読書:『クオ・ヴァディス』
著者:シェンキェーヴィチ
発行:旺文社(文庫)、福音館書店
発刊年:1980年、2000年
ネロの時代を背景に、恋と信仰とキリスト者受難とを描いた小説。
作者のシェンキェーヴィチはポーランドの人で、ロシアの圧政に苦しむポーランド人たちの姿を、迫害されながらも静かに闘い抜くキリスト者に見立てたという説もある。が、それは措くとしても、ドラマチックで面白い小説である。
中心となるのはペトロニウスの甥であるローマの青年将校ウィニキウスと、彼が恋するリギアという他部族の族長の娘。リギアはキリスト者である。
ウィニキウスは最初のほうでは「お前さん、脳味噌が筋肉でできてないか?」と思うほど短慮で力ずくの人間で、はっきり言ってこの最初のうちは読み進むのがどうしようもなくツライくらいお馬鹿である(笑)。
しかし、中盤から愛と信仰によってまっとうな人間に成り代わっていく。その差が明瞭で面白い。
いま一人の主人公はペトロニウスと、やはり皇帝ネロだろう。
ネロはかなり病的に描かれている。誰もが匙を投げている、暴君そのものだ。
ペトロニウスのほうは、非キリスト者ではあるが、良きギリシア・ローマ文化を継承する知識人として描かれており、キリスト教的な価値観以外にもシェンキェーヴィチが理解を示している証左となっていると思う。実に魅力的な人物像に出来上がっている。
そして最大の主人公はもちろん、すでに死して復活せるイエス・キリストであるが、「クォ・ヴァディス」の場面以外は登場しない。その代わりを務めるのが、使徒ペテロと使徒パウロである。
彼らの言葉がすばらしい。本当にその場で聞いているような気がした。たぶん作者にとってキリスト教の訓えは日常的なものだろうし、新約聖書の「使徒行伝」や「手紙」類を熟知しているのだろうが、それにしても「正しくペテロの言葉だ」「パウロならなるほどこう言うだろう」というような台詞が続々と出てくる。
特にペテロが群集に使徒として語りかける言葉の展開が、すばらしい。どうやって嘆く群集をなだめるのか。ペテロらしい説き方をしていると思うが、私にはあんな台詞は自分では思いつけない。
「クォ・ヴァディス」とはラテン語で「どこへ行く?」という意味だ。これに「主よ」という呼びかけをつけて、「ドミネ、クォ・ヴァディス(主よ、どちらへ行かれるのですか?)」とペテロが道で出会ったイエスに尋ねるくだりが「使徒行伝」にある。
このとき、ペテロはまさにローマを離れようとしていた。しかし、その途上でイエス(復活後)に出会い、「あなたが私の子羊を見捨てるなら、私が行かねばなるまい」といったことを言われ、意を決してローマに引き返したのだ。実にドラマチックな、キリスト教の世界ではつとに有名な場面である。
ちなみに私が一番すきなのは、脇役のキロン=キロニデスのエピソード。もう涙ナシでは読めない。
こういう小説を読むと「キリスト教っていいな」と思うが………今現在は、こんなことを堂々と書ける時節ではないかもしれない(涙)。
補足:キリスト教や宗教が苦手な人も、ドラマチックラブロマンスとして読めるので、ぜひどうぞ。
▼この本はこちら。私が読んだ文庫版はもうないらしい…。
クオ・ヴァディス〈上〉 (福音館古典童話シリーズ)
クオ・ヴァディス〈下〉 (福音館古典童話シリーズ (37))
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