【旅行】神長官守矢史料館と藤森照信の三つの茶室
時間が経ってしまったので簡単に(現在10/28)。
2年ぶりくらいに蓼科へ。
天気がいいので茅野の広報紙に載っていた藤森照信の建築を見に行こうということになった。
まずは神長官(じんちょうかん)守矢史料館へ。
守矢(もりや)というのはこの土地の神職の古い家系(だったはず)。
お天気がよかったせいか、ものすごく気持ちのいい空間だった。
藤森照信の建築は、ちょっととんがってるけどおおむね可愛い(笑)。
正面の屋根を突き抜けてる柱はイチイの木だそう。
外壁はサワラの割板で、茅野市最後の板割り職人(故人)の仕事。
屋根に葺かれているのは、上諏訪産の鉄平石だそうだ。石だったのか……云われないとわからないや。
館内には小さな展示室があって、手前では祭事の復元かなにかが展示されてて、鹿の首がいっぱい並んでいた。
奥の部屋では「南北朝時代の守矢文書―北条時行とその時代―」という展示が。
このときは気づかなかったけど、漫画&アニメの「逃げ上手の若君」に焦点を合わせた展示だったみたい。
「頼重」とか「時継」とか、あとから思えば「あ~、あのキャラね」って名前が何度も出てきていた。
「小笠原信濃守貞宗」も一箇所にあったし。
そういえば、こんな平日に、われわれ以外に若い男性数名が訪れていて、「観光ブームゆえか?」と思っていたけど、もしかすると「聖地巡礼」だった?
そっかー、だからこのあとに見に行った茶室では会わなかったのかー!(建築目当てではなく歴史舞台目当てだったのね、きっと)
文書(手紙)を見るに、足利とはずーっと対立してて、そのうちに武田の傘下に入っちゃうっぽかった。
武田(信玄)は諏訪を重視して、手厚く遇したとかなんとか。
そういや、信玄の棒道があちこち残ってるけど、やっぱり所縁があるんだと、今までになく実感した。
窓は低い位置にあって、開けると外の地面とすぐにつながってる感じだった。
窓ガラスは手吹きガラスらしい。
なお、平面図を見ると展示室の裏側にホールがあるらしいのだが、そちらは開いてないみたい。
史料館を出てさらに奥へ行くと、小さな社(やしろ)と祠(ほこら)があった。
ミシャグジ(御左口神)さまのお社だそうだ。
そして小さかろうが何だろうが、すべての社と祠には「御柱」が建っていて、小さい御柱を見るとなんだか楽しい。
お社の右手に並んでいた小さな祠たち。
それぞれに小さな「御柱」が4本ずつ立ってる。
神長官守矢史料館をあとにして、近くの藤森照信によるヘンテコ茶室を見に行った。
私たちは車で移動しちゃったけど、守矢史料館から歩いても15~20分くらいじゃないかと思う。
以下、写真でご紹介。
茶室を見に行く前に。守矢史料館の近くにある高部公民館。これも藤森照信の建築で、突き抜けてたり鐘がぶらさがってたり。
茶室《空飛ぶ泥船》。
造形はユーモラスで楽しいけど、機能的にはどうなんじゃろう?(笑)
茶室《低過庵》。ガイドツアーで回っている人がいて、ちょうど屋根が展開していた。
いつもは閉じてて、普通の三角屋根になってるはず。
《高過庵》や《低過庵》と同じ敷地にあった小さな祠(もしやこれも藤森照信作なのか??)。
四方にちゃんと御柱が立ってます(笑)。
最近のコメント