の地」という地味な札が立っていたことからも、ここは禅宗らしい。禅寺といえば塔頭である。円徳院は塔頭のひとつなのだろう。
門を入るとまず薮椿が眼に入った。薮椿の赤ってきれいだなぁ。
履を脱いで建物の中にあがった。ここの見ものは障壁画だった。なんとこんなところに長谷川等伯画伯の襖絵が…!! 現代の障壁画家の手になる襖もいくつかあったが、悪いけれど等伯には敵わない感じだった。惜しむらくは、あと50年もしたらすっかり墨の跡が消えてしまいそうなことだった。
隣接する掌美術館という小さな美術館に入り、高台寺所縁の蒔絵や螺鈿細工を見た。蒔絵も螺鈿もきれいだった。桃山の華やかさの名残といった趣。
掌美術館の横にある「羽柴」という湯葉屋さんでお昼に「湯豆腐膳」を食べた。美味しかった。京都の料理って私には合ってるのかも(残念ながら古漬けは全滅だが)。

<もうひとつ続く>

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2001年12月21日 (金)

京都終い旅行雑文 その1

12/21~22日に友人Mさんと京都旅行。12/21は9:03発のひかり117号で出発。湯葉桶を食べ、東寺の終い弘法を見て、鞄屋へ行って、祗園で一日を締めた。

■湯葉尽くし
JR京都伊勢丹11階の「松山閣」で「湯葉桶膳 月」を食べた。
くみ上げ湯葉のあんかけ、生湯葉とお造り、湯葉桶、蕪蒸し、ご飯と粕汁、湯葉の安倍川と、生湯葉尽くしを堪能した(もう一品くらいあったかもしれないが思い出せない)。湯葉桶とは、温かい豆乳の中に湯葉がそこはかとなく浮いているもの。入れ物は可愛い手桶だ。この豆乳がさっぱり味で大層美味しかった。湯葉も勿論美味しかった。ポン酢で食べたのは初めてかも。デザートの湯葉の安倍川も初めて見た。湯葉に黄粉と黒蜜がかかっている。葛きりの変形みたい。豪華だがヘルシーな昼食だった。

■終い弘法
京都の東寺では毎月21日に縁日が立つ。これを「弘法さん」と言う。とりわけ12月21日の弘法さんを「終い弘法」、1月21日を「初弘法」と呼ぶ。
※余談だが毎月25日には北野天満宮で「天神さん」と呼ばれる縁日がある。12月25日は「終い天神」、1月25日を「初天神」という。
今回はこれを見にきたのだ(私は)。
京都駅から徒歩10~15分程度歩いて東寺へ。東門を見ると出店が表にまで進出している。
中に入った途端、出店・出店・出店……出店ばかりである。どこをどう歩いても出店のないところはない。盆栽、漬物、魚、野菜、お菓子、木材、包丁、大工道具、玩具、古着、仏具、花、古道具、鯛焼き、甘酒、etc., etc., etc....何から何まで揃いそう。ここで年始の仕度をする人も多いらしい。出店や人の数、そして熱気に圧倒されて結局何も買えなかった(涙)。まぁ、買い物のために行った訳じゃないんだが、次はもう少しゆっくり見たい。
出店と出店の間を彷徨っているうちに金堂に辿りついたので、一息ついてお参りした。私は神仏いずれも信じない人間だけれども、弘法さんが相手と思うと流石に頭が下がる(ご本尊様は仏像ですが)。お線香の煙を頭にあててみたりなんかして。弘法さんほどは無理でも、もうちょっと頭が良くなりますように。

■一澤帆布店
Mさんのご要望で一澤帆布店という鞄屋さんへ行く。バスで河原町三条へ出て徒歩10分ほど。三条大橋を渡って東大路を右折し、少し歩くと右手にある。
店内にはたくさんの客がいた。人気らしい。
Mさんは●Bookを入れるための中くらいのショルダーバッグを購入していた。
私も何か買おうかしらんと思ったが……値段がべらぼうに高いのだ。ただの手提げで4000円、蓋つきショルダーになると1万円だ! いいです、私のような不肖モノの通勤鞄は2000~3000円程度のナイロン鞄で十分です。というわけで買わなかった(笑)。

■散策1
近くに知恩院があったので行ってみたが、時間が遅く(16時半)閉まっていた。冬は特に早仕舞いな京都。円山公園から八坂神社を通り抜けて祗園へ。辺りは暗くて人も少なく、神社に点る灯篭や提灯の明かりが浮かび上がって、いい雰囲気を醸し出していた。昼間とかなり異なる顔つきだ。その後、あてどなく四条河原町近辺を放浪した。ところで、暫くご無沙汰しているうちにずいぶん京都も派手というか新しい感じの建物が増えた。カラオケ等「美観を損なわないの?」と首を傾げたくなるような看板・建物が目立つようになってきた。ちょっと寂しい。

■小料理屋
以前、叔母に連れられて数回行ったことのある祗園の「東とみ」という小料理屋で夕食を摂った。
みず菜のはりはり(油揚げ入りの出し汁にみず菜を浸してさっとゆでて食べる。温まるしお汁が凄く美味しい)、小あじのお造り(ぷりぷり)、ふぐのから揚げ、聖護院大根の蕪蒸し、カキフライ(旨かった~)等を食べた。相変わらずお味がいい。
ちなみにお店の人は叔母のことをちゃんと覚えていた。

■散策2
小料理屋から河原町へ歩くさ、みたらし団子を焼いて売っている店があったのでつい買ってしまった。1本80円を6本。ホテルで食べたら美味しくて、ぺろっとなくなってしまった。
バスか地下鉄で帰るつもりだったが、鴨川沿いに雰囲気のある通りを見つけたので、その辺を見ながらぶらぶら歩いた。旅館や料亭がぽつりぽつりとある。外から見る分には無料で、しかも風情があって好い。
結局そうした町並みを見ながら七条まで出てしまったので、全部歩いて帰った。京都は小さい町。歩くのにとてもいい。

<続く>

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2001年12月20日 (木)

ニナガワ論

初めて蜷川の作品を見たのは、テレビでだった。
海外でも上演された「ハムレット」を録画放映していたのだ(おそらく教育テレビ)。
テレビの画面で見る舞台は、どうしてもダイナミックさや全体性が失われるものだが、それでも「面白い!」とひとを唸らせるものは十分にあった。

そのときのハムレットを演じていたのは渡辺謙で、ちょうど白血病(だっけ?)と闘って復帰したあたりだったと思う。少し痩せた感じで、演技も鬼気迫るものがあった。
このハムレットは、ノイローゼ一歩手前の若者で、父親の亡霊に脅え、それが妄想なのか現実なのか悩みに悩む。妄想であれば、叔父へ下そうという鉄槌はただの「殺人」に他ならなくなるからだ。心弱い哀れな青年…。
こうした趣向が実にストレートに伝わってくる舞台だった。それで「凄い」と思ったのだ。
ちなみに、このとき以来、私にとってハムレットは、蜷川+渡辺謙ハムレットでしかない。先日の蜷川+市村ハムレットも、これを超えなかった(ましてや四季ハムレットが超えようはずも…)。

その後、すぐに舞台を追いかけるようになったかといえば、そうではない。
実は舞台にきちんと足を運ぶようになったのは、ここ2~3年のことだったりする。ものぐさなもので。

その2~3年のうちに何本もニナガワの舞台を見たが、やはり面白い。こいつは凄いと思う。
た・だ・し。
オリジナルは今ひとつよろしくない。
「グリークス(ギリシア悲劇)」や「マクベス(シェークスピア)」や「近代能楽集(ミシマ)」などのいわゆる「古典」「名作」と言われる類の舞台については、大概「すばらしい」の一言なのに、オリジナルは駄目である。
駄目ってこともないが、今ひとつ面白くない。客は不完全燃焼で帰らねばならぬ。

ずーーーーっと考えていて思ったのだが、ニナガワのオリジナルには浄化作用がないのである。
ギリシア悲劇の昔から、演劇の持つ(ないし持つことを期待される)機能とは、浄化<カタルシス>であるといわれる。
その作用が、彼のオリジナル作品にはない。「真情あふるる軽薄さ」しかり、「2001・待つ」しかり。
それで客は不完全燃焼で帰ることになる。

ところで、いわゆる古典やら名作やら言われる戯曲はすべて、すでにその戯曲中に浄化装置が備わっている
ニナガワはたぶん、この浄化装置を壊そうとしているのだと思う。でも古典やら名作やらの浄化装置はあまりにも精密かつ頑丈に据え付けられていて、どれだけ激しくそれを壊そうとしたところで、軽軽に壊れようものではない。
そしてそうやって壊そうとすることが、かえって浄化の効果を高めてしまうのかもしれない。

ともあれ、ニナガワの古典はいい。名作もいい。私は好きである。
楽しんで、あるいは泣きに泣いて、何やら吐き出し、何やら受け取ってから会場を去ることができるような気がするから。
未経験者は一度お試しあれ。

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2001年12月19日 (水)

舞台:蜷川★「四谷怪談」

■公演:四谷怪談 ■演出:蜷川幸雄
■出演:竹中直人、広末涼子、高嶋政伸、村上淳、田口浩正、持田真樹、藤真利子
■音楽:東京スカパラダイスオーケストラ
■会場:シアターコクーン(渋谷)
■期間:2001年12月8日(土)~2002年1月10日(木)

東京スカパラダイスオーケストラの軽快なビートに乗って「世界のニナガワ」がお届けする、世話物の名作『四谷怪談』(by 鶴屋南北)。
主要人物が、与茂七(高嶋)を除いて一人残らず死んでしまうこの浅ましの世界のお話は、怪談を通り越して地獄絵図のよう。
「一念通さでおくべきか」と捨て台詞を吐いて死んでいくお岩は、本当に浅ましくて哀れ。
そしてまた、お岩の亡霊に祟り殺された母を抱いて「口惜しや」と泣き、自ら滅んでゆく民谷伊右衛門も、結局のところ哀れである。

しかし。料理しがいのある素材だったろうに、今ひとつ不発。
でもこれはニナガワが悪いんじゃなくて、役者が悪い気がする(汗)。
竹中直人の伊右衛門はあくどい悪役で(でも主人公よ)良かったし、藤真利子のお岩も、最後に死化粧を自分で自分に施すところなど切なくて、鬼気迫るものがあったけれど、問題は若者どもである…。

与茂七(高嶋)はともかく、まぁお梅(持田)も良しとすることにして、お袖(広末)と直助(村上)の台詞回しが……(涙)。
せめて台詞は「だらだらべたべた」じゃなくて「はきはき」喋ろうよ(涙)。
みんなそれぞれにかっこいいタンカを用意してもらってるんだからさぁ~(涙)。
特に、ファンには悪いけど、お袖(広末)には役不足を感じた。
顔も声もかわいいけど、もの思わせられる部分はなかった。あと、もうちょっと着物(和服)らしい歩き方をしようね。高橋恵子さんとか、あのへんの優秀な先輩方にお習いなさいまし。

ま、しょうがないか。目玉となる役者を入れないと、商売あがったりだから。

仕掛けは面白かった。
舞台の下、つまり「奈落」を観客に見せるようになっていて、場面転換のときなど大道具を入れ替えるのに、褌(ふんどし)一丁の男たちが汗水たらして舞台を回転させるその様が、まるで本物の奈落(=地獄)の獄卒どもがこの世を回しているようで、胸に来るものがあった。
……もしかしてもしかすると実際には人力じゃなくて電力かなんかで回していたのかもしれないんだが(笑)、そこは皆さん、役者であるから、まさに「汗水たらして回している」ようにしか見えないのであった。
しかもそういう時には照明やスモークを使って、なんともいえない、この世にあらざるような雰囲気を作り出していた。
こういう演出が、ニナガワは本当に上手い。

東京スカパラダイスオーケストラの音楽が意外や、とてもよくマッチしていた。これでファンになるヒトも現れるかも。
あとは聖歌。ニナガワって好きなんだなぁ、あの聖歌。「マクベス」でも同じ曲を使ってたと思うのだが…。
いろいろ書いちゃったけど、総合的には面白かった。4時間もある舞台なのに、あっという間に過ぎてしまった。

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2001年12月18日 (火)

電気ネコは電気毛布の夢を見るのか?

「電気ネコ」を知っているだろうか?
(知ってる人はかなりマニアックな……いえいえ、むにゃむにゃ)
「中村犬蔵」と名乗る一般人(?)が膨大な時間をかけて作り上げ、今なお展開中(と私は信じる)のキャラクターである。

「電気ネコ」というくらいなのであるから、電気で動くのであろう。
テーマソング(笑!)を聞くと「流れる電流~、60ワットぉ~」と歌っているから、稼動には60ワットが必要なようだ。
60ワット電球を思い浮かべて欲しい。つまり、あの程度の仕事ができる(しかできない)ということである。

しかし、この言い方は電気ネコには失礼かもしれない。
何しろ電球は喋らない。話を聞いて誤解したりもしない(電気ネコはほとんどすべての言葉を理解でなく誤解する)。
電球はスイッチを入れている間、そして電力が供給される間、ただその場を照らすだけである。
しかし電気ネコは…電気ネコは……そういえば電気ネコは何をしているのだ??? よくわからぬ。

そうそう、一つだけ確かなことがある。
それは、「いかなる場合でも電気ネコは決してヒト(もといネコ)の役に立つことはしない」ということである。
……やっぱり電球のほうがありがたいかも(ボソッ)。

あまりにも馬鹿馬鹿しいこのキャラクターは、あまりにもマニアックな一部のファンによって日本海溝よりも深く愛されているが、さらには「電気ネコ専門店」までできていた!!(知らなかったのは私だけ?)
こちらがその恐るべき「電気ネコshop」である。

新商品は電気ネコトートバッグである。ふつーのトートバッグで、ちゃんと役に立ちそうだ。……電気ネコらしくないかも。マニアなファンには不満が残ろう。
初心者にはCD-ROMをオススメする。あまりのくだらなさに「これは笑うしかない」と覚悟を決めることができるだろう(意味不明)。是非堪能してほしい。

どーでもいーけど……コーシンってやっぱりヘンな会社(ボソッ)。

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2001年12月17日 (月)

伊勢丹美術館のスケジュール★メモ

伊勢丹美術館の閉館は2002年3月5日でした。
3月いっぱいは開いているような気がしていたけれど、早々に閉まっちゃうみたいです。

【閉館までの主なスケジュール】
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2001年12月20日~28日
★ノーマン=ロックウェル展★


アメリカで最も愛されている画家ノーマン・ロックウェル。版画約100点と、『サタデー・イブニング・ポスト』誌の表紙画323点が会場を埋め尽くします。古き良きアメリカが蘇るロックウェルの世界で、一度は遊んでおいて損はないと思います
下絵に使った写真なんかが一緒に展示されているとさらに面白いんだけれど、今回はないかな?

2002年1月3日(木)~1月28日(月)
★山本容子の美術遊園地★


ご存知、銅版画家の山本ヨーコの作品展。初期の作品から最近の取り組みまで、立体作品なども含め、多様な作品を一堂に展示することで、あたかも「遊園地」にいるかのように美術に親しめる展覧会を目指すようです。この展示は構成が成功のカギですね、きっと。

2002年1月31日(木)~3月5日(火)
★いわさきちひろと日本の絵本画家たち★


世界中の絵本の原画を21世紀へ残すことを使命としてきたちひろ美術館の、18,000点のコレクションのうち、いわさきちひろをはじめとして、日本を代表する13人の絵本画家たちの作品を展示。親子ともに語り合い楽しめる展覧会を目指すようです。
絵本の原画って、案外パワフルですよ。「あの絵なら絵本で見てるもん」と思わずに(別にここでなくても構わないから)一度見に行くべし。

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2001年12月16日 (日)

読書:『死んだ男・てんとう虫』

■著者/訳者名:D.H.ロレンス/〔著〕 福田恒存/訳
■出版社名:新潮社(新潮文庫)

ロレンスは大胆かつ露骨な性表現と精妙な心理描写で、1920年代から広く人気を博した作家。最も有名なのはおそらく『チャタレイ夫人の恋人』だろう。
『死んだ男』『てんとう虫』は、ともにその問題作の原型になったと言われる中編小説である。

『死んだ男』
死んだ男とは、もちろん、西欧世界で史上第二のベストセラーを作った「彼」のことである。
「彼」が磔後に葬られ、三日後に復活する、その時点から書き出されている。
復活した「彼」は、もはや以前の彼ではない。奉仕や説諭にも全然興味がなく、そもそも欲望というものが身のうちにない。なぜなら一度死んだからだ。
「彼」はかつて彼を香油で清めた女を、あるいは彼を慕う弟子を、捨てて、彼自身の旅に出る。
そこで出会う女と、完全な蘇りのイニシエーション……。

結構難しいです。私もかなりの部分を理解できていません。
ただ、ロレンスにとって、キリスト者の求めるような奉仕とは、「屍の愛」であり「死んだ愛」に過ぎないのでしょう。彼にとって「愛」とは、「肉」を離れては得られぬもの、もっと生命感に溢れたものであるべきなのでしょう。なまなましく、荒々しく、醜くて、だからこそいとおしい。

哲学的なものを読み取ろうとすると難解で挫折しそうになりますが、物語として読む分には問題なくつるつる読めます。翻訳に癖があるのがちょっと難点といえば難点でしょうか。

『てんとう虫』
一度(戦争で)死んだ男が二人、そして女が一人。
女は、夫と、伯爵との間で心を揺らす。
夫は彼女に肉の愛を与えられない。彼は一度死んだ男であり、その身のうちにはもはや欲望がないからだ。
伯爵は彼女を愛しているが、現世で彼女を妻に迎えることはできない。彼が与えられるのは、夜より尚暗い約束、いついかなるときも彼女は自分のものであるという信念、離れていても彼女がてんとう虫の妻であるという言質だけである(伯爵の家紋はてんとう虫)。
彼女の魂は闇(伯爵)に絡め取られるが、彼女はなお光(夫)に属する。しかし光が光でしかないがゆえに、もはや本当の愛は感じない。

肉体的な接触によってしか個人間の断絶を消すことはできない、けれど孤独を消すために人は精神的なつながりをこそ求めずにはいられない……その一方で精神のくびきからは解き放たれたいと願っている。

何を書いてるんだ、私は(汗)。自分でもわからなくなってしまいましたが、下世話な要約をすれば「三角関係」です(ああ、ロレンス研究者に撲られそう)。
ただ、出てくる「伯爵」と「夫」がヘンなんです、喋ることが。
話を聞いていると彼らが尺度の違う世界の住人であるような気がするかもしれません。
そしてまた、正当性と好悪とが必ずしも一致するものではないことの再認識も促されます。

哲学的なことはおいておいて、これもまぁ、つるつる読めます。翻訳に癖あるけど。
なんてったって「三角関係」ですからねっ(撲らないで~)。

ちなみにこの文庫本は絶版みたいです…。

▼この本はこちら。
死んだ男・てんたう虫 (1957年) (新潮文庫)

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2001年12月15日 (土)

展示:ブルガリ現代絵画展

■タイトル:ブルガリ現代絵画展
■会場:伊勢丹美術館(新宿店新館8階)
■会期:2001年12月12日(水)~12月18日(火)※会期中無休
■入館料:大人500円、小・中学生無料

ブルガリという名前をご存知の人は、どのくらいいるのだろう?
いわゆる「ブランド」のひとつである。主にはアクセサリーのブランドだ。

そのブルガリが、イタリアの現代芸術家たちとのコラボレーションを行っているそうだ。要するに、後世に伝えていくべき才能をサポートしながら(パトロネージュって奴ッスね)、その支援している芸術家たちの作品中に、ブルガリの代表的なジュエリーなどを描き込んでもらう、ということらしい。
その作品展である。

絵と一緒に、ブルガリのジュエリーも何点か展示されていた。どうもジュエリーのほうに目が行く(笑)。
完成されたデザインだからでしょうか。

絵は、ウバルド=バルトリーニという人の作品が面白かった。
この展示のポスターやステッカーに使われている作品で、遠めに見ると宝石なのに、近くに寄ると油絵なのだ。しかも油絵の具で描かれた宝石の内部には、よく見ると小さな人影が存在している。
この絵は面白かった。面白いし、夢があったように思う。

展示の最後にテーブルがあって、この展示の(つまり絵の)カタログと、ブルガリの商品カタログとがもらえる引換券が置いてあった。
無料でもらえるということなので、伊勢丹本館の4階へ行き、ブルガリショップで引き換えてもらった。
その際にブルガリの店内をちょっと見たりしたんだけれど、とても庶民の行くところじゃねーや。
なんで腕時計がひとつで200万円もするわけ……????? 私には理解できませんでした(笑)。

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2001年12月14日 (金)

コンサート:バッハ「クリスマス・オラトリオ」★バッハ・コレギウム・ジャパン

■曲目:バッハ「クリスマス・オラトリオ」
■奏者:バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)、野々下由香里(ソプラノ)、ロビン=ブレイズ(カウンターテナー)、ヤン=コボウ(テノール/エヴァンゲリスト)、ステファン=マクラウド(バス)
■日時:2001年12月14日(金)18:45~
■会場:神奈川県立音楽堂(桜木町)

2ヶ月ぶりのBCJ。演目はバッハのクリスマス・オラトリオだ。イエス=キリスト誕生の物語と神との新たなる契約とその喜びとを、音楽で再現するわけである。
会社を定時に飛び出したんだけれど、開始には間に合わず、15分ほど表で待たなければならなかった。しくしく。

さて、演奏はといえば、今回のBCJはノリノリだった。
特に後半。第4部~第6部がとても活き活きとしていた。
ヴァイオリンもまずまずノっていたし、通奏低音(チェロなど)も弾むように音を出していた。
何と言ってもオーボエが良かった。物凄く音が通って、高らかにクリスマス賛歌を歌い上げていた。
オーボエ、と、言っても、古楽器なので最近のやつよりも音を出すのがずっと難しいはず。今日のオーボエはそんなことを全く感じさせない出来映えだったと思う。

あとは、トランペットも、一部登場したコルノ・ダ・カッチャ(ホルンの前型)も、難しいだろうによく音を制御していたと思う。
合唱は相変わらず良い。ソリストも良かった。ただ、ホールのせいか、人間の声の響きがちょっと悪かったような気がした。吸い込まれてしまっているようで。

ところで今回の男性ソリストたちだが、3人で並んでいるとどうしても「パブリックスクールのやんちゃな生徒3人組」というように見えてしまう。
なぜだろう…。別に出身が一緒とかそういうわけでもないのに。
とにかく最初から最後までそのイメージが拭えなくて、自分でも可笑しかった。

会場を出たら、遠くの電光掲示板に「9:58」と表示されていた。ほぼ3時間。
帰りはずっと頭の中でいろんなバッハの旋律が鳴り響いていた。

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2001年12月13日 (木)

チェリビダッケ全集

ああ~、買ってしまったぁ~。

12/12の日記に書いたとおり、父親が新宿HMVでピアソラ全集みたいなのを買ってきた。
「こんなことを言うと怒るかもしれんが」と、突然私に向かって、「チェリビダッケの全集が33枚で19900円で出てたぞ」。
怒るよ。もう何枚も買っちゃったもん。
でもブルックナーは一枚もないんだよね…それを揃えるだけで15000円くらい飛ぶから…

とゆーわけで、父親のせいでHMVに行ってチェリビダッケ全集(東芝EMI・輸入盤)を買ってしまった。
(チェリビダッケって、指揮者の名前です。いいぞぅ~)
ちょうど一割引キャンペーン中だったので、18805円也。
ああ~、お金がぁ~…。

いや、お金よりも問題はCDの「置き場所」である。
33枚、全部プラスチックケースに入っているから、かさばるのかさばらないのって……(涙)。
早くなんとかしなきゃ。

ちなみに会社が忙しいせいでまだ全然聴けてません(涙)。
いいんだ、年末年始にゆっくり聴くもん。

▼ちなみにその全集はこちら。
セルジュ・チェリビダッケ・エディション(33枚組)

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2001年12月12日 (水)

アストル・ピアソラ

ご存知の人も多いと思いますが、アルゼンチン・タンゴのブームの火付け役です。
ご自身はバンドネオン(アコーディオンの兄弟みたいな楽器)の奏者で、「自作」自演が多いです。
残念ながら1992年にお亡くなりになりましたが…。

まず5年くらい前に父親がはまって、私も2年前にはまりました(笑)。
父親は先日、新宿タカシマヤ12階のHMVで、10枚だか12枚入りの箱でピアソラのCDを買ってました。
お父さん、ありがとう! でも鳥取に持ってっちゃうんだよね~…。

ピアソラ大好きです。
特に「Otono Porteno(邦題:ブエノスアイレス・秋)」という曲が好き。
切なくて力強くて、タンゴっていいなぁ。最近また思い出したように聴いてます。

みなさんもぜひ一度聞いてみて。数年前にかなり流行って、あちこちでBGMに使われてたから、聴けば「ああ、この曲もそうだったのか」と思うことでしょう。そういえばアイスダンスのBGMなんかにも使われてました。もちろんあれやこれやのCMにもね。
ギドン=クレーメルやヨーヨーマもピアソラにがっちりはまって、アストルに捧げるCDを何枚も出してます。でもやっぱりオリジナルが一番素敵。

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2001年12月11日 (火)

読書:『空飛び猫』

■著者/訳者名:アーシュラ・K・ル=グウィン/〔著〕 村上春樹/訳 S.D.シンドラー/絵
■出版社名:講談社(講談社文庫)
■発行年月:1996年04月

セルマ、ジェームズ、ロジャー、ハリエット……ジェーン=タビーお母さんから生まれた4匹の子猫たちにはなぜか翼が生えていました。4匹は危険で汚い都会から旅立ちますが…
翼があるって素敵なこと。でもそれがかえってアダになることもあります。

挿絵がいいです。漫画チックじゃないし、かといって写実的すぎもしない。あんまり写実的な絵だと、読んでいる側の想像力を発揮できなくなっちゃいますからね。

SFファンタジー界の巨匠、ル=グウィンがおそらくは子どもと猫たちのために書いた、淡々とした物語。
村上春樹もうまい訳をつけています。
春樹さんがあとがきで書かれているように、お母さんお父さんが声を出して子どもに読んであげるのがベスト(オトナが普通に目で読むだけだと20分もかかりません…)。お子さんのいる方はぜひ試してみてください。

ちなみに続編が2本あるようです。読んだらまたご報告しますね。

▼この本はこちら。


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2001年12月10日 (月)

衝撃!!★伊勢丹美術館、閉鎖!!

新宿伊勢丹の美術館が3月をもって閉館される。

もー凄いショック。あそこ、良かったのに~。
すごくイイ学芸員さんがいたのに~(展示内容を見ればそこにいる学芸員さんの技量がわかります)。

伊勢丹美術館はちょっとパイオニア的なところもあって、ずっと一目おいてきたのに…。
エッシャーを日本に最初に紹介したのはここ。
あと、たぶんアンリ=ルソーを最初に紹介したのもここじゃないかと思う。
ルソーの個展は西美(国立西洋美術館)が最初だけど、その3~4年前に、ピカソのいた共同アパート(洗濯船でしたっけ?)をテーマにした展覧会で、ルソーを取り上げていたと思う。
少なくとも私はあれでアンリ=ルソーを知りました。それまではジャン=ジャック=ルソーと区別ついてなかったかも(哲学科とは思えぬ…)。

他にも色々、仮令(たとえ)一流じゃなくても、三流どころを拾ってきてて、「お、すごいな。よくこんなのを見つけてくるな」とよく感心させられていたのにぃ~(涙)。
三流どころ」とは、一流には敵わないけど、ある狭い視点から見た場合には、一流と同等ないしそれを凌ぐ何かを持っている人びとのこと。
ターナーの個展をがんばって引っ張ってきたり(会場が狭すぎましたが)、オートクチュールのファッションデザイン史をやってみたり(いやこれが構成よくて結構面白かった)、ユトリロを引っ張ってくれたりと、ハズレも少なく、狙い目の展示が多かった。

最近は西美も近美(国立近代美術館)もいい展示がないし(一時華々しいくらい良かったが…)、Bunkamuraのギャラリーなんて「クレー」と「フォロン」以来全然いいものをやらないし、世田谷も低迷してるし、伊勢丹はもはや最後の砦だったのに~~~~(号泣)。
これで「一目置ける」美術館は、東京ステーションギャラリーだけになってしまった……。
時勢かもしれないけど、淋しい限りである。

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2001年12月 9日 (日)

パソコン抛ろう記

だめだーっ!!
何がだめって、うちのノートパソコンである。
USB接続機器をつないだ途端にフリーズ、他に何もしていないのにテキストエディタで文章を入力してるだけでフリーズ、こんなフリーズだらけでやってられるかっ!!

とゆーわけで、全部やり直した。
まず何とか苦労してデータのバックアップを取った。
しかしUSBおよびFireWire接続機器がどれも使えない(だってケーブル挿すと凍るんだもん)。
最後の望みをかけて、SCSI変換のPCカードを挿し、MOドライブにつないでみた。
おっ、認識したよ!! 吃驚!!
……いやぁ、実はこのSCSIのMOドライブとかSCSI変換PCカードとかは処分しようかと思ってたんだよね。USBのMOドライブを買いたくて。
でもこうなると手離せないなぁ。やはりいろんな規格の周辺機器を手元に置いておいたほうが安全ってことだろうか?

そんなこんなでバックアップデータをMOに保管して、PCにシステムCDを入れ、起動ドライブをCD-ROMに設定して一旦終了。
システムCDから再起動して、まずはハードディスクを全部フォーマットした(「全部0(ゼロ)に書き換える」ってやつ)。
12GBもあると結構時間がかかる。初期化している間、お昼寝してしまった。

お次はシステムのインストール。Mac OS 9.1は、不具合に懲りたので、ただの9に戻すことにする。
まずはシステムCDからOS 9.0.2をインストール。
その後、各種接続機器のドライバをインストールして、メディアを読み込める状態にしてデータをコピーし、OS 9.0.4にアップデート。

その後、ドライバの更新やらアプリケーションのインストールやら、フォントのインストール(これはまだ終わってない…)やらを延々とやって、12時間以上を費やしたところ、やっとまともに戻ったよ~!(涙)
フロッピーもサムドライブもFireWire接続のハードディスクも全部読める~!!(感涙)

この間も書いたけど、どんなにハード・ソフトともに進化しても、結局最後は原始的な方法で直すしかないのね…。
それにしても、もうしばらくメンテナンスはやりたくありません……。

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2001年12月 8日 (土)

お歳暮

基本的に、いわゆる「付け届け」って大キライなんだけど、おばあちゃんにだけはお歳暮・お中元をお贈りすることにしている。
昨日ボーナスが出たので、今日は新宿の伊勢丹へお歳暮売り場を見に行った。混んでた~。

片方のおばあちゃんには図書券を贈ることに決めてあるのだが、もう片方のおばあちゃんには大概お菓子を贈ることにしている。
今年は和菓子にしよう。お中元も和菓子で好評だったし。
和菓子の箱が並んでいるところを見て回っているときに、鶴屋吉信の売り子さんにつかまって「京観世」というお菓子の試食をさせてもらった。小豆が主体のお菓子で、甘味が控えめで美味しい。やっぱりね…値が高いだけのことはあるというか…。
これと、「宝づくし」という、伊勢丹オリジナルの(つい気になるんだよね、「オリジナル」っていうと)とても綺麗なお菓子とが一本ずつ入った箱を買うことにした。
持って帰って、明日、日曜日に手渡しすればいいや。

というわけで、「お持ち帰りコーナー」に行ったのだが、なんと持ち帰りでも「ただいま10~20分待ちです」などという札が出ている。
しかも、注文を受けるとお客に番号付きの札を渡すのだが(ここまではごくフツー)、その番号札の包装ができたかどうかを見る電光掲示板がある。
まるで病院の薬待ちである(笑)。本当にそっくりなのだ。絶対にアレを使ってると思うな。

私は20~30分待たされた。まぁ、これでも早いほうなのだろう。

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2001年12月 7日 (金)

グリルビクトリヤ

鶯谷においしい洋食屋さんがある。
月に1、2回ほど、頑張ってそこへお昼ご飯を食べに行く(隣の駅なんだもん)。
お店の名前は「グリルビクトリヤ」という。
テレビや雑誌で紹介されたこともあるお店なので、知っている人も多いかも。
小さいお店なんだが、こだわりの店というか……BGMはいつもジャズ。ジャズ好きらしい。

今日はボーナス支給があったので(雀の涙ですが)、気を良くして食べに行った。
ちょうどランチメニューに「豚ヒレの生姜焼き」があったので、それを注文した。
いやぁ、美味しいんだ、ここの生姜焼き。
ここで食べるまで私ゃ「生姜焼き」がこんなに美味しいものだとは知りませんでしたよ。
今の季節は、カキフライのランチもオススメ。また旨いんだ、これが。

ご近所へ行かれる方は、ぜひ一度試してみて。ちなみに水曜日が定休日。

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2001年12月 6日 (木)

タクシーと裏道

会社のグループ内の忘年会を終えて、新宿駅にやってきたら丸の内線が止まっていた。珍しい。
大江戸線まで乗りに行くのが面倒だったので(いささか酔っておりましたし…)、小型タクシーに乗って帰ることにした。
小型の列も中型・大型の列も、いつもより人がたくさん並んでいたように思う。
きっと皆、同じ方面ね、と思っていたら案の定……

私が乗ったタクシーの運転手さんは道に詳しい人だったみたいで(最近、客に聞かないと道がわからないとゆー運転手さんが増えたと思いませんか?)、「裏道を行っていいですか?」というから、これ幸いとお願いした。「裏道」って、西新宿のマクドナルド裏手にあたる細い狭い路地である。

その細く狭い路地を、3台くらいのタクシーで、ぴったり連なって走ってしまった。これまた珍しい。
この裏道、以前にも一度タクシーで通ったことがあるのだが、そのときは他にクルマなんて一台も見なかった。
やっぱりみんな、同じ被害にあってて、帰る先も似たような方面なのね(笑)。ちょっと可笑しかった。

ちなみに、以前、その裏道をぐんぐん走ったタクシーでは、初乗り料金で家まで着いてしまったのだが、昨日は道が混んでいて(だってその路地だって前にタクシーがいるんだもん(笑))、880円かかってしまった。
ま、いいでしょう、たまには。

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2001年12月 5日 (水)

読書:『世界のはての泉』

■著者/訳者名:ウィリアム・モリス/著 川端康雄/訳 兼松誠一/訳
■出版社名:晶文社
■発行年月:2000年01月

「永遠の生命を得られるという神秘の泉をさがして旅に出た若き騎士ラルフの愛と冒険の物語。」

いや、確かにその通りでございますが。
モリスはインテリア=デザイナーおよび本の装禎家として有名だが、何本か小説も書いている。ほとんどがこうした中世冒険モノだ。
冒険モノといっても、彼の作品は「血湧き肉踊る」式のものではない。
基本となる「理想」があってそれを追いかけていくような、なんといったらいいか、美のイデアに貫かれているとでも言おうか。
戦闘も恋愛も死の別れもあるのに、静かで、平板で、ちょっと独特な作風である。

ま、この話は読んで「つまらなかった!」とは思わなかったので、中世騎士の美々しさに興味のある方はどうぞ。雄雄しさじゃなく美々しさね。
それから人生の試練と昇華。たぶんこれはモリスのどの作品にも共通するテーマなんだと思う。

上下二巻でハードカバーのため重い。でも内容は全然難しくないので、割と早く読めるはず。
ただし、全体に観念的なので、登場人物への感情移入はどうしても浅くなってしまう。そういうのが苦手なヒトにはオススメできない。

▼この本はこちら。
世界のはての泉 (上) (ウィリアム・モリス・コレクション)

世界のはての泉 (下) (ウィリアム・モリス・コレクション)

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2001年12月 4日 (火)

ライブ:MUSE★ライブレポート

■出演:MUSE
■会場:Zepp Tokyo(お台場)
■日時:2001年11月28日 19:00~

先週、「MUSE」というUKバンドのライブに行った。
このバンドを知ったのは、たまたまCDショップで新作アルバム「origin of symmetry」のなかからシングルカットされた「plug in baby」がかかっていたからだ。
ちょっと興味を惹かれてアルバムを買ってみたら、これがまあまあよかった。

そのあとすぐに日本でライブをやることを知ってチケットを手に入れようとしたけれど、2階の指定席はSOLD OUT。実は人気バンドなのか??
1階席はどうしてもイヤだったので諦めていたところ、運良く2階席の券を譲っていただけたのでるんるんと出かけていったのだった。

プレイスタイルはストレート、しかしながら曲自体のスタイルはマイナーである。
マイナーって、短調ってことじゃなくて(確かにほぼ全曲が短調だったが)、メジャーヒットにはならないだろう曲調とゆーか、キャッチィじゃないってこと。
ヴォーカルのスタイルも、ビィビィと楽器が泣くような感じで、メロウとは違う(カタカナ多いな…)。コード進行もよく期待を裏切ってくれたし(笑)。

つまらない曲は少ないが、やはりどうしてもどれも同じ曲に聞こえがち(全部サイケでゴシックだから)。
そんな中で「plug in baby」だけは色が違った。曲調は他と同様だが、ノリが特によくて、彼らの持ち歌の中ではメジャーっぽい。

3人構成で、ヴォーカル(Vo)がギター(G)を兼任、あとはベース(B)とドラムス(Dr)。
Vo.はやたらハイな奴で、そこら中を飛び回る。かと思えばギターを抱えてうずくまっちゃったり。
このエネルギーに溢れて暴走しまくるVo.を、B.とDr.が手綱つけて抑えてるって印象だった(笑)。
そういえば3人とも名前も知らないし、リーダーが誰かも知らないわ。リーダーはDr.かしら。

そうそう、ピアノもVo.が兼任してました。
アルバムを聴いたとき、幾つかの曲でピアノがゴシック調にかっこよく使われているなぁと思っていたけれど、アレンジで挿入してるんじゃなくて自分で弾いてたのね。
ピアノはよかった。楽器の特質として、ギターよりも音がクリアで曲がわかりやすいのだ。
ギターは時々どのコードを鳴らしているのかわからなかった(笑)。特に曲の始まりでは顕著。お願い、少しボリューム下げて(笑)。

こういうバンドって、「ライブよりアルバムのほうがずっといいよ」とか「アルバムは全然だめだけどライブはいいね」とか、アンバランスなグループが多いものだけれど、MUSEはアルバムのイメージどおりに歌い上げていて、それはなかなかすごいなと思った。

ちょうど90分で終了。アンコールはなし。ちょっと終わり方が淋しかったかな。
でも面白かったです。目当ての曲が聴けたので、そしてその演奏に満足したので、良しとしよう。

▼このバンドのCDはこちら。
Origin of Symmetry


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2001年12月 3日 (月)

南紀白浜旅行雑文4

12/2の旅行雑文の続きです。

■円月島■
大きな岩が海上に突き出たような感じで、島というよりはでっかい岩と言ったほうがわかりやすいかも。その岩のちょうど中央下寄りにまんまるい満月のような風穴が空いていて、向こうの海空を覗けてしまう。それで「円月島」というようだ。ここは写真の名所で、夕日がその丸い穴に収まる瞬間を狙って、よく沿道にカメラマンが鈴生りになるらしい。白浜のシンボルだとタクシーの運転手さんは言っていた。

■紀州みかん■
グラスボートを降りてすぐの売店でみかんを売っていた。うちでは今度の木曜日に3キロ箱が来るので、箱で買うのはあきらめたが、ばら売りもしてくれるというから二つだけ買った(1個50円也)。あとでお昼ご飯のときに食べたらとても美味しかった。さすが本場もの。

■岩場■
グラスボート乗り場から貝寺までぽくぽく歩いたのだが、途中、岩場に降りられるように道路から階段が設置されていて、面白いので降りてみた。釣りをしている人があちこちに見受けられた。岩場では貝や海胆や小魚の群れを見たりした。烏賊釣り中の人がいて、昼は暇だと言っていた(烏賊は夜釣りですね)。

■本覚寺■
別名・貝寺。10~15分ほど歩いてきた。たくさんの種類の貝が展示されており、中には、この寺の名前がついているという珍しい貝・ホンカクジヒガイもあった。ホンカクジヒガイは白くて、珍しい形をしたとても綺麗な貝だった。別に貝を集めているから貝寺というのではなくて、その昔、紀州公に珍しい貝を奉献していたという歴史があるため、そう呼ばれるらしい。下賜されたお庭焼き花瓶も貝と一緒に展示されていた。

■とれとれ市場■
貝寺前の通りでうまくタクシーを拾い、北側を走ってとれとれ市場へ。まずは「とれとれ市場横丁」で腹ごしらえ。周りの店で好きなものを買って中央のテーブルで食べる方式。鮨の店で大トロ一皿と、にぎり3貫の皿二つを買う。大トロは2貫で1420円!! すごく美味しかったが高い~(涙)。あとはさざえのつぼ焼きと焼きホタテを食べた。ホタテが結構大きかった。

■お菓子■
「かどや」という老舗っぽいお菓子屋のテナントが入っていたので、そこでお土産をいくつか買った。会社向けに「柚子もなか」、母ともう一方のおばあちゃんと叔母さんに「いも餅」、それから自分用に一つ「チーズケーキプリン」を。他はどうも私の苦手な梅干味が多くて、参った(笑)。

■大トロ■
食堂で食べた大トロがあまりに美味しかったので、奮発して買って帰ることに。しかし…100グラム2800円もする…(汗)。一番旨そうな塊なんか1万円を超えている。さすがに無理である。悩んだ挙句、4170円の柵を買った。家に帰って食べたら、やっぱりとろけるような旨さだった。

■宝くじ■
とれとれ市場は何でも売っているところ。魚介類やみやげ物だけでなく、米から何から売っている。なんと宝くじ売り場もあったので、おばあちゃんと10枚ずつ記念に年末ジャンボを買った。当たりますように。

■みかん畑■
帰りの「くろしお」は陸側の座席で、みかん畑がよく見えた。紀州は梅と炭とみかんの里。それにしても見渡す限り、みかんの木だらけ。どの山もどの山もみ~んなみかんの段々畑になっていて、しかもたわわに実っている。山の斜面だけじゃない、平地も山間のくぼ地もみ~んなみかん畑である。一体全部食べきるのか? それ以前に、これ、取るのどーするんだ? やっぱり手で取るの? …これ全部?? などと要らぬ心配をしたくなるほどのみかん畑を満喫しつつ、帰途についたのだった。

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2001年12月 2日 (日)

南紀白浜旅行雑文3

12/2は朝はのんびり、11時にチェックアウトして、タクシーと徒歩で北のほうを少し観光。お昼を食べて14:53発の「くろしお」に乗った。新大阪では18:16の「ひかり」に乗って、おばあちゃんとは名古屋でお別れ。私は一路東京へ。

■温泉2■
朝8時、起き抜けに一人で温泉に行った(おばあちゃんはもっと前に起床して、すでに入ったあとだった)。朝の爽やかな空気が気持ちいい。今日は快晴で、青空と青い海の眺めがまたすばらしかった。この温泉には「かかり湯」のコーナーが設けてあり、おばあちゃんは非常に感心していた。他に、露天風呂に張り紙があって「自然のままだから虫が入ることがある。湯船の中の虫が気になる人は網ですくってね」といった内容のことが書かれており、その下にすくい網がかかっていたのも面白かった。

■朝食■
朝食はバイキング形式。品数が多すぎず少なすぎずいい感じ。味もよい。ヨーグルトがあって、これも美味しかった(ヨーグルトって結構「ハズレ」のホテルが多いんですよ)。あとは、ポタージュスープがあって「どうしようかな~、あとで注ごうかな~」と悩んでいたら、ホテルのお姉さんが「スープをお入れしましょうか?」とにこやかに現れたのでお願いしてしまった。ふと見るとおばあちゃんも別のお姉さんに世話を焼かれていた。サービス精神に溢れたホテルマン・ホテルレディばかりのようだ。おばあちゃんは紅茶がとても美味しかったそうだ。客も多すぎず(私たちが食べに行った時間帯がすでに遅かったって説もあるが)、のんびり楽しく朝食を摂ることができた。

■牟婁の湯■
白浜は1300年もの歴史を持つ温泉場。持統天皇や斉明天皇らも入りに来たことがあるという。万葉の時代には「牟婁(むろ)の温湯」「紀の温湯」などと呼ばれていた。その最も古い源泉の一つである牟婁の湯という外湯に入りに行った。おばあちゃんは荷造りで忙しかったので一人で歩いていくと、ホテルから5~10分程度のところに建物があった。まぁ、公共の銭湯みたいなもので(銭湯そのもの?)、入湯料250円(クーポンで50円割引)、タオル200円を購入。「砿湯」「行幸湯」という2種類のお湯が引かれている。どちらも飲めるようなので、備え付けのマグカップで試しに飲んでみたが……しょっぱいぃぃ! 二つとも一口で結構。いくら身体に良いと言われても、なかなか量を飲めるものではナイ。「砿湯」のほうが例の「1300年の歴史」があるやつで、とてもまろやかな感じのお湯だった。「行幸湯」と入り較べるとよくわかる。お湯やら水やらに「硬い、柔らかい」って言うのもヘンな話なんだが、肌の感じ具合がそうだったのだ。風呂からあがったころにはお肌すべすべ、体はぽかぽか。気持ちよかった。

■ラフォーレ南紀白浜2■
11時にのんびりチェックアウト。とても感じのいいホテルだった。何か尋ねるとすごく親切に教えてくれたりやってくれたりするし(速度は人によりけりだが)、皆さん物腰柔らかでサービス精神旺盛、設備もよかった。私は、歯ブラシの色を変えてあった点が気に入った。一本はピンクでもう一本は青。これならどっちがどっちを使ったか間違えようがない。ちょっとしたことなんだけれど、こういう気遣いは嬉しい。

■グラスボート■
グラスボートとは、船底の一部にガラス板を張って、海中を覗けるようにしてあるボートだ。ボートといっても最大80人乗り。決して小さくはない。この界隈の海は本当に水が綺麗で、気候は暖かなのに不思議なくらい透明度が高い。海岸で覗くときも、3メートルくらいならたいがい底まで見える。ここでは最初に「海女ショー」なるものがあった。これは別に大したことなかったが(海女さんごめんなさい)、2箇所ほどよく魚が見えるスポットへ行ってはゆっくり船を走らせ、そこでいろいろな魚たちを見ることができた。小さな魚ではコバルトスズメやいろんな模様のチョウチョウウオ、それから大きな魚ではメジナ(ハマチ?)が群れて泳いでいた。大きな魚もいいもんだ。海底にはでかい岩がゴロゴロしており、そこに藻類や綺麗な紫サンゴが棲みついている。もちろん、空洞やサンゴの隙間なんかに小魚もたくさん棲んでいて、マンションのよう。おばあちゃんはグラスボート大好きだそうで、楽しんでもらえてよかった。
★続く★

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2001年12月 1日 (土)

南紀白浜旅行雑文2

12/1は朝07:30に起床。ちょっと早いが名古屋へ出て、そこから「ひかり」で新大阪へ。新大阪からは「くろしお」に乗って2時間20分かけて白浜に到着した。白浜で泊まるのは「ラフォーレ南紀白浜」というホテル。そもそも私の健保組合の「食事付きで4500円で体験レポーター募集してるよ」という募集に乗っかって、旅行へ行くことになったのだった。果たしてどんなホテル…?

■駅弁2■
お昼に新大阪でうなぎめし(水了軒)を買った。関西のうなぎはぷりぷりしていて美味しい(東京のうなぎは柔らかい骨抜き君)。800円でも十分美味しかった。

■ラフォーレ南紀白浜1■
ちょうど15時ごろにホテル・ラフォーレ南紀白浜に到着したので、そのままチェックイン。部屋は821号室で、オーシャンビューの広くて明るいツインルームだった。いや~、広かった~。部屋の奥はほぼ全面窓で、浜や海が一望できてとてもよかった。

■三段壁(洞窟)■
海食洞窟。熊野水軍の隠し船が置かれていたと言われる。36メートル(12階建て相当)を14秒で降下する高速エレベータに乗り(1200円)、下の海食洞窟が見られる地点まで降りた。簡単な順路が設けられていて、波で自然にくりぬかれた洞窟を見たり、大きな弁天の祠を見たりして回る。弁天の祠には湧泉水があって「飲める」と書いてある。飲んでみたらしょっぱかった~(しかも冷たい水ではなくて温泉だった)。要するにお湯に塩を溶いたような味で、せいぜい一口しか飲めない。船を入れたという洞窟は奥まで深いようで、歩いて見に行けるところからまだまだ先まで穿たれているようだった。もっともその辺りは、狭いし天井が低いし、船は入りそうにない。他に漣痕岩(岩壁の天井部分にさざなみのような痕がついている)、潮吹き岩(波が打ち寄せると横穴から海水が入って押されて、岩の上部にある小さい穴から鯨のように潮が噴出される)などを見た。なかなか面白かった。

■三段壁(地上)■
地上に出てから散策した。この辺りは海面からそそり立つ断崖絶壁になっている。その絶壁の端に寄れるところへ行ってみたら、「命を粗末にしてはいけません」みたいな立て札や、「いのちの電話」の立派な看板が立っていて可笑しかった。いや、本当は笑い事じゃないんだが。自殺者がどうしても出るのだろう。私も端のほうへ寄って下を見てみたが、確かにココから落ちたら一発で死ねるな、と、思った。景観はなかなかダイナミックでよかった。

■千畳敷■
名前のとおり、千枚の畳を敷いたように、岩が波に浸食されて段々になっているところ。先のほうまで岩を伝って歩いてみた。潮風が冷たい。岩はすべすべで白っぽく、「サトシ↑サトミ」などという阿呆な刻印が観光客によって足の踏み場もないほどそこら中に刻まれていた。何が楽しいんだ、一体。どうしてもあの神経は理解できない。話を戻して、ここへはもう夕刻に行ったので、日がかなり傾いていた。「落ちるかな~」「まだ無理じゃない?」などと言っていたら、赤い夕日に変わって(それまではまだ黄色かった)沈みだし、あれよあれよという間に水平線(実は水平線のすぐ上に雲があったのでその雲の中)に沈んでしまった。どうして沈みだすとあんなに早いのだろうか?

■温泉1■
ホテルに戻って少しお昼寝をしたあと、食事まで時間があるので温泉に入りに行った。ここのホテルの温泉は11階にある。すごく広くて気持ちいい。浴槽も広いけど、脱衣所がまた広広していてありがたかった。展望温泉という名のこちらは、ガラス張りの大浴場と、そのすぐ隣に露天風呂とがあって、景色もいいしお湯も気持ちいい。温泉っていいねぇ。白浜は「日本三大古湯」と言われているそうで、奈良・飛鳥の昔からの歴史を誇っている。ちなみにお湯は透明だった。

■豪華夕食■
和食コースを頼んだ。だって白浜まで来て、お刺身を食べないなんて考えられないから。と、前菜の次が活け作りで、鯛のおかしら付きの見事な皿がどーんとやってきた。刺身も鯛がメインで、あとはイセエビとマグロがのっかっていた。シソの花が添えられていたのも嬉しかった(ちゃんと食べました)。何と言っても鯛の刺身がコリコリで実に美味しかった。他の料理も総じて美味しく(勘八の蕪鮨風だけはしょっぱくて食べられなかったが…)、料理長のセンスがいいのだろうということに落ち着いた。

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